第2584話
ルーダン城に来てからどのくらい経ったのだろう? 数日前に来たばかりなような気もすれば、数年経ったような気もする。
それは実際の所、まだ一年も経っていなかったらしい。
「14歳のお誕生日、おめでとうございますクローゼさま」
お城の居間の座卓にはシルレインが用意してくれたご馳走が並んでいた。僕は今日、この世界での14歳の誕生日を迎えたそうだ。
シルレインは真顔でため息をつく。
「はあ……小さい頃はあんなに可愛らしかったのに。クローゼさまも段々オスの顔になって来ましたわ。もう少ししたら髭が伸び、顎も割れて来るのでしょうか」
確かに父のエーリヒ公爵は立派な髭を生やしてるし、顎も割れているけど。
「アリウスは髭は薄いし顎も割れてなかったよ、僕だってどうなるか解らないじゃない。ありがとう、いただきます。シルレインも食べて」
夕焼け空に照らされながら僕とシルレインが夕食のご馳走を食べていると、ヘイリーさんが集落の巡回から帰って来た。彼は先月戻って来てくれた、ルーダン城の守備兵である。
「巡回完了しました領主様、今日はこれで上がらせてもらいます」
兵士の服を着たヘイリーさんは槍の代わりに杖を持ち、背中には犬耳の赤ちゃんを背負っていた。
ヘイリーさんもやはりこの地で獣人の娘と恋に落ち、駆け落ちをしていたという。それを知った僕はやっと、この城に勤める将兵の規則が掛かれた本を開いてみた。ミストルティン家が引き継ぐより前からあったその規則の本には、地元民との恋愛は禁止であるという条項が書かれていた。
「ありがとうヘイリー、これは僕の誕生日のご馳走の折詰だから、持って帰って家族で食べてね」
「なんと、これはありがたい、シルレインさんの料理は美味しいですからねぇ」
僕はすぐにその条項を破棄することを宣言した高札を書き、集落をつなぐ道の交差点などに掲げた。これで守備兵が一人でも多く帰って来てくれたらいいんだけど……村の市場は今ではとても賑わっていて、出店税なども順調に集まっている。一個分隊の給料くらい問題なく払えると思う。
赤ちゃんをあやしながら帰って行くヘイリーさんの背中を見つめていると、シルレインがささやく。
「クローゼさま。恋愛禁止の規則、本当に破棄して宜しかったのでしょうか。マーフィさんの件といい、獣人族の女性には都の男を簡単に狂わせる魔性の魅力があるような気がしてなりません」
「わかるけど、その結果が城代も兵士も逃げ出しましたじゃ困るしさ」
†
食事の後は片付けと身支度だけど、シルレインは僕には身支度しかさせてくれない。僕だって皿ぐらい洗えるし洗濯だって手伝えるのに。
身支度が済んだら眠るだけだ。お金が出来たからって、意味もなくオイルランプをつけて夜更かしするような贅沢は出来ない。
僕はいつも通り、布団を敷いて寝そべる。
「失礼致します」
やがて洗い物と身支度を終えたシルレインもやって来て、いつも通り真っ暗な部屋の中、僕のすぐ隣に布団を敷き横たわる。いつも通り……
「あのね、シルレイン」
「なんでしょうクローゼさま」
「僕もほら……もう14歳になったんだし、いつまでもシルレインと一緒に寝てるのは、おかしいんじゃないかな……?」
暗闇の中、ふぅ、というシルレインの吐息がかすかに僕の首筋にかかる。
「ついこの前まで寝床で粗相をして毎朝のように泣いていらしたのに。いつの間に一人前の男性のような口を利かれるようになったのでしょうクローゼさま」
「10年も前の話でしょそんなの……その頃はシルレインだって8歳くらいだったんじゃないか」
「今の貴方はお屋敷暮らしのぼっちゃまではありません、ルーダン城の領主様なのです。眠っている間に工作員や暗殺者が忍び寄って来たらどうなさるおつもりですか」
この話、僕はもう何度も聞いている。
シルレインは僕が王都を追い出された日から毎晩、僕のすぐ隣で眠るようになった。旅の間はそれも仕方ないのかと思ったのだが、この長閑なルーダン城にたどり着いても、シルレインは僕に添い寝するのをやめなかった。
