第10946話

 俺は森の中でしばらく待ってみたが、カテリーヌは戻って来なかった。そうしているうちにうねうねと根っこを動かして進む巨大な花の魔物みたいな奴が近づいて来た。俺は単に、そこを離れた。


 洞窟のある沼に帰ろうかとも思ったが、ただ帰るのも何だよな。お土産を買って来るぞと誓って出て来たのに。

 一か八かという思いで、俺はそのままの方向に進んだ。ちなみに俺は鎧の類は着てないし武器は木刀しか持ってない。

 幸い、程なくして道らしきものが見つかった。俺は途中で出くわした、沼に居るのとは少し色味の違うスライムを倒しながら、古い道をたどって行く。

 どのくらい歩いたのか。真昼を過ぎ、午後を過ぎ、空の色が少し変わって来たかという時間になって、俺はついに人里を見つけた。森を切り拓いて作った畑や牧草地、中心には大きな切妻屋根の木造住宅が並ぶ人里が……ああ間違いない、人間も居る。


 異世界にやって来て一年とちょっと……俺の異世界生活はここからが本番なのかもしれない。長いチュートリアルだったなあ。


   †


 今さらだけど俺、異世界の人間の言葉を喋れるのな。

 村の真ん中の十字路の辺りには市が立っていて、様々な物が売られていた。野菜や果物、穀物、布や道具……文明としては中世から近世くらいのレベルだろうか。鋏や包丁を研ぐ職人も居るな。

 俺はほどほどに忙しそうな露店の青果売りに聞いてみる。


「すみません、ここで店を出すにはどうすればいいんですか」

「顔役に金を払って場所を借りるんだ、領主に払う出店税も要るぞ」


 なるほど、わりと自由に取引が出来るんだな、金さえあれば。

 俺はもちろんここに来たのは初めてだし知り合いも居ないのだが、今のところ見知らぬ余所者だと排斥されてもいない。

 だけど俺には金がない。コイン一枚ない、つーかこの世界の通貨の事すら知らない。ちくしょうどこ行ったんだよカテリーヌ、お前俺の世話をしてくれるんじゃなかったのか。

 仕方ない、精肉を売っている人に御願いしてみようか、この干し肉を買ってくれないかと……俺は露店で肉を売っている、筋骨隆々の男に恐る恐る尋ねる。


「あの、御願いがあるんですが」

「あァ? なんだおめぇ客じゃねえなら……ひいっ!? あ、貴方は勇者カテリーヌの剣術のお師匠様!?」


 ああ。この男こないだの冒険者の一人じゃないか、肩パッドも着けてないしモヒカン頭にも頭巾を巻いてるから気づかなかった。普段は堅気の肉屋をしてるのね。

 ん? まずい、周りがざわめきだした、いいや、とっとと要件を言ってしまえ。


「大トカゲの肉の燻製を買い取ってはいただけませんか、いくらでもいいんです、見た目は良くないけれど炙ると美味しいんですよ」

「かかっ、買わせていただきます! うちも貧乏ですが力の限り高価買取させていただきます!」


   †


 思ったより親切だったお肉屋さんは結構な量の銀貨や銅貨をくれた……俺が異世界で初めて手にした金だ。ああ、初めてバイトの給料をもらった時を思い出す。

 さて、この金でどのくらいの事が出来るのだろう? 俺はそれを調べるため、あくまでその調査の為、酒場を探す……あるよね? 酒場。おお、あった。

 緊張するなあ。日本の現代社会とは違うだろうからな、一見の客がいきなり入って大丈夫かな? 蹴りだされたりしないか?


「御免。一杯飲ませてもらえないか」


 俺はきちんと、自分が客だという事をアピールしながら、店の入り口をくぐる……大丈夫だよな? ここ酒場だよな本当に? 周りでは今日の仕事を終えたおっさん共が木のカップで何か飲んでるように見えるけど、本当は病院の待合室ですなんて事ないよな?


「どど、どうぞ、こちらに」


 カウンターテーブルの向こうに居たバーテンっぽい男が、そう言ってカウンターの一番奥の席を指差す……そこには別の客が座っていたのだが、客はすぐに自分のカップを持ってそこからどいた……えっ、いや、どうして?

 俺はとりあえず、言われた席に座る。


「他の客と同じ物をたのむ」

「かっ、かしこまりました……」


 うーん。どうやら俺はこの村に来た時から、見知らぬ余所者として注目されていたらしい。そしてさっきの肉屋と話している事は人に聞かれてしまっていた。

 そして噂は、俺が歩いて来るより早くここまで伝わっていた。


「……化け物だらけの森に、一人で住んでいたそうだ」

「……でも居なくなったんだろ? その化け物」

「……その化け物の肉を売りに来たんだよ!」

「……シッ、声がでかい」


 後ろの方からは、そんなヒソヒソ話も聞こえて来る……あの恐竜、この村でも有名だったのか……ってもしかして俺、その恐竜を倒した奴だと思われてる?


