お酒の日 2

 ウォレスと約束した時間より五分早くパン屋の玄関前に出たサーラは、すでにはじまっていたお祭りの喧騒を眺めていた。

 パン屋ポルポルは大通りに面しているから、お祭り騒ぎの大通りの様子がよく見える。


 どうやら今年は大道芸人も来ているようだ。

 国に禁止されている奇跡のような芸は披露しないが、彼らは別に、トリックを使った芸を披露するためにいるわけではない。というより、トリックを使う芸以外のほうがメインである。

 少し離れたところに、顔に派手な化粧をした青年だか中年だかよくわからない細身の男が、大きな玉の上に乗っていろいろなポーズを決めている。

 落ちそうで落ちない大道芸人に、子供たちがきゃあきゃあと歓声を上げて見入っていた。


 あの玉乗り芸を披露しているのは呼び込み役のようだ。

 西の四番通りの近くで一時間後に芸を披露すると、子供たちに手を振りながら宣伝している。


 ぼーっと玉乗りをしている芸人を眺めていると、こちらに向かって歩いてくる二人の男を発見した。

 ウォレスとマルセルである。

 今日は大通りが祭りでごった返しているので、馬車を使わず歩いてきたようだ。

 ウォレスがサーラを見つけて、笑顔で片手をあげる。

 マルセルがぺこりと小さく会釈した。


「待たせたかな」

「いえ、大丈夫です。待っていません」


 ウォレスはコートの上にマフラーを巻いていた。

 ワンピースの上に薄いコートを羽織っただけのサーラを見て、自分のマフラーを外してサーラの首に巻いてくれる。


「今日は少し冷えるからね」


 ウォレスの使っている香水の香りが少しばかり移っているマフラーに、サーラはちょっとドキドキしながら礼を言った。


「さて、もうはじまっているみたいだ。最初はどこに行こうか。……マルセル、さっきも言ったが、ついてきても構わないけれどその場合は離れてついて来いよ。ブロック一つ分ぐらい」

「いくらなんでもそれでは離れすぎです」


 マルセルがあきれ顔をしたが、「邪魔にならないようにします」と肩をすくめて答える。


(大変ね、マルセルさん……)


 護衛としては、できるだけウォレスに張り付いていたいだろう。けれども離れていろと命令されたら従うよりほかはない。

 距離を取りつつ護衛をするのは骨が折れそうだ。


「サーラ、行こう。とりあえず、何か食べたい」


 王子が毒見なしに露店の食べ物を買い食いしてもいいものだろうか。

 サーラは差し出されたウォレスの手を見て、困ったように眉を下げる。


「あの……」


 さすがに堂々と手を繋いで歩くのはまずいのではないかと思った。


「ほら」


 サーラが躊躇ったのを見て、ウォレスが強引にサーラの手を取る。


「ウォレス様、あの、手をつなぐのはやっぱり……」

「手を繋いでいるのが見られたくないならこうすればどうだ?」


 そう言って、ウォレスがサーラと手をつないだまま、自分のコートのポケットに手を入れた。


(余計まずいわよ!)


 サーラはぎょっとしたが、ウォレスはどうやらこれが気に入ったらしい。

 サーラがマルセルを振り返ると、我関せずという顔をしていた。


(ウォレス様は内緒って言葉の意味を知っているのかしら?)


 手を離してもらおうとするも、しっかりと握り締められてしまっていて無理だった。

 そのまま何食わぬ顔でウォレスが歩き出してしまう。

 サーラが周囲の視線を気にしていると、ウォレスが楽しそうに笑った。


「これだけ人が多いんだ。誰と誰が手を繋いでいるとか、そんなことを気にする人間なんていやしない。それに今更だろう。前も手をつないで歩いた」

「……そうですけど」


 そう言われれば、今更な気がしてきた。

 サーラが変に意識しすぎなのだろうか。


「スープでも飲んで温まりたいが、スープだけでもいろいろありそうだな」

「そうですね。ええっと、あっちの肉屋のおばさんが出している露店は、ポークシチューです。あとは、白熊亭のおじさんが出しているのはちょっとピリ辛の野菜スープですね。あっちはポタージュみたいです」