別に嫌なわけじゃないけどさ……異世界に転生し二度目の思春期を迎えた僕としては気恥ずかしいし、胸もざわめく。
「僕のなんかの首、誰が狙うのさ」
僕は掛け布団をかぶり、そうつぶやく。これも今までに何度も言って来たんだけど。
「……ミストルティン家の敵ですわ」
「えっ……?」
だけどシルレインは初めて、そう答えた。僕は布団から顔を出して振り向く。部屋は真っ暗で、シルレインの顔は見えないのだけど。
「クローゼさまにそのおつもりがなくても貴方はミストルティン公爵家の一員で、不埒な人間にとっては利用価値のある少年なのです。どうかその事を御自覚下さい」
ぐうの音も出ない返事だった。シルレインはそこまで考えて、僕の身を警護していたのか。なんてことだ。彼女だって添い寝なんかしたくはないだろうに。
小さい頃はまだ良かったのかもしれない。男の子もある程度の年までは女の子と大して変わらないから。だけど男の子はやがて男になるのだ、髭が生え、声も変わり、そして男の臭いを放ち始める。
「そうか……ごめんよ、僕には何もわかってなくて」
「わかっていただければ結構ですわ。おやすみなさいクローゼさま」
僕は目を閉じて考える。
シルレインは今の自分の生活の事をどう考えているのだろう……これまで意識した事がなかったけど、これじゃシルレインまで王都から追放されてるみたいじゃないか。
彼女にも王都に家族や友人が居るのでは? もしかしたら恋人だって……
シルレインは美人で頭脳明晰、教養豊かで物腰も洗練されている、どこに出しても恥ずかしくない、父エーリヒ公爵の自慢のメイドだ。才色兼備とは彼女のような人の事を言うのだろう。
思えば父は何故シルレインを僕の追放に同行させてくれたのだろう? 何だかんだ言って、それだけ僕の事を心配してくれていたのだろうか。
このままじゃ申し訳ないな、父にも、シルレインにも。
僕ももう14歳だ、自分の面倒は自分で見るようにならないと。
「……やっぱり、地元の人を守備隊に雇おう」
「クローゼさま?」
「最初からそうすべきだったんだ、この土地の父や兄たちを城で雇えば、出稼ぎや傭兵になんて行かないで済むじゃない」
「それは、そうですが」
「僕の警護だって、昼じゅう働いてるシルレインにやってもらう事じゃないよ。そうしよう。僕明日から、守備隊に入ってくれる人を探してみる」
シルレインは何も言わなかった。賛成なのか反対なのか、そんな事僕には出来ないと思っているのか。
彼女の返事を待っている間に、まどろみがやって来た。明日から頑張って働くぞ……
†
翌日の朝早く。ルーダン城の門の前には得意顔のレーニャが立っていた。頭には木のバケツをかぶり、手には三又の鋤を持っている。僕は寝ぼけ眼のまま彼女に近づく。
「あれ……どうしたの、レーニャ」
「領主さま、守備隊の兵士さんを探してるんでしょ? あと夜いっしょに寝る人も、あたし両方やるー! 領主さまの兵士になって領主さまといっしょに寝る、だから領主さま、あたしと交尾しよ? ……ニャッ!?」
とても明るく健康的な笑顔でそう言ったレーニャが、次の瞬間尻尾と耳の毛を膨らませて飛び退く。僕とレーニャの間には、まだ寝間着姿をしていたシルレインが地面との摩擦で白煙を上げながら滑りこんでいた。
「王国の兵士は男女とも16歳以上と決められておりますので」
「あ、あたし16歳だから……」
「いいえレーニャは12歳村の名簿にもそう書いてありますわ」
シルレインは僕に背中を向けていたので、どんな表情をしているか解らなかったが、レーニャはシルレインの顔を見て瞳孔を細め、震えていた。
「ばれちゃったー! ごめんなさい領主さままた来るねばいばーい!」
レーニャは結局、走り去ってしまった。
あの子、本当は何をしに来たんだろう?
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