人事表の違和感 3

 青いスカーフと言えば、リジーの手紙にあった神の子のファンの人間たちの特徴である。

 彼らは赤と白のカメリアの刺繍の入った青いスカーフを首に巻いて、頻繁に集会を行っているそうだ。

『不老不死の秘薬』が、彼らから配られたのであれば、この件にフィリベール・シャミナードの関与が疑われる。


(一体どういうこと……?)


 考えても答えが出なかったので、お茶を飲んだ後は、サーラは休憩をもらって自室に引き上げた。

『不老不死の秘薬』や神の子のファンのことはいったん頭の隅に追いやる。この件についてはアルフレッドも引き続き調べているので、続報を待った方がいいだろう。

 サーラはそれよりも、セザールがよこした赤い印がつけられた人事表の謎を解明しなければならなかった。


 新旧の人事表に赤い印が入った人事表、そして気づいたことをメモできるように紙とペンをライティングデスクに並べる。

 そして、赤い印が入れられた人物の名前を、貴族名鑑で調べていくことにした。

 印が入った人物はこれまで政にほとんど携わっていなかった人物が多いが、けれども全員がそうであるわけでもない。

 さらに言えば、新しく役職が与えられた人物だけかと思ったら、よくよく見ると、昔から要職についていた人物にも丸がしてあった。

 共通していることは、全員が第一王子派閥の人間ということである。

 しかし第一王子派閥の人間にすべて印が入っているわけでもない。


「第一王子派閥の人も、今回の人事の刷新で閑職に追いやられた人もいたし、この印は第一王子派閥内にある区別ってことよね。こうしてみると地方貴族が多いけど、全員じゃ……」


 ゆっくりと貴族名鑑をめくる。

 家族構成。家の歴史。いつ爵位が与えられたのか。どの家から派生したのか。功績。

 順番に調べていたサーラは、婚姻関係のところでふと手を止めた。


「……もしかして」


 紙にメモを入れて、次の貴族の婚姻関係に移る。次、その次、さらにその次。

 赤い印がついていた貴族全員の婚姻関係を調べたサーラは、勢いよく椅子から立ち上がった。


(もしかしてわたしは、重大な勘違いをしていたのかもしれない……)


 嫌な汗が背中に伝う。

 これは勘だ。

 いやな勘だった。

 けれども「それ」を仮定に入れ込むと、これまでのことにすべて説明がつけられる気がした。


「……確かめなきゃ」


 サーラは、ライティングデスクの上に散らかした人事表や紙をすべて引き出しの中に収めると、部屋から飛び出した。

 鼓動がどくどくと早鐘を打っている。

 階段を駆け下り、玄関から飛び出そうとしたところで、離宮を監視している兵士に呼び止められた。


「どこに行くんですか?」


 そうだった。サーラは今、監視をつけずに外出できる立場ではない。

 歯がゆく思っていると、「マリア」と背後から声がかかった。

 振り返るとウォレスが立っている。


「どこへ行くんだ?」

「サヴァール伯爵家へ、ちょっと」


 ウォレスは首をひねって、それからどこかわざとらしく「ああ」と頷いた。


「そうだったな。サヴァール伯爵家に、籠を返さないと。だがマリア、慌てすぎだぞ。肝心の籠を持っていないじゃないか」

(籠?)


 何のことだろうかと思ったが、くいっと顎をしゃくられたので、サーラは話に合わせることにした。


「すみません、うっかりしていました」

「そういうことだから、馬車の手配を頼む。監視は誰でもいいから一人つけておいてくれ。籠を用意したらすぐに戻る」


 監視の兵士は不思議そうな顔をしたが、「君も食べただろう?」と言われて合点したように頷いた。どうやらウォレスの言う「籠」はアドルフのパンを入れて運んで来た籠を指していたらしい。

 そんなものをいちいち返しに行くというのも怪訝に思われるのではないかと思ったが、籠を返すついでに新しいパンをもらうのだとウォレスが言うと、あっさり兵士は納得してくれた。


(お父さん、どうやらお父さんのパンのファンが増えたみたいよ)


 アドルフのパンは、監視の兵たちの胃袋もがっちりつかんでいるらしい。


(王子様に伯爵様に騎士にお城の兵士たち……。お父さんが聞いたら驚きすぎて卒倒しそうね)


 小さく笑って、サーラはウォレスの後についてダイニングへ向かう。

 ダイニングで仕事をしていたブノアに籠を用意するように頼むと、「それで?」と小声で訊ねてきた。


「サヴァール伯爵家に何をしに行くんだ?」

「確認しないといけないことができたんです。……九年前の、父と母の件について」


 ウォレスはわずかに眉を寄せると、わかったと首肯した。


「私も行こう。……私が知らないところで君が泣くのは、いやだ」

「もう泣きませんよ」

「泣かなくても、傷つくかもしれないだろう」


 それは、そうかもしれない。

 真実を知ると傷つくかもしれない。

 でも、知らなければいけない。


(本当にこの人は、過保護な王子様だわ)


 付き合う前も付き合っていたときも別れた後も変わらない。

 ただ、手を伸ばして触れられない、近くて遠い距離が、もどかしい――






 監視の兵を一人と、それから護衛のマルセルを連れて、サーラとウォレスはサヴァール伯爵家へと向かった。

 監視の兵は、サヴァール伯爵家までは同行するが、あくまで外に出る際についてくるだけなので、伯爵家の中での会話にまで聞き耳を立てたりはしない。

 セザールではなく、第一王子派閥の手配でよこされた監視ならこうはいかなかっただろう。

 サーラとウォレスが突然やって来たので、ジャンヌはとても驚いたようだった。

 先触れの一つくらいよこしてほしいという苦言に謝罪をして、アドルフとグレースを呼んでもらう。

 伯爵家のサロンにお茶の用意がされると、アドルフたちは不思議そうな、そして不安そうな顔をした。


「何か……状況が悪くなったんでしょうか?」

「いや、依然として芳しくはないが、今日は状況報告に来たんじゃない。……サーラ」


 マリアではなく、サーラ、とウォレスが呼ぶ。

 サーラは一つ頷いて、アドルフとグレースを見た。


「お父さん、お母さん。知っていたら、教えてほしいの」


 サーラは膝の上できゅっと拳を握り締めて、震える唇を軽く舐めてから続ける。


「どうして……お父様とお母様は、処刑されなければならなかったの?」






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