紫陽花の予言

ぽつぽつとと小雨程度だった雨が、シャワーのように強くなる。

私の顔と体は汗で濡れているのか、雨で濡れているのか、とうとうわからなくなった。

とうやく最近慣れ始めた、体の不調を隠すためのナチュラル風メイクは、すっかり落ちてしまっただろう。

不摂生により、吹き出物や目の隈だらけの自分のスッピンを、すれ違う人に見られたくなくて、俯いた。


あの日、社長に気づかれないようにこっそりスキップした道を、私は脇目も振らず全力疾走していた。

すれ違う人々は皆、自信ありげに走るトレーニング姿の人や、相合い傘を楽しむカップルばかり。

きっと、私のような惨めな思いをしながら、この場所を通る人はいないだろう。

悲しさを振り切るように、入社したばかりの頃に買ったオフィススーツが雨に濡れるのも気にせず、脇目も振らず、より全力疾走していた。このまま息ができなくなって、倒れてしまえればどんなに楽か。


気づけば、古くからある落ち着いた高級住宅街を走り抜け、目黒川を見下ろせる、あの公園に来ていた。

あの飲み会の日、コンビニでお酒を調達した後にフラフラとたどり着いた思い出の場所。

ベンチに座って、地元よりは見えないけれど、雲一つない星空の下、風を受けながら飲んだ100円ちょっとのレモンサワーは、居心地の悪い密室で飲む、ちょっとお高めお酒よりずっと美味しいと思った。


紫陽花がすで咲き始めていた。

その色は、紫よりも青に近い、白とのグラーデーション。

もしかすると、今1番見たくなかった色だった。

色が移ろいゆく様子から、「浮気」を意味する花言葉。

「やっぱり、そういうことなのかな……」


あの日、互いの幼少期の話から、中高時代に流行していたマンガの話など、初めて仕事以外の話をした。

こんなふうに自分の事を話したのは 面談の時以外なかったのではないか それくらい私たちはお互いに無関心すぎた。

すでにスマホの時計は3時を回っていた。もう終電で帰るという選択肢など消えており、4年もの間、何故こんなことを聞かずに今日まで来られたのか、と思うほど、たくさんのことを語り合った。


「この会社は楽しかったですか?」


社長がふと急に、こんな事を言ったのは、もう夜が明け始め、紫から赤紫のグラデーションが美しく広がる空になった時。すでに眠気のピークは消えていた。


「どうしたんですか?急に」

お酒の力もあったのか、横に座っていた社長の太腿に、自然とボディタッチができるまでになっていた。

「僕は、君に甘えすぎて、大学生活のほとんどを奪ってしまったと思ったんです」

「いきなりなんですか?」

「僕は、君にこの会社に来てもらえて良かった。本当に助かったんです」

「それなら、いいじゃないですか」

「でも、君にはもっと良い場所で、大学生活を楽しむチャンスがあったはずなのに、僕のせいで奪ってしまったんじゃ……」

私は、社長の顔に自分の顔を自然と近づけていた。

「私が好きで選んだことを、何故社長に否定されないといけないんですか」

「そういうわけじゃ……」

「じゃあ良いじゃないですか」

そう言うと、これもお酒の力だろうか、自然と社長の体に抱きついていた。

社長が、私も好きな柔軟剤を使っていることを鼻腔で知り、体が熱くなった。

「私、社長と一緒に4年間過ごせたこと、本当に良かったと思ってます」

私がそう言うと、社長が私の体を力強く抱きしめてくれた。


その後は、少し歩いた先にある、社長の一人暮らしのアパートに一緒に行き、玄関先で無我夢中で体を互いに貪りあった。

人との距離を当たり前に取っていた私が、人と距離が全くないことの安心感と心地よさを知った。

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