鋼鉄令嬢アイアンメイデンは処刑聖女に進化する!
神宅真言(カミヤ マコト)
序章:鋼鉄の、令嬢
破棄と、婚約
*
「──アメリア・アイアン・アメーディン公爵令嬢! 今ここで、貴様との婚約を破棄する!」
その声が響いた瞬間、広い会場は静寂に包まれた。
──王立聖プラチナム学院の豪奢な大ホール。時は今まさに、卒業パーティの真っ只中。卒業生のみならず全校生徒が参加する中、全員の目が声を発したゴールディ・ゴルダ・ゴルディアナ第二皇子に一斉に集まる。
それはパーティの開始に際し、卒業生代表として一段高くなったステージに立ったゴールディ王子が、スピーチを終えた直後の事だった。拍手を受けてステージから降りると思われた王子が突然、アメリアの名を呼び高らかに婚約破棄を宣言したのだ。
輝くような金髪を煌かせたゴールディはその青空の如き碧眼を怒りに燃え立たせ、アメリアを睨み付ける。
王子の視線を真っ直ぐに受け留め、アメリアは血のような深紅の瞳で王子を静かに見返した。その瞳の色はただただ平たんに凪いでおり、整った美しい顔には何の表情も浮かんではいない。
アメリアは肌を隠す長袖のドレスに身を包み、暗銀色の豊かな髪を結い上げて何筋かの巻き髪を垂らしていた。マーメイドラインを描くドレスは黒で染め上げられ、髪と同じ暗銀色のコルセットが上品な輝きを放つ。白磁の肌と相まって、あたかも夜の女神を思わせる姿だ。
対するゴールディ王子は白地に黄金の刺繍で彩られたフロックコートに身を包み、少し癖のある金髪を煌かせている。それはまさに黄金の名に恥じぬ、太陽の如き佇まい。
──何もかも、対照的な二人。
大きなホールの中は痛い程の沈黙が支配している。時が止まったかのように、皆が皆物音一つ立てられず二人を見詰めていた。緊張の中、誰もが金縛りに合ったかのように動けぬまま成り行きを凝視する。
──パチリ。
不意にアメリアが扇を打ち鳴らした音が、静寂を破る。
「どういう、ことですの?」
アメリアの澄んだ静かな声が、艶やかな唇から零れた。その感情の籠らない台詞に導かれるようにして、皆が詰めていた息を密やかに吐く。
そして王子自身も、我に返ったかのように慌てて言葉を紡ぐ。
「どうもこうも無いだろう! アメリア、貴様がシルヴィアに行った非道な行為の数々、忘れたとは言わせぬぞ!」
ゴールディは怒りを露わにしながら憎々しげに言葉を吐いた。その蒼い瞳は義憤に燃えており、もはや婚約者だった者に向ける親愛などひとかけらも無く、憎悪の色を宿している。
「シルヴィア……? シルヴィア・シルバリス男爵令嬢の事を仰っているのでしょうか。非道な行いと言われましても身に覚えがありませんが……それが本当だったとして、彼女とわたくしに、ひいてはゴールディ王子とわたくしとの婚約に何の関係が?」
尚も無表情で言葉を紡ぐアメリアの様子に、王子は端正な顔を歪ませた。
「身に覚えが無いだと、何と白々しい事を! 貴様がシルヴィアに行った非道の数々、きっちりと聞き及んでいるぞ。そのような外道な者、我が妻に相応しい筈が無いではないか! ──それに」
王子の表情が不意に柔らかくなり、アメリアとは別の方向へとさっと手を差し延べた。
「シルヴィア、おいで」
途端、人垣がさっと割れ一人の少女の姿が露わとなった。
そこに現れたのは、青みがかった銀髪を結い上げ、淡い水色の可愛らしいドレスを纏った瑠璃色の瞳の少女。王子の呼び掛けにおずおずと歩みを進める姿は愛らしく、彼女が動く度に清純そうな白銀のコルセットは輝き、ふわり広がったドレスの裾が揺れ動いた。
「ゴ、ゴールディ様……」
少女──シルヴィアが困惑の色を滲ませながらも王子の許へと歩み寄る。ゴールディはシルヴィアの手を取るとステージへと上がらせ、彼女の腰を抱き寄せた。
「我はシルヴィアと心通わせ、初めて真実の愛を知った! アメリア、貴様のような冷徹な女との婚約を破棄し、我はシルヴィアと婚約する事に決めたのだ!」
