第17711話

 夕方には村の水道池の近くに大きな焚き火が焚かれた。

 旅人や商人にも新鮮な魚と村の酒が振る舞われ、祭りは一気に盛り上がり始めた……僕はうっかり、何も考えずにそれに近づいてしまった。


「おお領主どのが! 我らが領主どのが来たぞ!」


 たちまち、既に出来上がっている様子のポポロンが僕を見つけて駆け寄って来る。まずいと思った時にはもう手遅れだ、僕はポポロンに抱えられ祭りの中心の方に引きずられて行く。


「待ってポポロン、僕まだ仕事があるから」

「我らに水泳の魔術とこの魚の獲り方を伝授してくれた、海の皇子、クローゼ・ミストルティンどののお出ましだぞ、皆の衆! その名を称えよ!」

「クローゼさまぁぁ!」「クローゼさまに乾杯!」「クローゼさま万歳!」


 盛り上がり蛮声を上げる獣人、いや、獣共……ヤバいやつ! これ絶対ヤバいやつだ!


「さあ領主さま、村で一番のとっておきの酒です!」


 獣共は瓢箪のような形の白い陶器の壺を持って来る。それは実際とっておきの今この村にある一番の高級な酒なんだろうと思うけど、僕はついこの前14歳になったばかりの少年だよ!?

 まあここは異世界、未成年の飲酒を禁止する法律なんてないのかもしれないけど……だめだ、異世界が許しても令和が許さない、少年誌に掲載出来なくなってしまう!


「さあさ領主どの」「ぐっとやって、ぐっと」


 そして僕の目の前に茶碗のような盃が突き出され、高価な酒がなみなみと注がれる……僕はポポロンと他の獣人、いや獣共に抱えられていて動けない。どどどど、どーすんの? 助けてシルレイン!?


 僕に突きつけられた盃に、横から白く細い手が伸びる。


「あっ……シルレイン殿」

「クローゼ様はまだお酒を召し上がりませんので、これはわたくしが」


 シルレインは僕に突き出された盃をもぎ取り……ってちょっと待てシルレインだって18歳とかでしょ、駄目、お酒は、ああっ飲んじゃった……一口で……


「……大丈夫なの、シルレイン」

「わたくしは何ともありません。クローゼさまには10年早いですわ」


 シルレインはそう言って周りの獣共に睨みをきかせる。ポポロンをはじめとする男達も、その剣幕にに押されて引き下がる。辺りはほんの一瞬静かになった。


「りょ、領主どのには早いそうだ」「この酒はとっておこう」「それがいい」


 ふたたび笑いさざめく獣人たちの間を、シルレインは僕の腕を引き、かいくぐって行く。人々の輪を離れても彼女は僕の腕をすぐには放さなかった。怒ってるのかな、シルレイン。

 物陰に連れて行かれた僕に、彼女は顔を近づけて来る……


「ぼんやりしないで下さいクローゼさま。酔っ払いは危険な生き物なのです、むやみに近づいてはいけません」

「ご……ごめんなさい」


 僕は、ごく普通の子供が母か姉に謝るようにそう言った。


「まったく先が思いやられますわ……貴方と居ると心配ばかり」

「本当に大丈夫なの、シルレイン?」


 ため息をついた彼女の頬は、やっぱりいつもより赤くなっているように見えた。どこかで水をもらった方がいいかも。だけど水道の周りには酔っ払いが大勢居るし……


「領主さま? シルレインさんどうしたの」


 誰かに呼ばれた僕が振り向くと、そこにレーニャが居た。城の兵士にもなりに来なかったので、どうしたのだろうとは思ってたんだけど、彼女は背の高い、猫の顔をした獣人と一緒に居た。


「ああレーニャ、水道池以外で飲み水がもらえる所を知らない? シルレインに水を飲ませたいんだけど……」

「あたしんちそこにあるよ! こっちに来て!」


 僕はぼんやりしているシルレインの手を引きながら、レーニャに手を引かれて行く。レーニャは反対の手で猫の獣人の手を引いていた。

 レーニャの家はルーダン城に似た作りの平屋の建物で、他にも猫の獣人がたくさん居た。みんな座敷でご馳走を食べお酒を飲んでいるように見えるけど、ちゃんと水をもらえるのだろうか。

 ああでも、レーニャが水を取って来てくれた。


「はい、シルレインさんお水……シルレイン?」

「シルレイン、だいじょうぶシルレイン?」


 だけどシルレインは縁側に座らせた途端、パタンと倒れて眠り込んでしまった。全然大丈夫じゃないじゃん!


