精霊の祟り 4

 二日後の朝、サーラはシャルとともに東の一番通りにあるウォレスが別宅として使っている邸へ向かった。

 ウォレスとシャルとともに遠出だと言えば、リジーが拗ねて大変だった。お土産を買って帰ると言って何とかなだめたが、あの目はまだ納得していないようだったなとそっとため息を吐く。


 隣を歩くシャルの眉間にはずっと深いしわが刻まれていた。

 ウォレスがサーラを連れて隣の領地へ向かうのがよほど気に入らないらしい。


(本当に過保護なんだから)


 シャルは昔からこうだ。

 それこそ、サーラとシャルが兄妹になる前――サーラがサラフィーネ・プランタットを名乗っていたころからである。

 こんな様子だから、ご近所さんに「シスコン」という不名誉なレッテルを貼られることになるのだ。


「あの男は何なんだ」


 二日前と同じことをシャルは言う。


「サーラは知っているんだろう?」

「知っているけど、それは本人の口から聞いて。わたしが勝手に口にできることじゃないの」


 シャルを連れて行くことにした時点で、ウォレスはシャルに自身の身分を話す気でいるはずだ。

 おそらく邸についてすぐ、シャルには説明があるだろう。

 シャルは深い眉間の皺を、さらに深くした。


「……相当の身分なのか?」

「まあ、そうね。……でも、悪い人じゃないわ」


 ウォレスのせいで面倒ごとに巻き込まれることもあるが、根は悪い人間ではない。少なくともサーラは、そう思っている。

 むしろ第二王子で、現在王位争い中であることを考えると、優しすぎるきらいがあるくらいだ。

 もっとしたたかに、腹黒く、時には他人を切り捨てることも是とするような冷酷さを持ち合わせていないと、王という職業には向かないかもしれない。


 しかし逆に、ウォレスのような「善人」が王なったら――、そして、彼がその本質を変化させることなく玉座にあり続けることができたら、この国の国民は幸せだろうなとも思えた。

 そんなことを思うのはおかしいだろうか。


(たぶんわたしは、ウォレス様のことが嫌いじゃないのよね)


 最初は迷惑だった。

 権力を持った人間と関わり合いにはなりたくなかったから、近づいてこないでほしいと思った。

 でも気がつけば、ウォレスはけっこうサーラの懐に入ってきている気がする。

 今回も巻き込まれて困ったなと思ったが、苛立たしくは感じなかった。不思議だ。


「ついたわ。ここよ」

「……ここ、か?」


 サーラが門の前で足を止めると、シャルが驚いているような、それでいて怪訝そうな顔をした。

 無理もない。

 目を見張るほど大きな邸だが、庭は相変わらず殺風景で、外から見る限りまるで生活感がないからだ。

 そしてそれは中に入っても同じなのだが、ここで説明する必要はないだろう。

 ここはウォレスにとって、下町で行動するためのただの仮住まいなのだ。ウォレスの身分を聞けば、シャルもおのずと納得するはずである。


 ウォレスから、門の通用口から入ってくるように言われていたので、サーラは躊躇わず通用口を開いた。鍵はかかっていない。

 門から玄関まで伸びる、わざと蛇行するように作られている石畳を進み、玄関前に立つ。


 呼び鈴を鳴らすと、玄関を開けてくれたのはマルセルだった。

 ブノアは今日の朝一番に、花柄エプロン持参でポルポルを訪れたので不在である。今頃はご近所のおばさま方を魅了する微笑みを浮かべながら店番をしているだろう。罪作りな紳士である。


「お待ちしておりました、サーラさん、それからシャルさん」

「シャルで結構です。さん付けで呼ばれるとむず痒いんで」

「そうですか。それではシャルは俺についてきてください。ウォレス様がお待ちです。サーラさんは母から説明を受けていただけますか?」

「……母?」


 今日はマルセルの母親がいるのだろうか。

 サーラが首をひねると、マルセルは「ああ」と小さく笑った。


「言っていませんでしたか。ベレニスは俺の母ですよ」

「え⁉」


 サーラはここ最近の出来事で一番驚いた気がした。ウォレスが第二王子と知った時以来の驚きである。


(ってことは、ブノアさんがマルセルさんのお父さん⁉)