「おすすめは?」

「体が温まるのはピリ辛スープですかね」

「ではまずそれを買いに行こう」

「……ウォレス様、ちなみにお金は」


 まさかまた財布に金貨だけを詰めてきたのではあるまいかと警戒すると、彼は得意げに口端を持ち上げる。


「今日は銅貨も銀貨も持っている。私も学習するんだ。……さすがに財布に入りきらないほどのお釣りは困るからな」


 その場合困るのはウォレスではなく釣銭を押し付けられるマルセルだろうが、そこは突っ込むまい。

 サーラはホッとしつつ、自分のコートのポケットを叩いた。


「まあ、わたしも持っていますから、銅貨がなくなったら教えてください」


 露店の商品は銅貨数枚で買えるようなものばかりである。金貨どころか銀貨での支払いも迷惑になるだろうから、できるだけ銅貨で支払った方がいい。

 するとウォレスは眉を寄せた。


「私はデートで女性に金を払わせるようなことはしない」


 いや、そういう問題ではないのだが。

 サーラの一言はウォレスの妙なプライドを刺激してしまったらしい。少しばかり拗ねたような顔になったので、ちょっと焦る。

 ウォレスが拗ねると面倒くさくなるのは、前回で嫌というほど理解したからだ。


「でも、銀貨や金貨は出さない方が……」

「銅貨がなくなればマルセルに両替させる。そのために銅貨をたくさん持たせているからな」

「……そうですか」


 本当に、マルセルはご愁傷様である。

 護衛をここまで自分に都合よく使うのは、ウォレスくらいではなかろうか。

 ウォレスとともに白熊亭が出している露店へ向かうと、リジーが「白熊さん」と呼ぶ色白で体格のいい店主が目を細めた。


「アドルフんとこの嬢ちゃんじゃねーか。デートか?」

「そうだ」

「案内です」


 ウォレスとサーラの回答がかぶる。

 案内だと言ったサーラを、ウォレスがじろりと睨んだ。


(だからデートって肯定しちゃダメなのに……もう!)


 いつどこで誰が見ているかわからないというのに、ウォレスはどうして気にならないのだろう。

 白熊さんは目を丸くした後で豪快に笑うと、スープと一緒に肉団子の串焼きを二本くれた。


「肉団子はおまけだ。そっちに座って仲良く食べな」

「ありがとうございます」


 ウォレスがスープ二つの代金である銅貨四枚を出して、二人は露店の横に置かれている木の長椅子に座った。長椅子の前には小さなテーブルも置いてある。

 さすがに手をつないだままでは食べられないので離してもらった。


「安いが、美味いな」

「そうですね」


 スープを一口飲んだウォレスが機嫌よさそうに笑う。

 少しピリッとした刺激のあるスパイシーな野菜スープはさっぱりしているがしっかりと出汁がきいていて、おまけでもらった肉団子にあう味だった。

 ぺろりと肉団子とスープを平らげて、ウォレスがハンカチで手を拭う。


(あ……)


 白いハンカチの隅に見覚えのある刺繍が見えた。

 ウォレスの二十歳の誕生日の翌日にサーラがプレゼントしたハンカチである。

 ちょっぴり照れながらウォレスに遅れて食べ終えたサーラも、自分のハンカチで手を拭った。


「次はどうします?」


 肉団子とスープだけではウォレスの腹は膨れまい。

 お昼時なのでたぶんお腹がすいているはずだ。

 リジーがパレットが出している露店にも来てほしいと言っていたが、あそこは菓子屋なので並んでいるものはデザートばかりである。向かうなら食後がいいだろう。

 スパイシーなスープで体も温まったので、歩きながら食べたいものを探してもいいだろうか。

 ウォレスが立ち上がってサーラに手を差し出した。


「そうだな。少し見て回りたい。行こう」

「わかりました」


 今度は、自然とウォレスの手を取る。

 スープのおかげか、ウォレスの手のひらが、さっきよりも温かくなっていた。




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