「ああ、いい酒を飲んだんだね、強いからなあれは」


 レーニャが手を引いていた男の獣人が言う。その顔の造形はほぼ猫だったので、それがどんな表情なのかよくわからなかった。


「ここで休ませてあげたら? 領主どのの大事な人なんだろう、大丈夫、皆良くしてくれるよ」

「すみません……助かります」


 僕はシルレインに膝枕を貸したまま、頭を下げる。レーニャは水の入った小瓶とお椀を近くに置いてくれた。


「じゃあ領主さままた後でね! 行こう」


 そしてレーニャは僕らを置いて、男の獣人の手を引いてここを離れて行った。

 あの人を見たのは初めてだよね? あれは大人の男の獣人だと思う。あの人、レーニャの何なんだろう?


 屋敷に集う、猫の獣人の一族兄弟と見られる人々はほとんど僕らに構わず、どこかから入って来ては宴席に混ざり、また気ままにふらりと離れて行く。


   †


 シルレインはなかなか起きなかった。その間に辺りでは完全に日が暮れた。だけど祭りが終わる気配はない。

 篝火を焚き、松明をつけ、ランプを灯し、人々は往来を行き交い笑い合っている。

 むしろだんだん騒がしくなって来たかも? 昼間でも楽器の音は絶えず村のどこかから聞こえて来てはいたが、その音が次第に一つにまとまって来たような。


「領主さまもどうぞ、見ていらっしゃい。ここで祭りを見られるのは初めてでしょう」


 そこに猫のおばさんがやって来て、シルレインのために布団を敷いてくれた。うーん。彼女を置いて行くのは後ろめたいけど。


「大丈夫、大丈夫。領主さまの大事な人は、ちゃんと見てますから」


 おばさんはそう言い、行っておいでという風に手を振ってくれた。


 祭りの中心地では獣人が弦楽器をかき鳴らし打楽器を打って音楽を奏でていて、その周りでは人々が老いも若きも男も女も一緒くたになって踊っていた。

 獣人だけではない、居合わせた商人や旅人も。みんなこの村の空気に取り込まれ、同化している。

 それにしても、何と心躍るリズムだろう。僕は踊りは好きでも嫌いでもないけど、今にも乗せられてしまいそうだ。


「ありゃ領主さまじゃないか、村のもんかと思ったよ!」

「上手いねえ領主さま、もうすっかりここの人だねえ!」


 ああっ!? 気が付けば僕も踊りの輪に加わっている! 何で、いつの間に!?

 軽妙なビートと、どこか少しだけ哀愁のあるメロディに乗り、僕はみんなと一緒に踊らされていた。何これ楽しい。

 やがて一つの曲が終わると、踊り手の元に飲み物を持った獣人がやって来てカップをたくさん配る、つまり喉が乾いた僕にも、何だこれ、柑橘系のジュースだ。

 それを飲み終わる頃には次の曲が始まる……待ってました! 僕はカップを返して真っ先に踊りの輪に加わる。


「あーっ、領主さまもう踊ってる!」


 そこへ、レーニャがさっきの獣人の男性の手を引きながらやって来る。どうやら屋敷の方に行ってみて、僕と入れ違いになったらしい。


「あたしも踊る! お父さんも踊ろう!」


 お父さん? レーニャのお父さんって亡くなったんじゃ? 聞き違いかな。それともお父さんは一人じゃないとか……

 とにかくレーニャは僕の後ろで踊りに加わる。レーニャの連れの男の獣人も踊りに加わる。


―― ちゃかちゃかちゃん、ちゃかちゃんちゃん、ちゃんちゃかちゃん


 踊りの輪はますます、村の中心の広場一杯に広がる。この村こんなに人居たっけ? みんな出稼ぎから帰って来たの? 商人や旅人がそんなに居たの?


―― ちゃかちゃかちゃん、ちゃかちゃんちゃん、ちゃんちゃかちゃん


 そして気づいたけど、僕も酔っ払ってるな。さっきのジュース酒入ってたろ。転生者である僕には日本で酒を飲んだ経験があったし、その感覚は覚えているのだ。


「領主さま、なんでそんな、踊れるの! その踊り、教えてよ!」

「あははは、見てのとおり、踊るだけ! できてる、できてる!」


 僕は夢中になって踊る。レーニャも夢中で踊っていた。レーニャの後ろの男の獣人が目を細める……あれは笑顔だ、何となく、わかる……


―― どっ……! わははははは……!