 言われてみればどことなく似ているような気がしなくもないが、ぱっと見で親子だとわかるほどでもない。


「似てないでしょう? でも血のつながりのある親子ですよ。どうも俺は祖父に似ているらしくて」

「なるほど……」

「では、サーラさんは母から説明を受けてもらってもいいですか。行きましょう、シャル」


 シャルは少し不安そうな顔でちらりとサーラを見たが、諦めたようにマルセルのあとをついていく。

 マルセルがシャルを連れて去るのと入れ違いで、正面の大階段からベレニスが降りてきた。


「お出迎えできなくてごめんなさいね。こちらに来ていただけますか? 荷物はあらかた準備をしたので、確認をお願いできればと思います」


 普段は泰然としている、厳格な家庭教師のようなベレニスが、珍しく少し慌てている気がする。


(まあ、二日で準備を整えろなんて無茶を言われたら、大変よね)


 同情しつつ、サーラは急ぎ足で、けれどもベレニスが眉を顰めない優雅さを保ちながら階段を上り、バタバタとメイドが出入りしている部屋へ入った。


「城から侍女のお仕着せを持って来させましたので、試着してみてもらえますか?」


 そう言ってベレニスに押し付けられた侍女のお仕着せは、サイズ違いで三着もあった。服なんて多少ぶかぶかでもいいと思うのだが、「城の侍女見習い」という立場で行く以上、サイズのあっていない服を着させるわけにはいかないのだろう。


 メイド一人と衝立の奥に押し込まれ、サーラは急いでサイズ違いの三着に袖を通した。

 お仕着せのサイズが決まると、それと同じものが五枚もトランクに詰め込まれる。

 ほかに下着類やストッキング、靴、化粧品……。身一つで来ればいいと言われたが、本当に何もかもを手配してくれたようだ。


 その数、トランク三つ分。

 サーラの準備が終わると、ベレニスは慌ただしく隣の部屋へ向かう。隣にはシャルの荷物が用意されていて、足りないものがないかの最終確認をすると言う。

 ちなみに、シャルの服のサイズは、市民警察の制服のサイズを聞き出しておいたため、試着は必要ないとのことだった。

 用意されたのは騎士服と、あと部屋着類など、マルセルと同じ枚数が用意されたと言う。


「それでは準備をしましょうか。まずはお風呂に入って、髪を結いましょう」

「お風呂……ですか?」

「ええ。そのあとで髪を結います。さあ」


 メイドに促されて、サーラは首をひねりながらバスルームへ向かった。

 城の侍女は基本的には貴族がなるものなので、貴族令嬢に見えるように整えるのだろうか。

 髪が洗われて、オイルで全身をマッサージされて、侍女のお仕着せを着せられると鏡台の前に座らされる。

 髪をしっかりと乾かした後で、両サイドの髪を編み込みながら、メイドが手早く髪を一つにまとめ上げた。

 化粧をし、爪を整える。


 サーラが化粧をされている間にトランクが部屋から運び出されていった。

 トランクが運び出されて少しして、ベレニスが戻ってくる。


「サーラさん、この後の予定をお伝えしておきますね。もう少しすれば迎えの馬車が来ますので、それに乗って一度城へ向かいます」

「お城ですか⁉」

「心配せずとも、馬車から降りていただくことはございません。殿下を載せた馬車が出発いたしますと、わたくしとサーラさんを載せた馬車がそのあとを追いかける形で出発となります。マルセルは馬を使いますが、シャルさんは顔を見られない方がいいと思いますので、わたくしたちと同じ馬車に乗っていただきます」


 なるほど、道の途中で合流するわけではなく、最初から一緒に行くことになるのか。


(まあそうか、王子様として行くんだもんね。お付きのものが途中で合流するのはおかしいわよね)


