十七歳の誕生日 2

 ハッと振り返った男が、顔から二、三十センチ下に視線を落として落胆した顔になるのを見ると腹が立つ。


(どうせぺたんこですよ!)


 腹が立ったせいか、歩く速度も速く勇ましくなって、ずんずんと肩を怒らせながら菓子屋「パレット」の扉を開けたサーラに、びっくりした顔を向けたのは友人のリジーである。


「いらっしゃ――ってサーラ! どうしたの、そんなにむすっとして」


 ぱちくりと大きな茶色の目をしばたたいて、リジーが店のカウンターの奥から出てくる。

 菓子屋パレットは、サーラの両親が営むパン屋ポルポルよりもずっと大きな店だが、リジーのほかに彼女の母も姉も手伝っているので、それほど忙しそうな感じはしない。

 けれども人気店なのは間違いなく、夕方にもなれば、陳列に並べられていた焼き菓子のほとんどが売り切れている。

 数人の客が菓子を物色しているのを横目に、サーラは肩をすくませた。


「何でもないわ。注文していたケーキを取りに来たんだけど、できてる?」

「ちょっと待ってね。あ! 昼前も言ったけど、改めてお誕生日おめでとう、サーラ!」

「ありがとう」


 今日はサーラの十七歳の誕生日だ。

 事前に注文していた誕生日ケーキを受け取りに来たのである。


「でも、サーラのところって面白いよね。自分の誕生日に自分でケーキを注文するんだもん」


 サプライズで家族が注文する人が多いのに、とリジーがケーキを準備しながら言う。

 サーラは確かにそうだなと笑った。


「うちは、誕生日の人が、自分が一番食べたいケーキを注文することにしてるから」


 本人でなければわからないから、本人が行けと言われるのだ。

 これは、昔、兄のシャルの誕生日のときに起こったひと騒動が原因だった。

母グレースが買って来たケーキにシャルがケチをつけたのだ。

 あの時グレースが買って来たケーキは当時流行していたザッハトルテで、甘くて濃厚なチョコレートの味のケーキがシャルには受けなかったのである。

 だったら自分で買って来ればいいだろうと、ちょっと不機嫌になったグレースがその時に決めたルールなのだ。


「なるほどねー。確かに誕生日だもん、一番食べたいケーキがいいよねえ」


 リジーがそう言いながら包んでくれたのは、イチゴのたくさん載ったフルーツタルトである。載っているフルーツが口の中をさっぱりさせてくれるので、甘すぎるものが嫌いなシャルにも受けのいいケーキだ。

 もちろん、サーラも大好きなケーキである。

 サーラがケーキを受け取り、リジーに見送られて店を出ようとしたとき、ちょうど同じ年くらいの少年が店に入って来た。

 蜂蜜色の髪に、そばかす顔の少年である。


「あ、いらっしゃい、ルイス」


 リジーの知り合いらしい。「ああ」と気さくに笑ったルイスは、ふとサーラに視線を向けて、目を大きく見開いた。

 何に驚いているのだろうと首を傾げたサーラだったが、ルイスの視線がそのまま下に滑って行ったのを見て、忘れかけていた苛立ちがまた蘇ってくる。


(どいつもこいつも……!)


 そんなに胸が大事か! 

 ただの脂肪の塊だろう!


 ぴきっとサーラの額に青筋が立ったのを見て、リジーがうへっと首をすくめたが、ルイスはサーラの機嫌が悪くなったのには気がつかなかったようだ。


「ちょっとルイス」


 リジーの呼びかけに、ルイスは我に返ったように顔を上げる。


「あ、ああ……。これ、注文。明後日の朝取りに来る」


 ルイスが小さな紙きれをリジーに渡す。


「了解。いつもありがとうございます」


 リジーが笑顔で受け取ると、ルイスは店を出て行こうとして足を止めると、そっと店の扉を開いて振り返った。


「……どうぞ」


 少し目を泳がせながら、ほんのりと頬を赤く染めて言う。


「……どうも」


 親切を無視するのも失礼なので、サーラはぺこりと頭を下げて、扉をくぐる。


「じゃーねー」


 店の中から手を振るリジーに手を振り返して歩き出すと、何故かルイスが後をついてきた。


「あ、あのっ」

「はい?」


 足を止めずに振り返ると、ルイスはさっきよりも赤い顔をして横に並ぶ。


「お、俺、いや、ボク、ルイスって言います。お名前を伺ってもいいですか?」


 名前ならリジーが呼んでいたから知っているが、と思いつつ、「サーラ」ですと答えるとルイスがにこにこと笑いながら「可愛らしい名前ですね」と言う。

 サーラも別にそれほど鈍感ではないので、なんとなくルイスから好意を向けられていると感じたには感じたが、初対面で好意を寄せられた理由まではわからなかった。


(さっき胸を確認してたけど……あ)


 そこで、サーラはふと、以前リジーから言われたことを思い出した。


 ――ぺったんこが好きな男もいるから大丈夫だよ!


