不老不死の秘薬 3

 まさかまた不老不死の実験のために血をよこせなどと意味不明なことを言い出すのではなかろうか――

 警戒しながらウォレスとともに執務室へ向かうと、難しい顔で書類の束に視線を落としていた黒ぶち眼鏡の男が顔を上げて、にこりと、腹に一物ありそうな笑顔を浮かべた。


 サーラは思わずウォレスの背後に回る。

 ウォレスが不思議そうな顔をした。


「マリア、どうかしたのか?」

「いえ……」


 両手で首を押さえてアルフレッドを伺っていると、彼が肩をすくめる。


「マリア、警戒しなくても、今日はあなたの血が目的ではありません」

「血⁉」


 ウォレスがギョッとした。

 マルセルも同様で、変質者を見るような視線を兄に向ける。


「兄上、マリアに何をしたんです?」

「何もしていませんよ、失礼な。若い娘の血に不老不死の力があるかもしれないから、少し血をくれませんかと提案しただけです」


 悪びれず宣ったアルフレッドに、ウォレスとマルセルが絶句する。

 オーディロンは一人、我関せずを貫いていたが、じろりとウォレスににらまれて「うへっ」と首をすくめた。


「オーディロン! お前、知っていただろう!」

「し、知っていたというか、アル兄上がそんなことを言い出した時に同じ馬車の中にいたというか……。いやでも誓って、アル兄上はマリアの血を盗んだりしていませんよっ」

「当たり前だ!」


 オーディロンは自分が悪くないと主張したいようだが、あの場にいて助け舟を出してくれなかっただけで充分悪い。

 助けて、とこちらを見てきたがサーラは知らん顔をして、アルフレッドと一定の距離を保ちつつウォレスとともにソファに腰を下ろした。

 マルセルもオーディロンもまったくと言っていいほど頼りにならないので、この場では絶対にウォレスの側から離れたくない。


「そんなに警戒されると、パパ、傷つくのですが」


 アルフレッドは、たいして傷ついてもいなさそうな顔で言う。


「自業自得だ! どこの世界に養女に血をよこせなどという父親がいる⁉」

「西の国の貴族女性は、養女にした孤児を殺してその血でバスタブを満たしていたらしいですよ?」

「マリアを殺す気か⁉」

「失礼な。殺しません。ただちょっとだけ血をもらえればよかっただけです」

(ちょっとでも嫌よ!)


 ちょっとならばいいという問題ではないのだ。


「ただの血に不老不死の力なんてあるはずないじゃないですか」

「ですから実験したかったんですが、まあいいです。その不老不死の秘薬ですけどね、見つけたんですよ」

「……は?」

「ですから、見つけたんです」


 アルフレッドは頭がおかしくなったのだろうか。

 本気で変人の脳内を心配していると、彼はわずかに眉を寄せた。


「ちょっと前に貴族女性の間で『不老不死の秘薬』とかいう怪しげな薬が出回っていると聞きまして調べていたんですよ。……まさかマリア、私が何の理由もなく不老不死の秘薬の話をしたと思っていたんですか?」


 思っていた。何故なら変人だからだ。


「マリアなら何か知らないかと思って聞いてみただけです。若い娘の血の話はまあ、話しているうちにちょっとした興味がわいただけでして」

「そんなものに興味を持つな! だからお前は変人なんだ!」


 ウォレスが頭を抱える。

 まったくその通りだ。


「それで、なんだその不老不死の薬というのは。私は知らないぞ」

「そうでしょうね。表には出ていませんから。違法薬を取り締まっている部署から、何か妙な薬が出回っているという噂を聞いたので、私が個別に調べていただけのことですし」


 違法薬――それはすなわち、アヘンなどの精神に問題ある依存性の高い麻薬である。

 昔、海を渡った東の国からアヘンが入り込み、貴族の間で流行したことがあった。

 国を傾けるほどの大問題を引き起こし、アヘンは流通、所持、使用すべてにおいて厳しく取り締まられることとなったが、一定周期で似たような薬が出回ることがある。

 そのため、国には国が違法と定める薬を取り締まる部署があった。


(ただ、医療に使う麻酔薬もあるから、厳密な線引きが難しいとは聞くけど)