 サーラの想像が足りていなかったのだ。これが普通である。


「それから、サーラさんは侍女見習いとしての動向になりますので、この先、わたくしはサーラと呼び捨てさせていただきます。ご了承ください」

「はい、もちろん構いません」


 当然である。サーラはベレニスの下につくことになるのだから、ベレニスがサーラに敬称をつけるのはおかしい。


「また、殿下のことは、殿下、もしくはオクタヴィアン殿下とお呼びください。ウォレスという名は出さないようにお願いします」

「はい、わかりました」

「それから、わたくしとマルセルについてお伝えしておきます。わたくしたちが母子であることはご存じですか?」

「先ほどマルセルさんから聞きました」

「そのほかは?」

「知りません」


 ベレニスは「何も話していないのね」と小さく嘆息する。


「まず、わたくしの名はベレニス・サヴァールと申します。夫はブノア・サヴァール。爵位は伯爵です」


 サーラは驚きを分散させるように、大きく息を吸い込んで吐き出した。

 ウォレスの側にいるのだから、ブノアが貴族であることは想定していた。だた、せいぜい子爵当たりだろうと思っていたので、伯爵と聞いて驚いたのだ。


(伯爵なのに……パン屋で店番……)


 あの気さくな紳士と伯爵という身分がどうにもつながらない。

 ベレニスが小さく笑った。


「伯爵らしくないでしょう?」

「え、いえ……そんなことは」

「いいんですよ。わたくしも常々、夫には威厳が足りないと思っておりますから。本当に変わり者で」


 そうは言うが、夫が花柄エプロンでのパン屋の店番をすることを許している時点で、ベレニスも相当だと思うのだが。というかあの花柄エプロンは確かベレニスが渡したと聞いた気がする。


「わたくしは殿下の乳母を務めておりました。マルセルのほかに、長男と三男、それからマルセルの姉の長女がおりますが、今回はマルセルのみ同行いたします」


 なるほど、マルセルは次男らしい。


(兄一人姉一人、弟一人、ね。ベレニスさんがウォレス様の乳母だったってことは、ウォレス様と年が近いのは弟の方かな?)


 ウォレスは乳母一家を重用しているようなので、マルセルの他の兄弟たちも、ウォレスの側近を務めているのだろうか。


「本来わたくしは侍女ではないのですが、殿下の侍女頭を務めていた長女が出産と育児のため休みを取っておりますので代わりを務めております。長男の方は殿下の執務の方の補佐、三男は長男の補佐をしております。マルセルはあの通り騎士の道に進みました」


 思っていたことが顔に出ていたのか、ベレニスが説明を追加してくれた。


「マルセルは騎士であると同時に、殿下の筆頭護衛官でもあります。ですので、普段はあまり騎士団の仕事はしておりません。サーラは今回、わたくしの遠縁の娘と言うことにしております」

「わかりました」


 平民の娘が侍女見習いなのはおかしいので、その方がいいだろう。

 大体の情報を頭に詰め込んで、サーラがベレニスとともに玄関へ向かうと、そこにはぐったりと疲れた顔をしているシャルが立っていた。

 ウォレスの正体を知ったからだろう。頭痛がするのか、しきりにこめかみのあたりをさすっている。

 馬車はすでに到着していて、荷物も積み終わった後のようだ。


「では行きましょうか」


 これから貴族街へ、そしてさらには城へ向かうと思うと緊張してきた。

 サーラはぎゅっと拳を握り締める。

 ここは、ディエリア国ではない。

 それはわかっているのだが、やはり、貴族たちが暮らしている区域に入ると思うと体がこわばりそうになる。


「サーラ」


 シャルが気遣うような視線を向けてきた。


「大丈夫よ、お兄ちゃん」


 貴族街に入ったからと言って、サラフィーネ・プランタットに戻るわけではない。

 もう、大切なものが奪われるわけではないのだと、サーラは大きく息を吸い込んで小さく笑った。






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