お酒の日 1
「よーし、今日は飲むぞ!」
朝から、父アドルフはとってもうきうきしているようだ。
十一月一日。
今日はお酒の日である。
昨日のうちから下町の大通りは準備をはじめていて、露店やかがり火が並んでいた。
例年通りお酒もたくさん準備されているようである。
「あまり飲みすぎないでくださいね」
グレースが苦笑しながら、朝食のパン粥を出した。
お酒をたくさん飲む気でいるアドルフのために、朝ごはんは胃に優しいものにしたのだ。
楽しそうなアドルフに対して、明日の朝まで夜通し警備に駆り出されるシャルはげんなりしている。
仕事だから酒は飲めないし、夜はだいぶ冷え込むようになってきたしで、兄のテンションはかなり低い。
休憩のときに、ホットワイン――それも、ぐつぐつ煮立たせてアルコールを飛ばし、蜂蜜をたっぷり入れて甘くした子供向けの――を飲んで体を温めるくらいしか許されないそうだ。
サーラは、甘いホットワインも好きだが、シャルはあまり甘いものが得意ではないのだ。
パン粥をかきこんだアドフルは、ターメリックをブレンドしたお茶を飲んで準備万端である。
「じゃあ、俺は行くよ」
朝食を食べ終え、支度をすませたシャルが肩を落としながらダイニングから出て行った。
一階の裏口がぱたんと閉まる音がする。
「サーラも今日はデートでしょう?」
「デートじゃなくて、ただの案内よ、お母さん」
ウォレスと付き合っていることは内緒だ。
グレースもアドルフも勘ぐってはいるようだが、絶対に肯定してはならない。
「あらでも、せっかくだし、おしゃれしていきなさい」
ふふふ、と楽しそうにグレースは笑う。
乳母で、生さぬ仲の母であるグレースはしかし、サーラを実の娘のようにかわいがってくれる。それはアドルフも一緒だ。
嬉しいけれどちょっとだけくすぐったくて、サーラは笑って小さく頷く。
「ちょっとだけ、ね。失礼じゃない程度には、うん、身だしなみには気を付けるよ」
「しっかりおしゃれをすればいいのに。せっかく可愛いんだから。なんなら久しぶりにお母さんが髪を結ってあげましょうか?」
「いいって! お母さんがやったら派手になるから」
サーラはやんわり断って、支度をすると言って三階の自室に上がった。ウォレスが迎えに来るのは昼だが、ダイニングにいては母に揶揄われそうだと思ったからだ。
グレースは残念そうな顔をしていたが、母は腐っても元子爵夫人である。幼くして貴族社会から離れたサーラと違って、グレースは貴族の夫人としてセンスを磨いてきた人間だ。母に任せると、どこぞのお嬢様だと言いたくなるような姿に変身させられるのである。
隣を歩くのが、あのとんでもなく端正な顔立ちをしたウォレスともなれば、サーラが無駄に着飾れば悪目立ちしてしまう。
ほどほどがいいのだ。ほどほどが。
「……でもまあ、少しくらいなら」
サーラは化粧台の上に置いてある化粧道具を見る。
夏のパーティーのときに使用した化粧道具で、パーティーのあとでお土産に持たされたものだ。
スズランの香りの香水もある。
昨日お風呂で入念に全身を洗ったし、髪もオイルで整えたから艶々だ。
「……ドレスはまあ、ないけど」
クローゼットを開いてちらりと淡いブルーのドレスを見たサーラは首を横に振る。第一あれは夏物だから今は季節外れだし、さすがに下町の祭りをドレス姿で闊歩できない。
「このピンクのワンピースかな。可愛いし……。でもこれ……」
襟が詰まったワンピースだからか、余計にない胸が目立ってしまう。
サーラはクローゼットの奥底に封印している、例の補正下着を一瞥した。
着るか。それともやめておくべきか。
ウォレスはサーラの胸がぺたんこなのを知っているので、今日突然胸が大きくなったら絶対にあの下着の存在を疑うだろう。何故ならウォレスがサーラにプレゼントしたものだからだ。それはそれで恥ずかしすぎる。
「…………違うワンピースにしよ」
サーラは補正下着の存在を頭の中から追い出すと、深みのある緑色をしたワンピースを手に取った。これならばピンクのワンピースよりはない胸が目立たないだろう。Aライン、万歳。
今日は祭りを見て回るので、歩きやすいヒールのない靴を出す。
ウォレスからもらった淡いブルーのリボンと、それから小さなサファイアのネックレスも準備した。
丁寧に顔を洗って肌を整えてから、化粧台の前に座って薄く化粧をする。
丁寧に髪を梳ってリボンでまとめ、服を着替えてネックレスをつけたサーラは、時計を見て「あー……」と思わず声を出した。
「……まだあと二時間もある」
いくら何でも、準備をはじめたのが早すぎた。
ウォレスが来る時間まで、本でも読んで時間を潰していようとベッドの縁に腰かけたが、内容が全然頭に入ってこない。
(落ち着かない……)
ウォレスとのデートは、馬車の中の出来事を除けば、彼に告白された日以来である。
どうやら、自分が思っていた以上に、今日が楽しみだったようだ。
サーラは頭に入らない本を閉じて、時計に視線を向ける。
結局ウォレスが迎えに来るまで、ずっと時計を見ていた。
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