蒼眸と、落涙


  *


 ──アクア・マリーネの意識は、汚泥の如きどろり凝った闇の中で覚醒した。


 粘液じみた纏わり付く暗闇は、アクアの視界どころか全身の感覚すら奪って行くように思われた。重くのし掛かる怠さに抗うように身を起こし、そろり立ち上がると周囲を呆然と見回した。


「ここは、何処だ……?」


 自分の声にハッとして口を押さえる。アメリアの言っていた事が正しいならば、此処は地獄に違い無いのだ。いやそれとも、地獄というのはただの比喩なのだろうか。


 そこでふとアクアは気が付いた。口許から、恐る恐る手を離す。──そう、手があるのだ。慌てて自身の身体を見下ろした。手がある、足がある。首をまさぐると、斬られた筈の首には傷も無く、頭もきちんと胴体と繋がっていた。


 これはどういう事なのだろう、と困惑しながら立ち尽くしていると、不意に何者かの気配が忽然と背後に現れた。同時に、ふわり、と光の粒子を撒きながらぽつりぽつりと仄かに輝く球体が出現し始める。


「無事目覚めたようで何よりですわ、アクア先生。──ようこそ、アイアンメイデンの創った、貴方の為だけの地獄へ」


 振り向いたアクアは引き攣った悲鳴を上げた。静かに佇み仄かな光に照らされ浮かぶその姿は──死んだ筈のアズラ・ライトだったからだ。


「ひいっ……!? お、お前は死んだ筈だろう! 何故、何故此処に!? く、来るな、近寄るなああっ!」


「酷いですわ先生、あんなにわたくしの事を、わたくしの身体を弄んだ癖に、今更邪険にするなんて」


 アズラは一歩、また一歩とアクアの元へと近付いて来る。アクアは後ずさろうとするものの無様に転び、尻餅をついた。アズラの手が伸ばされアクアの肩を掴む。すいと近付いた唇が耳許で囁く。


「それにしても。……死んだ者が此処に居るのはおかしいですって? いいえ、そんな筈無いですわ、だって此処は──」


 アズラが笑う。ニヤアッと吊り上がった口は三日月のように裂け、それまでとは違う地の底から響くような低い声が、アクアの耳へと注ぎ込まれた。


「──地獄、ですもの」


  *


 それからアクアは、己が生徒達に施した人体実験をその身に受け続けていた。


 時間の概念の止まった暗闇の世界で、拷問めいたその行為はアクア自身を果てなく苛み続ける。


 アクアの身体はボロボロだった。


 上半身は胸部のみならず肩や背中までが内側から強制的に植えられ肥大させられた乳腺によって引き千切られ、沁みだした母乳と脂肪と血液の混合物がボタボタと流れ続けている。


 腹部は複数の子宮によって醜く歪つに肥大し、時折ボコボコと波打つ度に圧迫され潰され破裂した内臓が裂けた肛門から漏れて、下半身を赤黒く染めながら纏わり付いていた。


 また臀部に移植された鶏の臓物が肉を腐らせながら異形の卵を皮膚の内側に排出し続け、醜く膨れ伸びた皮膚を割れた卵の殻が突き破る。菌に冒された身体は半ば麻痺し動かせず、しかし痛みだけは鮮烈にその身体をますますもって苛むのだ。


 そして、いずれも耐え難い程の激痛の中──一番アクアに苦痛を与えているのは、豚のものと取り替えられた自身の内臓に巣食う、夥しい数の寄生虫。それらが臓物を荒らし肉を移動しながら食み、血管や骨や、更に頭蓋の中で暴れ狂う凄絶な刺激と激痛を越える痛みに、アクアはもはや声ですらない絶叫を上げ続けた。


「どう、アクア先生? 苦しい? 痛い? ──痛いわよね。そう、みんな痛かったの辛かったの。でも【沈黙】の魔法を掛けられて、皆声すら上げられずに耐え続けていたのよ。幾らでも絶叫出来る先生はその分、楽だとは思わない?」


 傍で見下ろすアズラが笑う。その身体からはボタリボタリと、白く蠢く寄生虫が溢れ地面に落ちては消えて行く。


 ──アズラが受けた実験は、家畜の内臓を人間のものと取り替えるというものだった。これは家畜の身体に人間の首を繋げる実験の前段階の試みだったらしく、最終的には死刑となる罪人の首を家畜に移植し、意思の疎通が出来る『賢い家畜』を造るのが目的だったようだ。


 豚の内臓と自身のものを交換されたアズラは、たまたまその豚の内臓に巣食っていた寄生虫に身体を蝕まれた。それらは臓物のみならず血液まで冒し、最終的には脳にまで寄生虫に侵入されたアズラは耐え難い苦痛と絶望に、自ら身を投げ命を絶ったのだ。


 絶叫し、動かない身体をそれでものたうたせながら気も失えず、強制的に身体が回復し続けるまさに地獄を越えた絶望の中、アクアはただアズラを見た。


 アズラは笑う。天使のように、悪魔のように、ただ佇みながら。


「先生。ずっと一緒に居てあげますわ。わたくしがずっと見守っていてあげますわ。──そう、この闇の中で二人きり、未来永劫……」


 青い青い、アズラの瞳。


 その美しい目からただ一滴、涙が流れ──それは頬を伝い顎から零れると、音も無くただ暗闇に溶け消えていった……。


  *



 ここまでお読み頂きありがとうございます。


 今話で第一章は終了となります。


 次回に登場人物紹介を挟みまして、第二章の開始となります。


 次章からはいよいよ生徒達へのデスゲームが始まりますので、どうぞご期待下さい。


 面白いと思って下されば是非、コメントやハート、★などで応援して頂けると執筆の励みとなります。


 また、同時に他の作品も連載しておりますので、お気が向きましたらそちらも覗いてみて下さると幸いです。


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