優越感に溢れた表情で見下ろすゴールディに、アメリアはしかし無言で二人を見返した。そして人形めいた無表情のまま、手に持った精緻な装飾の施された漆黒の扇を再び、パチリと鳴らす。
「──そうですか。しかし王家と公爵家との間に結ばれた婚姻は、個人の問題だけに留まりません。ゴールディ様とわたくしとの約束というよりは、王国の為に交わされた王家と貴族家との公的な契約という意味合いが強い。……この事、両陛下はご存じなのですか?」
アメリアの口にする台詞は冷静を極め、ただ淡々と零れ出る。そこには棘も、非難の色すらも滲まない、ただひたすらに透明な言葉であった。その事実に王子は内心些かたじろぎながらも、それを表情には出さずアメリアをただ睨む。
「無論、そのような事は理解しているとも。貴様に言われるまでも無い! 既に父上と母上には報告済みだ!」
「了解致しました。それならば、わたくしからは何も申し上げる事はございません。──失礼致します」
眉一つ動かさぬまま、アメリアは優美な所作で淑女の礼をとった。そして皆が注目する中、流れるような動きで二人に背を向ける。
余りにも呆気ない展開に、アメリアの自然な立ち居振る舞いに、一瞬ゴールディは呆然と立ち尽くした。しかし彼女が歩き出すに至ってようやく、は、と我を取り戻す。
「ま、待てアメリア! 言う事はそれだけか、何も申し開きする気は無いのか!? 謝罪し、許しを請うつもりは無いというのか! このままでは貴様は、場合によっては罰も──」
背に掛かる王子の慌てたような台詞に、アメリアは足を留め立ち止まる。彼女は振り返り今一度ゴールディに向き直ると、何の感情も浮かべぬままに、形の良い唇を開いた。
「両陛下がお認めになったならば、既に決定事項なのでございましょう? ならば今更わたくしが何を申し上げたところで意味を成さぬ筈」
「う、そ、それは、確かにそうなのだが……」
「ならばわたくしが此処に留まる理由はございません。存在自体がお目汚しになりましょうから、退去させて頂きます。──ごきげんよう、皆様」
そして軽く周囲に会釈をすると、アメリアは今度こそ王子達に背を向けて真っ直ぐに出口へと向かった。道を作るように割れた生徒達の間を堂々と歩む彼女を引き留める者は、もう誰もいない。
会場中が無言のまま、ゴールディさえも何も口に出来ぬまま、皆は立ち尽くしアメリアを見送る。最後までアメリアは人形の如き無表情を崩す事無く、ホールの大きな扉の前に立った。
魔法式の扉がアメリアを感知して自動的に開き、彼女が通り過ぎるとその扉はまた元通りにゆっくりと閉じた。そのパタンという小さな音がホールに響き、そこにいた皆は知らず詰めていた息をそっと吐いた。
ざわりと、囁きがさざ波のように場に満ちてゆく。
「──あんな事があっても無表情を崩さないなんて、まさに『鋼鉄令嬢』ね」
誰かがぼそり呟いた言葉。
──鋼鉄の令嬢、アイアンメイデン。それはアメリアに与えられた不名誉な渾名。
いつも無表情で完璧な立ち居振る舞いと厳格な言動の彼女は、その色彩も相まって、古えの拷問器具に例えられていた。
学年での成績は常に首位であり、公爵という高い地位も相まって、アメリアには敵も多かった筈だ。その忌まわしい名は、彼女を嫌う者達のささやかな意趣返しだったのだろう。しかし彼女を体現するかのようなその名前は、いつしか瞬く間に学園中に広まっていた。
「アメリア……」
ゴールディはシルヴィアを抱いたまま、アメリアの消えた扉をただ眺めていた。ようやくあの冷徹な女に引導を渡してやったと言うのに、胸の内は晴れない。どころか、黒く燻るもやのような不安が心の奥をチリチリと炙り続けている。
知らず噛んだ奥歯の音が、生徒達の不快な囁き声が、ゴールディの耳の中でいつまでもこだましていた。
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