すべてを奪われた少女は隣国にて返り咲く 2
ほんの少しでも離れていたくなくて、ウォレスとぎゅっと抱きしめあっていると、しばらくしてコンコンと控えめに扉が叩かれた。
ウォレスが小さく舌打ちして顔を上げる。
「なんだ?」
扉の外に問いかけると、少し間があって「時間です」とマルセルの声がした。
(って、マルセルさんもいるの⁉)
驚いた後で、護衛であるマルセルがいるのは当然かと気づく。
第二王子が、しかもセザールが王位はいらないと明言したため現在王太子になることが内定しているも同然の世継ぎの王子が、ひとりでふらふらと国境近くまで出かけられるはずもないのである。
馬車を使っても二週間近くかかる道のりだ。マルセルだけではなく、ぞろぞろと護衛を引きつれているはずで――そこまで考えて、サーラの顔から血の気が引いた。
国が混乱してものすごく忙しい中、サーラ一人を迎えに来るために何人が護衛としてついてきたのだろう。
周囲からのウォレスの心象が悪くならなければいいけれどと不安になったが、当の本人はけろりとしたものだった。
「もう夜になるし、泊ればいいじゃないか」
「バーシェ男爵に邸を借りる約束をしておいて、何を言っているんですか」
「そういえばそんな約束をしたな……」
バーシェ男爵は、ここ、イヴェール侯爵領内で侯爵軍の指揮官として働いている。そのため領内に邸を構えており、それが隣町にあるらしい。とはいえ男爵本人は一年のうちのほとんどをイヴェール侯爵邸で過ごしているため、邸は管理人に任せているらしい。
「だいたい、泊るにしてもこの宿では警備するのが厳しいので移動していただく必要があります」
「はあ……仕方ない」
心の底から面倒くさそうにウォレスが嘆息し、サーラの手を取って立ち上がらせる。
目じりをそっと指の腹で撫でて、甘い甘い笑みを浮かべた。
「目がウサギみたいに真っ赤になっている。あまり時間はないが、少し冷やしておいで」
指摘されて、サーラはぱっと顔を覆った。さすがにちょっと恥ずかしい。
宿に置かれている水差しの水でタオルを濡らして、目元に押し当てる。
そうしている間に、ウォレスがサーラの荷物を持って、扉の外のマルセルに押し付けた。
「五分待て」
「わかりました」
五分で目元が元に戻るとは思えなかったが、あまりもたもたしていてはバーシェ男爵家に到着するのが遅くなる。
サーラが必死になって目元を押さえていると、ウォレスの笑い声が近づいてきて、そっと頭が撫でられた。
タオルで視界を塞いでいるので、急に触れられてびくりとする。
ウォレスの手がサーラの髪を梳き、頭皮を撫で、うなじをくすぐる。
「あの……」
「うん?」
「くすぐったいので、その……」
それからものすごく恥ずかしい。
少し冷静になってみれば、泣きじゃくって縋り付いて、衝動に突き動かされるままにずっとキスをしていたちょっと前の自分に赤面しそうだ。
いや、すでに顔が真っ赤になっている気がする。
「じゃあ、こうする」
ウォレスがうなじをくすぐるのをやめて、背後から包み込むようにサーラを抱きしめる。
「君を抱きしめていると落ち着く」
「わ、わたしは落ち着きません……」
心臓が、どうにかなってしまいそうだ。
背後から回っているウォレスの手がもぞもぞと動き、胸の下の、実に際どい所まで這い上がって来た。
「本当だ。ドキドキいってる」
胸に触れるか触れないかのギリギリのところに添えられた大きな手に、サーラは目が回りそうになった。自慢できるような胸ではないが。というかあるのかわからない胸だけども。これはない! 心臓が壊れる!
「あ、もっと早くなった」
「ウォレス様!」
「二人きりのときはその名前でいいけど、サーラはこれから、オクタヴィアンって呼ぶ練習もしなくちゃだめだな」
「殿下で――」
「殿下呼びは禁止。なんか他人行儀だから」
(何それ意味がわからない!)
いやむしろ、今のこの状況がわからない。
「さて、五分って言ったのにだらだらしていたらマルセルが怒りそうだから、そろそろ下りないとね。目、見せて」
サーラの目の上からタオルが奪われて、その下にあった真っ赤な顔に、ウォレスがぶはっと噴き出す。
「目元がましになってもこの顔じゃああんまり変わらないな!」
誰のせいだと思っているのだと、真っ赤な顔をしたサーラは抗議を込めてウォレスの胸をポカリと殴った。
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