第1597話

 後ろめたい事なのだが、俺は自分の延命のために親友の息子を借りた。ゴブのすけにも一緒に剣道をしてもらう事にしたのだ。


「めん。めん。めぇん」

「いいぞ、もっと元気よく」


 純朴なカテリーヌは何一つ疑うことなく、俺から子供の指導法を習い、それをゴブのすけに教える、そんな稽古をこなしてくれた。


 竹と葦細工の面兜、蛇皮の紐の竹細工の胴鎧、葦を束ねた籠手……日本と同様とまでは行かないが俺が時々涙ぐんでしまう程度には、現代の剣道教室と同じ環境が異世界に再現されてしまった。防具を身に着けゴブのすけに面を打たせるカテリーヌ……この感じ、懐かしいなあ。

 さらに数日後にはゴブねが、その翌日にはゴブのりが入門した。俺の異世界道場は意外に繁盛していた。


「毎日が充実しています! 先生の弟子になれて本当に良かった、剣を振っていてこんなに楽しいと思った事は今までにありません!」


 カテリーヌはそう言って朗らかに笑う。正直、俺には何がそんなに楽しいのかわからない。


 彼女は俺たち洞窟の家族の仕事にも熱心に取り組んだ。狩猟、採取、加工、貯蔵……そしてそれ以上に、俺の身の回りの世話を焼いてくれる。


「アケビを見つけました先生、ドングリ粉でケーキを焼いても良いですか?」

「お酒を召し上がるのですね先生、今ナマズを塩焼きにします」

「ああ待って下さい、先生のパンツは私が洗います!」


 俺にカテリーヌみたいな力があったら? 少なくともこんな場所には居ねえわ、もっと自分を高く評価してくれる場所に行き、大勢の人々にちやほやされて暮らす。少なくとも10歳以上年上のおっさんの世話など焼く暇はない。


 カテリーヌは俺が薪を割っていても近くで見ている。いやもうわかるだろ、俺はただのおっさんだって。しかし。


「薪の割り方一つとっても、私と先生では全く違います……先生の薪割りには私のような力の無駄が一切ありません」


 当たり前だ、俺は楽がしたいし、そもそも石斧なんてそう豪快に切れる物じゃない。

 万事がそんな様子だから、素振りなどをしてみせたら、


「先生の太刀筋は何故そんなに美しいのでしょう……顧みて私の太刀筋のなんと粗雑な事か……グスッ……ありがとうございます先生、私もきっと先生のような美しい太刀筋を身に着けます!」


 涙まで流してそんな事を言うのだ。こちらとしては、一周回ってバカにされている気さえする。

 だからさあ。人外のスピードで剣を振れるなら形なんかどうだっていいじゃねえか、適当にぶった斬りゃあいいんだから。塚原卜伝でもそう言うわ。


 そして稽古の後で、物陰に行って上着をはだけ体を拭いていても。


「手拭いと清潔な水をお持ちしました先生、御体をお拭き致します」

「うわああ!? そ、そういうのはいいからッ!」


   †


「今日で二週間。俺がお前に教えられる事は全て教えた」


 面倒になった俺は、カテリーヌにそう告げた。


「そんな……先生、私にはまだまだ学び足りない事が山ほどあります」

「もう十分だ。最後に立ち合いをやる。それでお前が俺に一太刀でも浴びせられれば合格だ、山を降りて仲間の元に戻れ」

「嘘です、そんな……早過ぎます、今の私が先生に勝てるわけありません」


 いや、どこをどうしたら俺が勝つんだよ。まあいい。とにかく彼女にはここを離れてもらいたい。

 二週間彼女と暮らしてみてわかったが、どうやらこの子は普通の子ではないらしい。当たり前だけど。

 本人も言っていた。カテリーヌはこの世界では勇者と呼ばれる者なのだと。そして勇者はこの異世界の人類史の中にも数人しか居ない、伝説の存在らしい。

 ま、そうじゃなくてもさあ、こんな女の子が俺なんかに騙されてこんな所に居ちゃいけないよ。俺はまだ弱かった頃の彼女にプロレス技をかけていじめ、持ち物まで取り上げた悪い奴だ。それだけだ。


「構えろ。そして打って来い」

「出来ません、先生」

「甘えるな! お前も一人の剣士だろう」


 俺はもっともらしく、そう声を張る。カテリーヌはようやく竹刀を構えた。

 はあ……カテリーヌはあの木刀で恐竜の首を切っていた。切れていないように見えたのは、あまりにその切れ味が凄過ぎて切断面がぴたりとくっついてしまったからだ。そんな彼女の本気の一撃を喰らったらどうなるのだろう? 何ならこの子、竹刀でも岩とか切断出来るのでは?


「やあッ!!」


 俺が気勢を張ると、カテリーヌの表情も変わった。真剣な眼差しで俺の竹刀の切っ先を見つめるカテリーヌ……凄い美少女だよなあ、本当に。ゴブ美ちゃんが作ってくれた剣道着の胸元から、大き目の胸にきちんと巻かれた白い晒し布が見える。これがこの世の見納めの景色なら、それも悪くはねえな。


 しかし次の瞬間、カテリーヌは消えた。後にはごくわずかな土ぼこりしか残っていない。いやもう、いつどこへ消えたのか全くわからん。

 きょろきょろしても意味がなさそうなので、俺はただ竹刀をゆっくりと、八相に構え直す。日本剣道形には入っているのに稽古や実戦で使うと不真面目だと言って怒られる、謎の構えである。


