不老不死の秘薬 2

 お風呂の準備が整ったところで、ウォレスをたたき起こしてバスルームに押し込んだ。

 まだ眠たそうにしていたが、入浴しているうちに目を覚ますだろう。

 ウォレスをバスルームに向かわせた後で着替えをすませ、サーラも手早く身支度を整える。


 サーラが身支度を終えたころに、ベレニスがジャンヌとともに登城した。今日からジャンヌがウォレスの侍女頭として復帰するので、ベレニスは引継ぎが終わればジャンヌにバトンタッチして侍女頭代理ではなくなる。


(侍女頭って言っても、ウォレス様の侍女ってわたしが来るまでは一人だったのよね。どうしてかしら?)


 ジャンヌが出産育児休暇に入るまではジャンヌ一人で、ベレニスが代理になってもやはりベレニス一人だった。

 普通、王子の侍女ともなれば数人はいるはずなのに、どうしてだろう。

 ジャンヌが侍女頭に復帰しても、子供が小さいため通いになるので、城に常駐するのはサーラだけである。


「マリア、殿下は?」


 ざっと部屋の中を確認し、以前と変化があるかどうかを調べながらジャンヌが訊ねた。


「入浴中です。それから、まだお酒が残っているようです」

「昨日はかなり飲んでいたみたいだからね。マルセルに飲みすぎるようなら止めるように言っておいたんだけど、役に立たない子」


 そう言いながら、ジャンヌはちらりと扉の内側に立っている弟に視線を向ける。

 勤務時間になって、マルセルも先ほど部屋に入って来たのだ。

 ちなみにマルセルは、廊下を挟んで反対側の部屋を賜っていて、休日以外は城住まいである。

 夜間の警備は扉の外の夜勤の衛兵だけだが、何かあったときにすぐに駆け付けられるようにしているのだ。専属護衛官は大変である。


 姉に睨まれたマルセルは表情をこわばらせて視線を逸らした。

 マルセルは、兄と姉に頭が上がらない弟である。

 サーラが、朝にターメリック入りの紅茶を飲ませたことを報告すると、ジャンヌが「それはよかったわ。ありがとう」とほめてくれる。


「朝食は消化によさそうなものにしてもらいましょう。マルセル、今日の殿下の予定はどうなっていたかしら?」

「午前は休みで、午後から騎士の公開演習を見て、その後執務室で書類仕事の予定です、姉上」

「そう。午後の公開演習はあなたも出席するのよね」

「ええ、まあ」

「殿下の専属護衛騎士として無様な真似をしないようにね」

「心得ています」


 ウォレスの相手をしているときよりも表情が強張っているマルセルが少し面白い。

 ベレニスが娘と息子のやり取りを微笑ましそうに見ているが、あまり微笑ましい会話でもないだろう。一方的に弟が頭を抑えつけられているようにしか見えない。

 マルセルの顔色が悪くなりはじめたところで、ウォレスが大きなあくびをしながらバスルームから出てきた。

 髪からはぽたぽたと雫が落ちている。


「マリア、髪を拭い……ジャンヌ⁉」


 まだ眠そうだったウォレスが、くわっと目を見開いて覚醒した。


「ジャンヌ、ではありませんよ。今日から仕事に戻ると言っていたでしょう? それより殿下、なんですその格好は! 髪の雫くらい拭って出てください! あーあー、絨毯が濡れてしまったではないですか!」


 ウォレスが、助けを求めるような情けない顔をサーラに向けた。


(なるほど、力関係はこっちもジャンヌさんが上、と)


