すべてを奪われた少女は隣国にて返り咲く 3

 ウォレスと手を繋いで宿の外に出たサーラは、馬車の側に立っていた人物を見てひゅっと息を呑んだ。


(お……怒ってる…………)


 そこには、赤茶色の髪に黒い瞳の、背の高い美丈夫がいた。

 近衛の下士官の服ではなく、騎士にのみ許される鎧と兜をまとい、腰に剣を佩いて――ああそうか、今回の功績か、それとも身分を取り戻したからかで騎士に昇格したのだと、頭の隅の方で冷静な自分が判断する一方で、向けられる強い怒りに身がすくむ。


「おにい……シャル」


 ここでは、兄と呼ぶわけにはいかないと言いなおすと、シャルは黒い瞳をすがめ、そして礼を取った。


「ご無事で何よりです」


 その他人行儀な言い方に、心臓がぎゅっとなる。

 けれども、サーラが馬車に乗り込む直前、そっと耳元で「この馬鹿」と怒られて、怖かったのにホッとした。


「帰ったら俺と父さんと母さんで説教だ」


 シャルがぼそりと低い声で宣言して、馬車の扉を閉める。

 説教、と言われて頭が真っ白になったサーラの頭を、隣に座るウォレスがどこか楽しそうな顔で撫でた。


「帰ったら、しっかり怒られておいで」


 かばってくれる気はないらしい。

 まあ、自分が悪いので仕方がない。仕方がないのだけれど――あんなに怒った顔をしたシャルははじめてで、もうすでに泣きそうだ。怖い。

 マルセルは同乗しなかったので、馬車の中はウォレスと二人きりである。

 気を使ってくれたのだと思うけれど、馬車が動き出すとともに肩に腕が回って、ぎゅっと引き寄せられたのでさっきの熱がぶり返してきて落ち着かない。


「バーシェ男爵の邸まではここから二時間くらいかかるから、その間に話しておこうか。聞きたいだろう? シャミナード公爵の件」


 サーラはハッとした。

 そうだ。シャミナード公爵が「殺された」とウォレスは言った。その言い方から察するに、処刑されたという意味ではないはずだ。

 どういうことなのかと顔を上げると、ウォレスが苦笑いを浮かべる。


「シャミナード公爵が殺されたのは、今から二十日ほど前のことだ。そして、殺したのは、シャミナード公爵の娘、レナエル・シャミナードだ」


 サーラは大きく目を見開いた。

 一体どういうことだと、問いたいのに声が出ない。

 ウォレスはなだめるようにサーラの肩を撫でながら続けた。


「あの日の前日……、レナエルが父親が処刑される前に一日でいいから共にすごしたいと訴えて、その訴えが認められる形で、一日だけ親子で同じ部屋を使うことが許された。けれども翌朝、メイドが朝食を運んで行くと、そこには血だらけでたたずむレナエルと、ベッドの上で死んでいるシャミナード公爵の姿があったんだ。侍医が言うには、シャミナード公爵は失血死。頸動脈を切断されていて、それが直接死につながった傷だと判断されたが、それ以外にも、公爵は全身をナイフでめった刺しにされていた。睡眠薬が検出されたことと、抵抗のあとがなかったことから、眠っている間に殺害されたのだと思われる」

「めった刺し……」


 それは、ものすごい憎悪を感じさせるような殺し方だとサーラは思った。

 ウォレスは続ける。


「その後、レナエルは別室にて取り調べられた。彼女は誤魔化しもせずに、ただ淡々と、微笑みすら浮かべて、こう言った。――父親のことが憎くて憎くて、ずっと、この手で殺してやりたいと思っていた、と。その機会を与えてくれて感謝しているとまで、ね」

「なぜ……」


 それは、シャミナード公爵が自分の目的のためにレナエルを利用したからだろうか。

 ガラス球のようだったシャミナード公爵の瞳を思い出す。

 あの男に、親としての情が宿っているとはどうしても思えなかった。

 自分の目的以外になんら興味を抱いていないような、そんな感情の欠落した目をしていた。

 ウォレスはそっと息を吐き出す。


「理由は、彼女の兄、フィリベール・シャミナードだ」


 フィリベールは、生まれたときから体の弱い子供だったらしい。

 サーラもディエリア国にいたときに、シャミナード公爵家には体の弱い次男がいると聞いたことがあるので、それは間違いないことだろう。

 白い髪に赤と言っても過言でないほど赤みの強い茶色の瞳。

 アルフレッドによると、色素の薄いシャミナードはおそらく「アルビノ」だろうとのことだった。言い換えれば色素欠乏症。データ自体少ないが、統計でみると、アルビノは生きていくうえで必要な色素が足りないせいか、体が弱く病気になりやすく、だからこそ寿命も短いのだと言っていた。


