カウントダウン 3

 ああ、気分が悪い。

 四月六日の儀式の衣装を、最終確認をすると言ってお針子たちに着せられた時から、ウォレスはずっとイライラしていた。

 お針子たちに苛立っている気配を悟られるわけにはいかないので、表情を取り繕ってはいたが、楽しくもないのにがんばって微笑めば微笑むほど、さらに機嫌は降下した。


 サーラが、「よくお似合いですよ」なんて言うから。

 普段ならサーラに褒められると嬉しいのに、今日は全然嬉しくない。


 心の中で「似合ってたまるか」などと悪態をついて、ウォレスは真新しい儀式用の衣装に視線を落とす。――婚約式の、衣装に。

 これを見ると、否が応でも、「終わり」を意識せずにはいられない。


(今日を入れて、あと五日。……たった五日)


 サーラがウォレスのもので、ウォレスがサーラのものでいられるのは、あとたったそれだけ。


(時間が止まればいい)


 次にこの衣装に身を包むときは、ウォレスがほかの女と婚約するときだ。

 隣に立つのがサーラであるなら、重たくて窮屈な衣装も、喜んで身にまとうのに。

 サーラはいつも通りだ。

 サーラが悲しそうな顔をしたのは、バスルームで、婚約が決まったと伝えたあの日だけだった。

 あとはずっと微笑んでいる。

 いつも通りの、優しいサーラ。


(サーラはもう、気持ちに区切りをつけたのだろうか)


 ウォレスは、いつまでたっても区切りがつけられないというのに。

 もし、サーラがサラフィーネ・プランタットのままだったら、ずっと一緒にいられたかもしれないのになんて、未練がましいことをずっと考えている。

 マントの確認を終え、ようやく試着から解放されると、ウォレスはぐでんとソファに横になった。

 肉体的な疲労よりも精神的な疲労で、体を起こしているのも億劫だ。

 ジャンヌが「行儀が悪い」と怒ったがそれも気にならない。

 誰も自分の気持ちなんてわからないんだと、ささくれ立った気分になる。


「甘いものでも食べますか?」


 サーラがウォレスの顔を覗き込みながら訊ねてきた。


「……クイニーアマンが食べたい」


 何も考えず、無意識にそんなことを言っていた。


 クイニーアマンが食べたい。

 パン屋ポルポルの、あの甘く優しいパン。

 エプソン姿のサーラが笑って、丁寧に入れた紅茶を一緒に出してくれていた、あのパン。


 まだ半年も経っていないのに、脳裏に蘇る光景はウォレスをひどく懐古的な気持ちにさせる。

 あの日に戻れたところで何かが変わるわけではない。

 ウォレスが王子であるのは変わらないし、サーラが身分を剥奪された元公爵令嬢であることも変わらない。


 期限付きの付き合いはあの時も一緒で――、でもやはり、あの時は何かが違ったのだ。

 あの場ではウォレスは第二王子オクタヴィアンではなく「ウォレス」という一人の男で、だからこそ、ただのサーラの恋人としていられた気がする。


 それに、あのままだったら、結婚するその日までは、こっそり会えただろう。

 けれども城にいる以上、結婚までこそこそと交際を続けることは、ブノアもベレニスも許さないはずだ。

 なにより、父や母の耳に入るのが怖い。

 両親の耳に入って、サーラを遠ざけられることが、何よりも。


 ブノアとベレニスは、ウォレスがきちんと区切りをつけられるならば何も言わずに黙認してくれる。

 サーラと別れた後、ただの王子と侍女の関係になれるのならば、ウォレスからサーラを遠ざけずにいてくれるだろう。

 アルフレッドも、サーラの冷静な分析能力に利用価値を感じている。だから、サーラをすぐに城から追い出すようなことはしないはずだ。


 本当は、きっかりと離れたほうがいいのかもしれない。

 その方が気持ちに整理がつくだろう。

 けれどもどうしても、ウォレスはサーラを手放したくない。

 小さなつながりでもいい。

 手元に残しておきたかった。


(こんな不誠実な男と婚約させられるなんて、ジュディットも災難だな)


 幼馴染で従兄妹の顔を思い出して息を吐く。

 まあ、あちらもあちらで、ウォレスの愛情なんてこれっぽっちも期待していないだろう。

 そういう女だ。

 彼女もまた、心に別の男を住まわせている。

 だからこそまだ、気が楽だった。

 ぼーっとしていたからだろう、サーラが入れてくれた紅茶に、大量の蜂蜜を投入してしまった。


「甘い……」


 自業自得だというのに、顔をしかめて文句を言ったウォレスに、サーラは笑う。


「それはそうでしょうね!」


 どうして彼女は、笑えるのだろう――





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