 なるほど、目の前の男がリジーの言うところの奇特な男かもしれない。


(つまり、この絶壁に惹かれ……なんか虚しくなってきた……)


 胸元を見て残念そうな顔をする男たちにも腹が立つが、ぺたんこが好きだと言われても、それはそれで嬉しくない。

 実際目の前のルイスに言われたわけではないけれど、想像だけで傷つくのはどうしてだろう。


 サーラは自分が盛大な勘違いをしていることには気がつかず、初対面のルイスを頭の中で勝手に「貧乳好きの変わり者」と分類した。

 そんな失礼な評価をされているとは露とも気づいていなさそうなルイスは、笑顔のまま一生懸命サーラに話しかけている。


「どこに住んでいるんですか?」

「大通りの、南門から三つ目のブロックの角のパン屋です」

「パン屋さんなんですね! ボクは西の二番通りに近いところに住んでいるんです」


 ルイスはこのあたりでは見ないし、いい身なりをしているので、貴族街に近いところに住んでいるのだと思っていたが、案の定だった。

 リジーの父は腕のいい菓子職人なので金持ちの客も何人も抱えているが、普通のパン屋であるポルポルには金持ちがわざわざやってくることはない。

 パン屋ならば、下町の北側にも数店存在するから、南に近いポルポルまでやってくる必要はないのである。


(……まあ、先日、奇特な金持ちは一人来たには来たけど……)


 黒髪に神秘的な青銀色の瞳を持つ美丈夫を思い出しかけて、サーラはふるふると首を振った。

 下手に思い出すと、ふらりとまたやってきそうな嫌な予感がするからだ。


(もうあんな男には金輪際関わりたくないわ)


 権力者。特に貴族とは、極力関わりたくないのである。


「家までお荷物をお持ちしましょうか?」

「重くないので大丈夫ですよ」


 持っているものはケーキである。軽いとは言わないが、別に重くもない。


「いやいや、華奢で綺麗な手が痛くなったら大変ですから!」


 指は細い方だが、普段からそこそこ重たいものを持っているので、そんなに気を使ってもらう必要はない。

 しかしルイスは押しの強いところがあるのか、ここで断られてなるものかという意地でもあるのか、サーラが断る前にさっさとケーキの箱を奪い取ってしまった。

 道の往来でケーキの箱の取り合いなんてすれば目立つので、こうなれば諦めるしかない。


 人懐こい犬のように、こちらの顔をちらちらと伺いながら隣を歩くルイスは、自分が何代も続く、そこそこ大きな商会の跡取り息子であること、店は家具類を扱っていることなどを、訊いてもいないのに丁寧に説明してくれた。

 サーラには家具を買う予定などないのに、今度店に遊びに来てほしいと言われて困ってしまう。


 先ほどリジーの店に注文していた菓子は、商談する客に出す菓子なのだそうだ。

 事前にアポイントが取られるような大きな商談があるときは、ああして注文しに行くという。

 適当に相槌を打ちながら聞いていたサーラは、パン屋ポルポルに近づいたところでぎくりとした。


(…………なんかいる)


 店の前に、どこかで見たような男が二人。

 サーラは表情を取り繕うことも忘れて顔を引きつらせた。


「どうかしました?」

「い、いえ……、あ、あの、用事を思い出したのでここでいいです。ちょっと……」


 ルイスからケーキの箱を受け取り、くるりと踵を返して逃げようとしたそのとき、サーラに気がついた男が「やあ!」と声をかけてきて、サーラはかくりとうなだれる。

 艶やかな黒髪に神秘的な青銀色の瞳の背の高い男は、きらきらと光輝くような笑みを浮かべて、サーラに向かって軽く手を上げた。

 その横で、灰色の髪の騎士のように体躯のいい男が、ぺこりと会釈をする。


「……知り合い?」


 老若問わず道行く女性が全員振り返るほどの異常な美貌の男に、ルイスがギョッとしたような顔をして、サーラと男を交互に見た。


「の、ようですね……」


 否定できればどんなによかったか。


(なんだってまた…………)


 二度と関わり合いになりたくなかった男――ウォレスは、もしかしなくても暇人なのだろうかと、サーラは忌々しく思った。





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