「シャミナード公爵は、そんなフィリベールを欠陥品と呼び、長らく、邸から一歩も外に出さなかったらしい。レナエルはそんな可哀想な兄のことが大好きで、情の薄い家族の中で、唯一心を許せる存在だったそうだ」


 そんなフィリベールに転機が訪れたのは、今から三年ほど前のことだったという。

 体の弱かったフィリベールは大人になるにつれて少しずつ体調が安定するようになっていた。

 そして、ずっと部屋に閉じこもって暇さえあれば本を読み、レナエルがフィリベールにべったりなために彼女につけられていた家庭教師が彼もいっしょに面倒を見はじめて、彼の非凡さが浮き彫りになった。


 フィリベールは、信じられないくらいに頭のいい男だったのだ。

 そしてフィリベールは、ヴォワトール国に嫁ぐのが嫌だと、フィリベールと離れたくないと泣くレナエルのために、その非凡な頭で考えた。

 フィリベールにとっても、レナエルは唯一の家族だったからだ。


「シャミナード公爵の計画のために自分を使えと、フィリベールの方から提案したらしい。自分のこの珍しい外見を利用して人心を掌握すれば、計画が楽に進められるだろう、と。そしてフィリベールは、レナエルとともにヴォワトール国に来た」


 そして、フィリベールは神の子を名乗って暗躍し、ヴォワトール国を奪うためにシャミナード公爵の手ごまになった。すべてはレナエルのために。彼女のそばに、いるために。


 けれども、レナエルは、当たり前のように自分たちを利用するシャミナード公爵に深い憎悪を抱いていた。自分だけではない。これまで欠陥品と呼んでただ死ぬのを待つかのように部屋に閉じ込めていたフィリベールまで使用する父を、殺したいほどに憎んでいたのだ。

 しかし、父の計画がうまくいけば、レナエルはフィリベールとずっと一緒にいられる。だからこそこれまで黙って従っていたが、シャミナード公爵の計画が失敗したことで、これまで抑え込んでいた憎悪が爆発した。

 そして――その憎しみのまま、その手で父親を殺した。


「レナエルは微笑みながら言ったよ。レナエルは処刑を免れる可能性があったけれど、そんな温情はいらないと。フィリベールが処刑されるのならば、同じ日に一緒に殺してほしいと。……そして二人は、ディエリア国に送還された。そのあとでどうなるかはわからないが、彼女の希望を叶えるために兄上が一筆書いたと言っていた。……一緒に死なせてもらえるかどうかは、ディエリア国王の温情にかかっているだろうが、希望が叶えばいいと思う。フィリベールの処刑は、覆せないだろうからな」


 小さく震えたサーラの体を、ウォレスはぎゅうっと抱きしめる。


「シャミナード公爵は死んだが……私は一生、あの男を許せそうにない。許す必要もないだろうが……あの男は、本当に、どれだけの悲しみを生んだのか……できることなら、それを理解させてから殺したかった。何を言っても理解しなさそうだから、無駄なことだろうが、それでも」


 シャミナード公爵は自身の息子を欠陥品と呼んだが、サーラに言わせれば、欠陥品はシャミナード公爵本人だったように思う。

 生まれつきなのか、育った環境なのか、あの男は感情が欠落していたのだろう。


 雪の日に――彼の髪のように、あたり一面が白に覆われたあの日に、サーラを見て微笑んだフィリベールを思い出す。

 父親があの男でなければ、フィリベールにも、レナエルにも、違った未来があっただろう。


 他人を想って憤るウォレスの背中に腕を回す。

 優しい優しい王子様。

 サーラが、彼と一緒にいられる未来を作ってくれた、王子様。


 この人の横で、サーラは一生、優しすぎる彼を支えて生きて行こうと心に誓って、そっと目を閉じた。






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