 アヘンも元をただせば麻酔や鎮静剤として輸入されたものだった。

 アヘンに変わる麻酔や鎮静剤の開発を急がせているそうだが、現時点ではアヘン以上に有効なものがなく、医療現場においてのみ、厳重な管理の下で保持と使用が許可されている。


 アヘン以外にも、薬として使われるものの中で、精神に危険な作用をもたらすものは存在しており、それらを国が認可を出した医療機関の外へ持ち出すことは禁じられていた。

 しかし人は、禁止されると欲しくなるのか、隙を見ては危険な薬を所持、使用しようとする。ゆえに国が取り締まるための部署を作ったのだ。


 確か、法務省の中にある。

 少し前まで軍部の中にあったらしいが、不正に所持していた人物から押収したその薬を、軍部の人間が、あの一種の体育会系のノリで使用してからは法務省に移されたらしい。脳筋の多い兵士たちには危険薬物の監督は荷が重いと判断されたようだ。


「法務省の人間も噂の信憑性がどれほどのものかもわからなければ、不老不死の薬とかいうものが依存性のあるものなのかもわからないとかで、調査に踏み切るか踏み切らないかで迷っているらしいです。ただ放置もできませんからね。私の独断で調査することにしました」

(独断って……。いやでも、まあ、何の危険性もないものかもしれないものね)


 何でもかんでもウォレスに上げていたら、ウォレスがパンクしてしまう。

 ゆえに補佐官は、ウォレスに報告が必要かそうでないかの線引きをしているはずだ。

 変人という一点を除けば優秀らしいアルフレッドである。ウォレスのためを思って情報を伏せていたのは間違いないだろうが――、サーラの中での養父の評価はすでにどん底なので、どうしても彼が自分の興味を優先させたように思えてならない。


「それで、わかったのか?」

「わかりませんが、現物が手に入りました。私の元婚約者が……ええっと、今はセシャン伯爵夫人でしたっけ。彼女が義姉からもらったらしいんですけどね、なんか怪しそうなので調べてほしいと持って来たんですよ。持つべきものは元婚約者ですね」

「お前とセシャン伯爵夫人の関係は良好なのか険悪なのかわからんな」

「極めて良好ですよ。これをくれたときも、『仕事バカのおもちゃにはちょうどよさそうだから、あげるわ』と」

「思い切り嫌われていると思うが⁉」


 まったくだ。

 そんな嫌味を言われて関係が良好だと思えるから、きっとアルフレッドはいろいろ言動がおかしいのだろう。

 マルセルも、常識とずれまくっている兄に額を押さえている。


「彼女は昔から口が悪いのでいつも通りです」

「セシャン伯爵夫人は口が悪いのではなく、お前が怒らせていただけだ!」


 サーラはセシャン伯爵夫人に同情した。一時とはいえアルフレッドと婚約関係にあった彼女は、さぞ大変な思いをしただろう。会ったこともなければ顔も知らないが、きっととてもできた女性に違いない。サーラなら一日と持たないだろう。養父と養女の関係ですら解消したくて仕方ないのだ。

 ウォレスがこめかみを押さえて、ソファの背もたれにぐったりと寄り掛かった。


「それで、現物とは?」

「これです」


 アルフレッドは鍵付きの引き出しから金色の小瓶を取り出した。

 いや、金色の小瓶ではない。中の液体が金色なのだ。


(……なに、それ)