 姉に怒られている弟にしか見えない。


「お母様が甘やかしたみたいですけど、わたくしが戻ったからにはきちんとしてもらいますからね!」

「……もう少し休めばいいのに」

「何か言いましたか?」

「なにも……」


 ウォレスがタオルを頭にかぶせてわしゃわしゃと拭きながら暖炉の前に腰を下ろす。

 可哀想になって来たのでウォレスの背後に回って髪を拭うのをかわってやると、ジャンヌが「甘やかす人がもう一人いたのね」と嘆息した。

 これは侍女の仕事のうちに入ると思うのだが、ウォレスの侍女の数が少ないからか、本人ができることはやらせるのがジャンヌの方針らしい。


 風呂上がりのウォレスに、ジャンヌがてきぱきと湯冷ましを差し出す。

 そして朝食のためのテーブルを用意すると、ベルでメイドを呼びつけて、朝食メニューの変更を指示した。パン粥をメインに、消化のいいものばかりである。

 ベレニスもそうだったが、ジャンヌも仕事ができる女性だ。


 髪を乾かし終わったころに朝食が運ばれて来た。

 一人分しか用意されていないのを見てウォレスが不満そうだったが、ジャンヌが来たからには、サーラと一緒に食事を摂るのは不可能だろう。ベレニスは目こぼししていたが、ジャンヌはたぶん怒る。

 ウォレスが「味がない」と文句を言いながら、パン粥を口に運んだ。


「蜂蜜を入れますか?」

「うん」

「マリア、甘やかさなくていいのよ。殿下、蜂蜜くらい自分で入れてください」

(もしかしなくても、ウォレス様がたまに甘えたがりになるのはこのせいなのかしら?)


 乳姉弟のジャンヌに厳しく教育されたのなら、誰かに甘えたくなるのもわかる気がする。

 不貞腐れた顔でウォレスがパン粥に蜂蜜を垂らした。

 ベレニスがウォレスの身の回りのことはジャンヌに任せて、サーラの朝食の準備をメイドに頼んでくれている。ベレニスとジャンヌは家で食べてくるが、サーラはまだだからだ。

 ウォレスが朝食を食べ終わり、サーラが朝食を摂るために控室に下がろうとしたとき、コンコンと扉を叩く音がして、マルセルが反応するより早く扉が開いた。


「殿下ぁー……って、ぎゃあ!」


 許可なく勝手に部屋に入って来たのはオーディロンだった。

 怖い顔で睨んできたジャンヌを見て飛び上がると、壁にべたりと張り付く。


「殿下、ではないでしょう! 主人の許可なく入室するなんて何を考えているの? オーディロン、そこに直りなさい‼」

「ひっ! は、母上、助け……」

「ちょうどいいから怒られなさい。あなた、言っても聞かないのだから」

 無情にも母親に助けてもらえなかったオーディロンは青ざめて他に助けてくれる人はいないかと室内を見渡し――、必然的に、サーラがロックオンされた。

「マリア! 叔父上を助けて!」

「返事があるまで入って来なければいいだけだと思いますけど……。ええっと、今朝は殿下のお仕事はなかったはずですけど、急用ですか?」


 急用ならばジャンヌの説教を受ける時間も惜しいだろうと問えば、オーディロンが「そう! そうなんだよ!」とぶんぶんと首を縦に振る。


「急用って、なんなの」


 仁王立ちのジャンヌに問われて、オーディロンはカニ歩きで横に逃げながら、ウォレスを見る。


「で、殿下を呼んで来いって兄上が。あっ、ついでにマリアも!」

(なんで?)


 アルフレッドがいるのはウォレスの執務室のはずだ。

 補佐官の彼は日中はウォレスの執務室で仕事をしていることが多い。


「侍女のマリアが、どうして必要なのかしら?」

「あ、兄上が……マリアの領分だって……」

(え、嫌な予感がするんだけど……)


 ――あなた、こういうことを解決するのは得意でしょう?


 以前、コルシェ子爵に容疑がかかった際にサーラを呼びつけてそう言ったアルフレッドの顔を思い出す。

 アルフレッドは、サーラを体のいい雑用係か何かだと思っているのだろうか。

 行きたくないなあと思っていると、ジャンヌが眉をひそめて弟に問うた。


「何があったの?」


 オーディロンは肩をすくめた。


「不老不死の秘薬の件、らしいよ」


 サーラは、ぞっとして自分の首筋を押さえた。





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