 音楽が終わり、喝采が、笑いが、拍手が湧く。もう何曲踊ったか解らない、さすがにフラフラして来た。


「領主どの。レーニャは可愛いと思いませんか」


 そこへ、突然。レーニャのお父さん? が笑顔でそう話し掛けて来た。不意を突かれた僕は思わず本音で答えてしまう。


「は、はい、とっても!」

「良かった。レーニャは領主どのが大好きになってしまったそうなのです。領主どの、どうか御願いします、レーニャと仲良くしてあげて下さい」


 待って待って何の話!? そもそも貴方は本当にレーニャのお父さんなの!?

 あと……僕はこのお父さん? の前でもシルレインに肩を貸して歩き膝枕をして寝かせる所を見せていた。この人自身、シルレインの事を僕の大事な人なんだろう、と言っていた。そういうのはいいのかな。

 お父さん? はレーニャに向き直る。


「レーニャは領主どのが一番大好きか?」

「あたし、領主さまが大好き! お父さんと同じくらい好き!」

「他に好きな男は居ないんだな?」

「居ないよ! 領主さまとお父さんだけが一番大好き!」


 お父さんは、レーニャの頭を撫でる……レーニャは僕の顔を見てにっこり笑う。


「だから交尾しようよ領主さま」

「それお父さんの前でも言っちゃうの!?」

「交尾オッケーです! 領主どの。あははは」

「何言ってるんですかお父さん!?」


―― ドンッ! ドンッ! ドンドンドドドドドンッ……!


 そこに、何かを知らせるような太鼓の音が響く……


「ありゃ、もうそんな時間か」

「えーっ、まだ早いよォ」


 気づけば周りでも……獣人たちがあちらこちらで輪を作り、手を取ったり抱き合ったりして、まるで何かの名残りを惜しむように話し込んでいる。

 レーニャはお父さんの手と僕の手を掴む。お父さんは浜の方へと歩き出す。それに引っ張られてレーニャも歩き出し、レーニャに引っ張られて僕も歩いて行く。

 周りの人達も皆、浜の方へとぞろぞろと歩き出す。松明やランプを持っている人も多い。

 浜でなにか、イベントがあるのだろうか。


   †


 浜に着いた僕は驚愕していた。そこにはいつの間にか大きなガレー船が停泊していたのだ。大きい、全長50mくらいある、三本の大きなマストもあり、たくさんの櫂も出ている。

 なんてことだ。僕は一応ここの領主なのに、こんな大きな船が浜に来ているのを見落としていたとは……これが海賊船だったらどうなってたんだ?


 だけどこの船は、そんな船ではなかった。


「今年は賑やかだったねえ、びっくりしたよ」

「領主さまが来てくれたからね!」

「こんなに魚が獲れるようになるなんて驚いた」

「来年も来てね! 約束だよ!」

「もちろんだ、みんな元気でな」

「お兄ちゃんも! 元気でね!」


 あちらでも、こちらでも。獣人たちは誰かと別れを惜しんでいた。

 レーニャも、お父さんにしっかりと抱き着いていた。


「絶対また来てねお父さん、約束だよ」

「ああ、幸せになるんだぞ、レーニャ」


 その様子をぼんやりと見ていた僕の手を、お父さんが掴む。


「領主どの、獣人の寿命は君たちよりずっと短い。その事を知っておいてくれたら嬉しいよ」


―― カーン…… カーン……


 やがてガレー船の甲板で鐘の音が鳴る。

 獣人たちは名残りを惜しみながら別れて行く。船に乗りに行く者、浜に残る者……

 レーニャとお父さんのような、浜に残る子供と船に乗る親の組み合わせも居るけど、その逆……浜に残る親と船に乗る子供も居る。


「また来年なー!」

「お父さーん」「元気でなー!」


 レーニャのお父さんも、笑顔で手を振って、船へと乗り込んで行く。

 ぼんやりと輝く半透明の船は、全ての乗組員を乗せると、帆を掲げ、ゆっくりと浜を離れて行く。


「約束だよお父さぁぁん! 来年も絶対来てよね、あたしと領主さまとの子供、見に来てねー!」


 レーニャが泣きながら手を振っている。

 半透明の光る船は手を振る先祖達を乗せ、生き物のようにオールをはためかせ、ふわりと空に浮かび、水平線の向こうへと漕ぎだして行った。


 命を終えた獣人は船に乗って海を渡り、見知らぬ土地へと行く。僕はそれをただの言い伝えに過ぎない、切なくて優しい死のメタファーだと思っていた。

 すみません。異世界なめてました。

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