九年前の真相 3

「なぜディエリア国の元公爵令嬢が……。いや、いい。今はそんなことを訊いている場合じゃなかったね」


 セザールが軽く頭を振って、すっと手のひらをサーラに向けた。


「君の話は後だ。さあ、この人事表についての話の続きをどうぞ」


 笑みの消えたセザールの対の目は、まるでサーラを値踏みしているようだった。

 ウォレスがそっと手を伸ばして、膝の上のサーラの拳に手のひらを重ねる。


(こんなこと、ただの侍女にしたらダメでしょうに)


 別れてから、ウォレスはサーラに不用意に触れないように気を付けていたようだった。

 それなのに、ここにきて堂々と触れてくるのか。

 セザールは表情を変えなかったが、ジュリエッタが目を丸くしている。

 未来の花嫁候補の前で、他の女の手を握るべきではないだろうに――まったく。


(でも、こうしていると安心するわ)


 今だけだから、大目に見てくれないかと、サーラはちらりとジュリエッタを見て思った。

 すべてが終われば去ることになるのだから、今だけは、と。


「この赤い印が入れられた貴族は、過去十年以内にディエリア国の貴族令嬢を娶ったか、もしくは我が子をディエリア国に嫁がせた人たちです。そして、レナエル妃がセザール殿下に嫁ぐことが内定してから新たに第一王子派閥に加わった人物――いえ、正確には『レナエル妃派閥』と言い換えることができるかもしれませんね。彼らは第一王子派閥のようで、その実はまったく別の派閥の人間です。そうですよね?」


 赤い印がつけられた貴族を調べているとき、サーラが最初に覚えた違和感は、同じ第一王子派閥内に落差があることだった。

 おかしいと思ってアルフレッドにも確認したところ、印がつけられていた第一王子派閥は、昨年新しく派閥に加わった貴族であることがわかった。

 けれども、ラコルデール公爵に嫌疑がかけられた際に、第二王子派閥から第一王子派閥へ移ろうとした新参者は冷遇されているようなので、ただ単に新しく加入した派閥の人間を厚遇しているわけではないのだとわかる。

 そしてさらに調べているうちに、彼らはディエリア国の貴族と過去十年以内に縁を結んだ人物だとわかった。――それも、ディエリア国のシャミナード公爵の縁者、もしくは派閥内の人間と、だ。


 それは何故なのか。

 偶然だったのか、それとも必然だったのか。

 考えているうちに、ばらばらに思えていた事柄の間に、一つにつながる糸が伸びていることに気が付いた。


(贋金事件も神の子も、不老不死の秘薬も、もしかしたらフェネオン伯爵の死も……、すべてがつながっていたのよ。お父様とお母様が冤罪で処刑されたあの日から)


 すべて、シャミナード公爵の手のひらの上。

 セザールが頷いたのを見て、サーラは息をつく。


「……ディエリア国には、いまだに、ヴォワトール国をよく思っていない貴族がいます。もともとディエリア国の一部だった国を認めることができず、元をたどればディエリア国の伯爵家の血筋が、奪い取った土地で王を名乗っていると不満に思っている一派が。そして、再び一つの国にしようとする動きが。その筆頭が――シャミナード公爵です」


 サーラは、間違っていたのだ。

 父と母は、サーラがヴォワトール国に王女のかわりとして嫁ぐ最有力候補であったから罠に嵌められ殺されたのではなかった。

 父と母が――プランタット公爵夫妻が、シャミナード公爵に賛同しなかったから消されたのだ。


「プランタット公爵令嬢だったわたしはかつて、ヴォワトール国に嫁ぐことが内定していました。レナエルではなくわたしが、両殿下どちらかの妃になることになっていたんです。シャミナード公爵はずっと、その日を待っていた。王女ではなく自分が動かすことのできる貴族令嬢がヴォワトール国に嫁ぐのを」


 ディエリア国の国王は穏健派だ。ヴォワトール国を奪い取ろうなどとは露とも考えていない。むしろこの先も友好的な関係を続けていきたいと考えている。ヴォワトール国から嫁いだ正妃との仲も良好な、とても穏やかな人物だ。


 もし、国王夫妻の間に王女がいたならば、シャミナード公爵の計画は最初から頓挫していただろう。

 けれども、国王夫妻の間には王子しか生まれなかった。

 両国間の協定で、ディエリア国からヴォワトール国に、王女もしくは王女に準ずる令嬢を嫁がせなければならないことは決まっていた。

 王女不在のこの時代、シャミナード公爵にとって、最大のチャンスが巡って来たというわけだ。


「わたしの両親は、国王陛下と考えを共にする穏健派でした。ヴォワトール国を奪い取ろうなんて露ほどにも思っていなかった。けれども、血筋と年齢を考慮した結果、最有力候補にはわたしの名前が挙がった。……シャミナード公爵は、わたしの両親を自分の派閥に引き込もうと考えたようです。けれども、父と母は、それを断った。それどころか、シャミナード公爵の考えに気づき、諫めようとした。そして――罪を捏造され、処刑されました」


 これが、アドルフたちに聞いた真実だ。

 サーラの乳母であったグレースと、父プランタット公爵の信頼が厚かったアドルフは、両親が殺された真実を知っていた。

 すべてを知っていて、サーラには秘密にしていたのだ。

 笑うことすらできなくなっていた幼いサーラに、これ以上の心の傷は必要ないだろうと判断して。

 真実を知ったところで過去が変わるわけではないなら、自分たち二人の胸の中にとどめておこうと、優しいアドルフたちは判断したのだ。


「シャミナード公爵はずっと……ディエリア国の王女ではなく貴族令嬢がこの国に嫁ぐことが決まってからずっと今日まで、準備を重ねてきていたんです」


 セザールがどこまで気づいていたのかはわからない。

 だが、サーラがここまで伝えたことは想定していたのだろう。驚く様子はなかった。

 ジュディットは目を見開いて固まっているが、これはアルフレッドたちに話したときもそうだったので普通の反応だろう。

セザールの隣に座っているダングルベール伯爵は平然としているが、彼の場合はセザールと協力して今日まで準備や調査を行ってきたのだろうから当然だ。


「うん、おおむね僕の予想通りだね。ディエリア国の元公爵令嬢がオクタヴィアンの陣営にいたのには驚いたけど、これは嬉しい誤算だ。では元公爵令嬢なら、この件がいつ本格的に動き出すかわかるよね」


 五月に、シャミナード公爵が来る。セザールはそのことを言いたいのだろう。

 けれどもサーラは、首を横に振った。


「セザール殿下。本格的に動き出すのは来月ではありませんよ」


 サーラはウォレスを見た。

 これは、セザールも知ることができなかった、ウォレスのお手柄だ。


(ウォレス様が下町に目を向けなければ、気がつくことはできなかった)


 そして、サーラと出会わなければ、わからなかっただろう。

 これはウォレスが手繰りよせた運命だ。

 平民と馬鹿にせず、対等に笑いあうことができる彼の美点が生んだ、必然。


「兄上。シャミナード公爵は、もう動いていたんだ。去年から……」


 セザールが、綺麗な紫色の瞳を、これでもかと見開いた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る