実験と、失敗


  *


『彼に施したのは、当時完成はしたものの成功率が今ひとつで、未だ実用化には至っていなかった術式だった。──そう、今では積極的にどの家畜にも使われ、我が王国の畜産業を飛躍的に発展させた魔法の一つ。【疑似子宮】の魔法だ』


 アクアは淡々と語る。既に先程流した汗は乾き始め、乱れた髪がべたりと額に貼り付いている。それを払う事もせず、虚ろな瞳の教師はただ口だけを動かし訥々と言葉を吐き続ける。


『【疑似子宮】はその名の通り、雄にも人工的に子宮を作り、出産を可能とする魔法だ。魔法が個体に合えば出産後に副作用は残らず、普通の成体と同じく食肉にする事が出来る。これを使えば、成体に育つ前の若い雄に出産をさせる事が出来、生産量を大きく増やせる見込みだった』


 自らの研究について述べる口調はただ事実のみを羅列するものに過ぎず、そこには何の感情も読み取れない。


 そのアクアの姿こそが狂気めいている、とブラスはただ固唾を飲んだ。


 一歩間違えば自分も股そうなりかねない恐怖を、ブラスは初めて体感する。研究に取り憑かれ、人の道を易々と踏み外した者の末路──深淵に魅入られた者の姿に、ブラスは己もそうなりかねない可能性を感じ、知らず身震いをした。


『しかし計算通りにはいかなかった。妊娠は出来ても、出産時に死亡する個体が少なくない割合で生じるのだ。術式そのものは完成したが、研究は行き詰まった。そんな時田、彼が現れたのは。──私は彼に【疑似子宮】を施し、実験してみる事にしたのだ。身体の大きな家畜と違い、人間の身体はコンパクトだ。また意思の疎通が出来る。失敗の原因を探れる筈だと思ったのだ』


 一方、ブロンゼはスクリーンの向こうにいる三人を睨みながら、無意識に自分の腹に手を当て、痛みを感じているかのように顔を歪ませていた。


 ブロンゼの家であるブロディオ伯爵家は騎士の家系だ、騎士には馬がつきものである。ブロンゼも当然幼少の頃から馬に慣れ親しんでおり、また領地には馬だけでなく牛や羊を飼育している大きな牧場もあった。


 勿論、領地の牧場でもアクアの開発した術式は使われているのだろう。それを考えると、ブロンゼは複雑な感情が胸の内でモヤモヤと蠢くのを感じて奥歯を噛んだ。


『牛や馬にそうしてきたように、彼の腹の中に疑似子宮を形成し、胎児の種を植え付け育てさせた。種には大きさなどを考慮して豚を使った。胎児は順調に育っていった。腹の大きさが目立ち始めた頃、月が満ちて出産のタイミングとなった』


 王子がゴクリと喉を鳴らした。腕の中のシルヴィアは耳を塞いで小さく縮こまったままだ。ゴールディはそんなシルヴィアの事を愛おしく思い、しかし心の半分はアクアの話の顛末が気になって仕方が無かった。


『彼はとても苦しんだ。疑似子宮の出産には排便と同じ孔を使用する仕組みだったが、胎児が腹の中を通る際に詰まってしまった。挙げ句の果てに──彼の臓物は出産に耐えきれず、腹の中で破裂してしまったのだ』


 ひ、と誰かの喉から引き攣ったような短い悲鳴が聞こえた。


 ──魔法が発達したこの王国では、物理的に患者や怪我人に治療を施す【医療】という技術はさほど進歩していない。大抵の病気や怪我は、治癒魔法や神聖魔法、或いは魔力を帯びた薬草を精製した薬で間に合っていたからだ。辛うじて、体内の大まかな臓物の位置を理解している程度の知識しか無いのが通常だった。


 そんな状況ゆえに、【疑似子宮】が引き起こす家畜の死亡に関しても、何が失敗の原因だったのかが突きとめられずにいたのだろう。家畜の死体をわざわざ解剖して調べるなど、最初から頭に無かったに違いない。


 しかし幸か不幸か、人体実験を行った所為で原因が突き止められたのだ。──犠牲は、相当の物だったが。


『彼の腹の中はぐちゃぐちゃに乱れていて、私が使える最も高度な治癒魔法でも追い付かない程だった。彼は一生、自力で排便を出来ない身体になってしまったよ。しかし彼のお陰で失敗の原因が分かったのだ。私は彼にとても感謝しているよ』


 きっとそれはアクアの本心なのだろう。──この先ずっと通常の生活を送れなくなってしまった『彼』の事を思い、スティールはぶるりと身を震わせそして肩を竦めた。


 何でも無い事のように語られる『彼』の人生、きっとそれはアクアにとっては本当に何でも無い事に違い無かった。アクアがそんな事があった後も平然と教師を続けていた、その事実こそが雄弁にそれを物語っていた。


 スティールはスクリーン越しにアクアの虚ろな瞳を見詰める。アクアには我々の事は見えているのだろうか。もし見えていたとしても、きっとアクアにとっては何ら関係の無い事なのだろう、とスティールは唇を歪めた。


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