 金の色をした液体を、サーラは未だかつて見たことがない。

 ウォレスも怪訝そうな顔をして、前のめりになった。

 我関せずを貫いていたオーディロンも、極力兄に関わりたくないとばかりに空気のように静かだったマルセルも、目をしばたたいて小瓶に見入っている。


「……金、なのか?」

「わかりませんが、マリア、金は液体になるのですか?」

「常温では固体です。常温で液体になる金なんて、わたしは知りません」

「まあそうですよね。常温で液体になられたら、金貨として使えません」


 その通りだが、微妙にずれた感想だ。


「これ、飲めるのか?」

「元婚約者曰く、飲み薬だそうです」

「そうか」

「飲みますか?」

「いらん!」


 怪しげな薬を王子に勧める補佐官はどうなのだろう。

 ウォレスが断るとわかっていたにしろ、不謹慎だ。

 アルフレッドは小瓶を揺らしながら肩をすくめる。


「不老不死というものになれるのかどうかには興味がありますが、さすがに中身がわからないものを口にするのは躊躇われますからね。……誰か実験体になってくれる人はいないものか」


 血は飲めても、これは嫌らしい。


(それで他人を実験体にしようと考えるあたり、この人の倫理観はどうなっているのかしら?)


 小瓶を揺らしながら室内を見渡したアルフレッドは、末弟に視線を止めた。


「オーディロン。あなた、二十歳になったときにもうこれ以上老けたくないって言っていましたよね。どうです? 不老不死になってみませんか?」

「ひっ!」


 ロックオンされたオーディロンが真っ青になる。


「もし死んでもちゃんと埋葬してあげますよ」

「お前は悪魔か!」


 にこりと微笑んだアルフレッドの手からウォレスが小瓶をひったくった。

 アルフレッドに持たせておくと危険だと判断したのだろう。

 残念そうな顔をしたアルフレッドが、ウォレスに奪われた小瓶を見て、それからサーラに視線を移す。


「それでマリア。この薬、どう思いますか?」

「どうと言われても、成分分析にかけないとわからないと思います。見た感じ金属が溶けたもののように見えますけど、常温で液体の金属なんて――」


 サーラは途中で言葉を止めた。

 頭の隅に何かが引っかかったのだ。


(常温で液体の金属。……金色の液体。そういえばどこかで……)


 すぐに思い出せないから、もしかしたらサーラがまだサラフィーネ・プランタットのときの記憶かもしれない。


「何かわかったのか? 常温で液体の金属なんて、私は水銀くらいしか知らないが……」

「水銀……」


 別名、辰砂。

 その昔、農薬にも使われていたと聞いたことがある。そして――


「殿下! この城の書庫に、海を渡った先にある東の国について書かれた書物はありますか?」

「あると思うが……それがどうした?」

「わたし、これと同じものを知っているかもしれません!」


 ヴォワトール国は建国してまだ二百年足らずとまだ歴史が浅い。

 だから知られていないのだろうが、ディエリア国で四百年ほど前に、似たようなものが出回ったことがあったはずだ。


「子供のころに歴史書で読んだことがあります。確か『金丹』という名前だったはずです。調べてください! 東の国から入って来たものなので、記述があるかもしれません」

「金丹、ですね。オーディロン、調べてきなさい。人手が足りなかったら書庫の役人も使って、できる限り急ぎなさい」

「わ、わかりました!」


 実験体にされかけて青ざめていたオーディロンが慌ただしく部屋を出て行く。


「サーラ、それで、金丹とは?」

「わたしもうろ覚えですが、確か水銀に金を溶かした液体です。海を渡った先の東の国の皇帝が、不老不死の薬として愛用していたと聞いたことがあって、ディエリア国でも四百年前に高値で輸入されたものです。……当時の国王陛下が愛用し、そしてしばらくして亡くなりました。水銀は毒ですので」

「これが同じものだと?」

「成分を調べないとわかりませんが、可能性はあります」


 ウォレスがさっと表情をこわばらせた。


「アルフレッド、すぐに成分を調べろ! それから法務省に連絡して、『不老不死の薬』の所持と使用をすぐに取り締まらせるんだ!」

「御意」


 いつになく厳しい顔をしたアルフレッドが、ウォレスから『不老不死の薬』を受け取って部屋を飛び出していった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る