「いや、あの大トカゲは」


 俺が思わず振り向いて、ひそひそ話している男たちにそう言い掛けると。


「すす、すみません! あたしらはこれで!」


 男たちは数枚の銅貨をテーブルに置き、店を飛び出して行く。いいの? まだ飲みかけの酒があるじゃないか。


「お待たせしました……村の地ビールです」


 ああ、俺のビールが出て来た。俺は男たちが置いて行った銅貨を目で数える。


「銅貨3枚でいいのか?」


 俺は懐から硬貨を出してカウンターに置く。


「おっ、お代は要りません!」

「え……要らないって、要らないでは困る。一杯3枚じゃないのか? 本当はいくらだ」

「おごりです、私の、いえ村のおごりです」

「それではお代わりがし辛い、頼むからちゃんとした代金を払わせてくれ」

「……すみません……それでは有難く、銅貨3枚頂戴します」


 いや普通に受け取ってよ……はあ。何だかなあ。

 ゴブリン達と飲む酒は楽しい。みんななかなか踊りが達者だし、気さくなのだ。

 だけどこっちに来て初めて人間と飲む酒も、俺は楽しみにしてたんだけどなあ。カテリーヌは未成年っぽいので飲ませられなかったし。

 俺はビールを一口飲む。まあ、ぬるいな。炭酸の抜け具合も含め、飲み残して一晩経ってしまったビールのあの味だ。懐かしいな、日本を思い出すぜ。


「……防具も着けず、武器も木の棒だけって」

「……馬鹿、勇者カテリーヌと同じ武器だぞ」

「……あれであんな化け物の出る森を一人で」


 別の席で男たちが噂話をしているのが耳に入って来る……何とも居心地が悪い。

 そこへ。


「オラオラ、席空けろおめーら!」

「ブラッディブラザー団のお通りだゴルァ!」


 騒がしい一団が、俺が入って来たのとは別の入り口から入って来る。カウンターの隅に居る俺からは、その姿は見えなかった。


「とっととビールを持って来いや! 俺らが座る前に出せコラ」

「しょ、少々お待ちを」


 先ほど俺にビールを出してくれたバーテンが慌てて樽の栓を開け、大きなジョッキ五つにビールを注ぎカウンターに並べ、席へ持って行こうとする。

 そこに大柄な二人の男が歩いて来る、肩パッドをつけ毛皮の鎧を着た半裸のモヒカン男が……


「おせえっつってんだろうがァ!」


 男の一人がバーテンの胸倉に手を伸ばす。俺はぼんやりとそちらに視線を向けていた。バーテンがこちらに視線を向けたので、二人のモヒカン男もこちらを向く……


「……」


 男が、手を引っ込めた。


「すっ、すみませんッ、あとは俺らが持って行きますッ!」

「だだ、代金を払わないと、えーと、大ジョッキは銅貨6枚だから全部で30枚ですよね、ぎ、銀貨でお釣りを下さい」


 突如態度の変わったモヒカン男たちは背中を丸め、懐から銀貨を取り出す。

 バーテンは俺とモヒカン男の顔を見比べてから、小さな声で答える。


「あの……みなさんのツケ、銀貨24枚と銅貨21枚ほど溜まってるんですけど」


 そこに後ろから、三人のモヒカン男がバーテンの方にやって来る。


「お前ら何タラタラやってんだコラ! ツケだぁ!? そんな……もん……そんなに溜まってましたか、すみませんでした、今清算します」


   †


 五人のモヒカン男は集まって懐の金を出し合うが、ツケを払えるには至らなかったらしい。


「あの、この鉄の斧を質に取ってもらえませんか、きっとあとでお金を持って来ますから」


 カップでのビールを飲み終えた俺はそこで立ち上がり、男たちに近づく。


「待て、斧を取られては仕事に差し障るだろう。お前たちは日夜、村の周りで魔物と戦っているんじゃないのか」


 治安悪いよね、異世界。道を歩いててもスライムや化け物花が出るし。恐竜も出るしさ。

 魔物に襲われる村人は少なくないし、命を落とす人も多いんだろうな。だからカテリーヌも魔物退治に情熱を燃やしていたのだ。

 ブラッディブラザー団? こういう乱暴者もこんな世界に住む人類には必要なんじゃないの、実際。


「斧は俺が質に取る、それでお前らに貸す。だからお前らはこれからもその斧で村を守れ」


 俺はバーテンに銀貨を渡し、斧を取ってモヒカン男に返す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る