決意と、接吻


 *


「お帰りなさいませ、お嬢様。──おや、予定より些か早いように思われますが?」


 聖プラチナム学院の敷地内にある学生寮。その一角にある自室に引き上げたアメリアを出迎えたのは、背がずば抜けて高く純白の長髪に眼鏡の青年──アメリアの専属執事、ディアマンテス・ディアマントであった。


 学院に設けられた寮とはいえ、王族や高位貴族の子女達も住まう建物である。セキュリティは言うまでも無く万全、その内装や調度品も一級品だ。加えて、専属の護衛や使用人専用の部屋まで各室に併設されている。公爵家の屋敷とは比べるべくもないが、充分に居心地の良い環境であることは間違い無いと言えるだろう。


 アメリアはいつもそうするように、絨毯の上に更に敷かれたふかふかと毛足の長いラグの上でハイヒールを脱ぎ捨てる。自室には彼女とこの執事の二人しか存在しない、誰にも咎められる事の無い解放感にアメリアは少しだけ息をつく。


「王子に婚約破棄されたわ」


「ほう……?」


 アメリアはドレスのまま大きく柔らかなソファーに腰を沈め、緩く瞼を閉じて背凭れに身を預ける。その表情は相変わらず仮面のように動かないが、艶のある唇からは微かに溜息が漏れた。


「予想はしていたけれども、まさか今日、それも卒業パーティの真っ最中に全校生徒の前で宣言するとは思わなかったわ。しかも両陛下に了承を得ているとの発言付き。本当かどうかは分からないけれどもね」


「それはそれは……なかなかに大胆な。第二王子にそのような度胸があったとは」


「わたくしも驚いたわ」


 ディアマンテスが慣れた手付きでローテーブルに茶器を置く。カップの中身はリラックス効果のあるハーブティだ。柔らかな香りがふわりと立ち昇る。


 カップと共に置かれた小皿にアメリアは手を伸ばし、盛られた小さな砂糖菓子を優雅に口へと運んだ。菓子は舌の上でほろほろとほどけ、上品な甘さが広がってゆく。


「して、如何なさいます?」


 長身を屈め片膝を突く執事の切れ長の瞳が、眼鏡越しにアメリアの紅い瞳を見上げた。その眼の色は透明感を帯びた純白だ。背中の中程まである長い髪も雪のように白く、室内を照らす魔法の灯りを受けて真珠の如き煌めきを放っている。


 アメリアはハーブティを口に含むと、少しだけ首を傾げた。暗銀色の巻き髪がさらりと流れる。


「そうね、むしろ好都合だわ。今晩決行してしまいましょう」


「宜しいので? 始めてしまえば長丁場になりますが……お疲れではないですか?」


 少し心配そうな色を滲ませた執事の問いに、しかしアメリアは再びカップを口に運びながら言葉を零す。


「大丈夫よ、別に疲れてなどいないわ。──いつでも決行出来るよう、既に準備は万全なのだし。それに……」


 アメリアの瞳が少しだけ憂いの色を帯びる。ディアマンテスはただ無言でアメリアを見詰めている。


「……あの王子と男爵令嬢のこれからを考えると、わたくし、少しだけ胸が躍るの。──あらわたくしったらもしかして、あの二人に嫉妬しているのかしら? まさか、ね……」


 珍しく饒舌な、弾むように言葉を紡ぐアメリアの口許は、微かに、ほんの僅かに綻んでいた。


 ディアマンテスはつられるように微笑むと、優雅に立ち上がり、一歩アメリアの傍へと身を寄せる。それは執事としてはあるまじき距離だったが、ディアマンテスは躊躇う事無く主人で或るアメリアの手を取った。


「──お嬢様」


 アメリアは執事の行動を咎める事無く、少し伏せた瞳のまま重ねられた手を眺め遣った。


 執事の長くしなやかな指が、壊れ物を扱うかのようにアメリアの手から黒いシルクの手袋を脱がせてゆく。露わになる白く華奢な手は滑らかで、しかし深紅に塗られた形の良い爪はどこか妖艶な香りがした。


 美しい所作で腰を折り、執事がアメリアの手の甲にくちづけを落とす。さらり、白く艶やかな髪が流れる。アメリアは何も言わずその光景を見遣り、微かに長い睫毛を震わせた。


 ディアマンテスは唇を離すと、不意に顔を近付け彼女の耳許で囁いた。


「お嬢様。自分は何があっても貴女様の味方でございます。ええ、──例え世界中が貴女の敵となろうとも」


 その言葉は毒薬めいて甘く。


 だからアメリアは、鋼鉄令嬢<アイアンメイデン>は、緩やかな微笑を湛えただ、深く頷いたのだった。


 *


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