「や、やあっ!」


 カテリーヌは俺の左後ろに居るらしい。その控え目な気勢は、結構遠くから聞こえる。俺はもう無駄な抵抗はやめ、八相に構えたままピタリと立ち尽くす。


「えい! おう!」


 カテリーヌの声が移動する、俺の後ろに、右に……漫画の忍者みてえな速さだな。俺は視線一つ動かさず虚空を見つめ続ける。疲れるから早くしてくれ。


―― カシャン。


 すぐ足元で音がした。気が付けばいつの間にかカテリーヌは俺の目の前に居て竹刀を投げ出し平伏していた。


「打てません……どこからも打てません! 私の未熟な剣では先生の視線すら動かす事が出来ません、グスッ、力の差が、あまりにも力の差があり過ぎます、うえっ、申し訳ありません、先生の教えをいただきながら、私は……自分が、こんなに弱いとは……グスッ……ううっ……」


 待て待て待て待て俺ボーッとつっ立ってただけだぞ!?

 ちょっと待てェ! 何で泣くんだよそれもそんなボロボロ、えええ? 今日は俺何もしてないだろ!?

 カテリーヌが涙でボロボロになった顔を上げる……ひいっ!? ヤバい、この美少女のマジ泣きの顔はヤバい!


「御願いします、先生、どうか私を、グスッ、捨てないでください、何でもしますから、どんな修行にも耐えてみせます、私はどうしても、どうしても強くならなくてはならないのです、御願いします!」


 気が付けば、道場にはゴブのりとゴブねもやって来て、目を丸くして泣き崩れるカテリーヌと立ち尽くす俺を見ていた。

 心根の優しい二人は、俺の方に、抗議の意思を込めた視線を送って来る……ボボバビさん、ちょっと厳し過ぎるんじゃない? いくら強いって言っても、10歳も年下の女の子にさー?


「なっ、泣くな! 本当に強くなりたいのなら泣いている暇などない、カテリーヌ、稽古の時でもそうでなくても構わん、これからはいつでも俺に打ち込んで来い、それで一太刀でも浴びせられれば免許皆伝だ」


 気がつけば俺は無茶苦茶な事を言っていた。


「そんな……でも、いえ……はい……」

「はいかいいえかはっきりしろ」

「はいっ!」


 もちろん俺にも、とんでもない事を言ってしまったという自覚はある。だけど彼女の盛大な勘違いによる敬意と献身を受け続けるのも限界だったのだ。俺もそこまでワルにはなりきれねえよ。

 とにかく何とかしていっぺんカテリーヌにぶっ飛ばされりゃいいんだ。泡を吹いて倒れた俺を見れば、この子の目も覚めるだろう。


 その時。


「アアィ! アアィ!」


 ゴブじろうが遠くで叫んだ、あれは何か良くない事が起きた時に、仲間に警戒を呼び掛ける時の声だ。どうした? また別の恐竜が出たのか?

 俺は竹刀を手にしたまま、道場の近くの岩に登る……森の縁から誰か、いや集団がやって来る、7人いや8人、トゲトゲのついた革の防具や肩パッドを身に着け、鉄の斧や槍を担いだ、筋骨隆々の半裸のモヒカン男たちが……


「ヒャッハー!! あったぜぇ、手つかずのダンジョンだァー!」

「魔物だ、魔物が居やがるぜ! ケケケ、汚物は消毒だァァー!」


 あれは……冒険者なのか? 8人の男が武器を手に、逃げるゴブじろうをのしのしと追い掛けている! 何てこった、今までこんな事なかったのに!


「どこだぁ? 宝はどこだあ!? 出さねえと殺すぞ!」

「どうせそのダンジョンに貯め込んでんだろ、ケヒヒヒ」


 冒険者? 共は舌なめずりをしながらゆっくりと向かって来る。どうしたらいいんだ、こんなの……


「あ、あのなカテリーヌ、あいつらを説得」


 俺は傍らのカテリーヌにすがるような目向ける。しかしカテリーヌは既にそこに居なかった。


「ぎゃフッ……!」


 そして向こうに向き直った時には既に男の一人が、黄色い光を放つカテリーヌの竹刀にカチ上げられ宙を舞っていた。滞空時間の長い一撃だな……


―― ドザサァ!


「ひ……ひぃぃっ!?」

「あ、あんた、いや貴女は勇者、カテリーヌ……ッ」


 ドン引きし尻もちをつく男共を、カテリーヌは見回す。


「お前達、何故ここにやって来た?」


   †


 男共はカテリーヌに命じられるまま一列になって地べたに正座し、カテリーヌが尋ねた事には何でも素直に答えた。

 この沼に小さな洞窟がある事は地元の猟師なども知っていたが、そのうちの一人が、ここに魔物が棲みだしたのを見たという。


「申し訳ありません先生、一年前に私がここに来たのもその噂のためです、うかつでした……私は近隣の村に降り、ここに居るのは魔物ではないと周知させて来ます、先生、どうか半日ばかりお暇を下さい」


 カテリーヌは片膝をついて、俺にそう言った。うん。気をつけてね。あと出来たら早く帰って来てね、またこんな冒険者が来たら怖いし、心細いから……


「お前達はその男を背負って帰れ。変な気は起こさない方がいいぞ? ここにいらっしゃるのは、私の唯一無二の、剣術の師匠だからな」

「ひいっ、滅相もございません、勇者カテリーヌのそのまた師匠に逆らうだなど」


 最後に男共に睨みをきかせると、カテリーヌはアニメの忍者みたいな速さで森の中へ走り去って行った。男共も白目を剥き泡を吹く男を担ぎ、すごすごと退散する。

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