第34話
ゴブじろうの嫁さんにはゴブ美という呼び名を付けさせてもらった。ゴブ美ちゃんは最初は俺の事を怖がっていたが、数日で慣れてくれた。
俺の洞窟に、仲間が住むようになった……この事は俺の健康にとって大きな意味があった。俺とゴブじろうは自然に、どちらかが寝ている間はどちらかが起きているようになった。つまり。俺はようやくまとまった睡眠を摂れるようになったのだ。
ゴブじろうは狩りや酒造りの他、木工が得意だった。複雑な形に磨かれた石を使い、切断、穴ぐり、研磨、何でもやってみせる。
ゴブ美ちゃんは俺が出来なかった皮なめしや筵編みが上手に出来た。彼女は俺に、日本からずっと着ていたスーツに代わる、素敵な服を作ってくれた。
この地の気候も、俺が来た時より暖かくなって来た。もう火がないと眠れないという事はない。
それでも俺は、あのモバイルバッテリーを犠牲にして起こした火を守り続ける事は続けていた。ゴブじろう達も俺の気持ちを察したのか、火種を守る事に協力してくれた。
†
ある日。
洞窟の中の自分の部屋で目覚めた俺は、いつものように外に出た。眩しい……もう日が登ってる。俺は洞窟の壁の正の字の山に棒を一本足す。
「ボボバビ」
「おはよう、ゴブ美ちゃん」
洞窟の外では煮炊き用のかまどの上に設置した土器の鍋で、ゴブ美ちゃんがナマズと草の煮物を作っていて、俺に不器用な笑みを向けてくれた。
ゴブじろうは朝の狩りに行ったのだろうか? 今日は昨日捕れたこのナマズがあるし、スライムなんか狩らなくてもいいはずなのだが。
その時。
「ブッ……」
ゴブ美ちゃんが急に顔をしかめ、おなかを抱えてうずくまる。
「どうした? ゴブ美ちゃん?」
「ビ……ビバ……」
大変だ! 俺は洞窟の上に駆け上り辺りを見回す。ゴブじろう! この大事な時にどこへ行った!? ……居た! 良かったそんなに遠くなくて、だけど何をしてるんだあいつ? ん……ゴブじろうが逃げてる! 何が起きた!?
俺はゴブ美ちゃんの様子をちらりと見る、彼女はお腹を抱えてうずくまっている、だけど今の俺が彼女にしてやれる事を思いつかない……俺はとにかく愛刀を取り、ゴブじろうが居る方に駆け出す!
†
「ウウーッ、アウウ!」
「観念しろ、魔物め!」
そこに駆けつけた俺は……驚愕していた。
ゴブじろうを襲っていたのは人間だった。それも年の頃は15、6かという、輝くような金髪をポニーテールにした美少女だった! 青いチュニックに黒のズボン、革の胴鎧と手甲を身に着け、鏡のように磨かれた鋼鉄の剣を構えた美少女剣士なのだ!
俺の目に、涙がにじんだ。
居たんだ。この世界にも人間が。それもこんな美少女が……
俺がこの地を離れず、ここで空虚なサバイバル生活を送っていた理由。それは、ここを離れて行く先にあてがなかったからに他ならない。
この世界に人間が居るのか、どこかに人間の町があるのか、そんな事、全く解らなかったのだ。それで意味もなく深い森の中に、持てるだけの物資を持って突っ込んで行く事なんて出来るか?
だけど居たんだ。人間は居たんだ。それもこんな美少女が……
彼女が着ている服はきちんとした機織り機で編まれたきめ細かい布で出来ている、俺が着ているような草の繊維をそのまま編んだ服ではない。
彼女が持っているのは高温の溶鉱炉で溶かした鉄を鍛え上げた鍛鉄の剣だ、それはもちろん、それだけの鍛冶技術を持った文明がこの世界に確かに存在する事を意味する。その町はきっと煉瓦や漆喰で造られた建物で出来ていて、貨幣経済が発達しているに違いない。
行きたい。俺もそこに行きたい。やっぱり俺は文明人なんだ、いつまでもこんなサバイバル生活をしていたくはない。
この美少女に訳を話し、その町へ、連れて行ってもらいたい……!
「せィやァァア!!」
刹那の間煩悩に囚われていた俺はそれを振り払い、木刀を揮ってその女がゴブじろう目掛け振り降ろしていた剣を弾いていた。
ゴブじろうは既に手傷を負っている。この女に傷つけられたのか? ちくしょう、ゴブじろうはいい奴だし、これから父親になるんだぞ!?
女は突然現れた俺を見て驚いた。
「えっ……えええっ、人間!? なんで……」
「何でじゃねえ、俺の友達に何をする、こいつがお前に何かしたのか!?」
ゴブじろうはこん棒を持っていたが、腰には採集用の網袋を提げていた。こいつはただ、好物のタニシを拾い集めていたのだと思う。
女は、俺の恰好をまじまじと見る。ゴブ美がが作ってくれた服、木の幹を削っただけの木刀、葦の草鞋……
「そうか……魔物に妖術で操られ、奴隷にされてるんだな!」
「な……何を言ってんだお前」
「そこをどけ、その魔物を退治してやる、どかないというのなら……残念だがお前から」
女は両手で剣を振り上げ、打ち掛かって来ようとする。俺はぴたりと正眼の構えを保ったまま待ち受ける。女は一瞬、いや数秒の間、攻撃を躊躇した。ああ。こいつたいした事ねえな。
急いでいる俺は一歩前に踏み込む。そこで女は意を決して切りかかって来るが、それは俺の思惑通りのタイミングになった。剣で相手を操るとはこういう事だ。
―― ブン!
―― ガッ!
「小手ァァァり!」
俺は女の上段からの剣撃が来るより先に、その右手首に鋭く軽い打撃を加えながら一歩下がり、
「くッ……」
「面ャアア!」
相手が苦痛に顔を歪めながら剣を振り直す前に防具もつけていない頭に軽い一撃を加えながらその横を駆け抜けて残心を取り、
「まだッ……」
「ン胴ォォオ!」
痛みを堪えて追い掛けて来た女とすれ違い様、脇腹に逆胴を叩き込む。これは少し痛むように打った。
「ひっ、あっ……」
相手の呼吸が一瞬止まる……その瞬間に俺は木刀を放して後ろから組み付き、その手から鋼鉄の剣をもぎ取る!
―― パタッ、コロン……ドスン
木刀が土の地面に落ち、乾いた音を立てる。俺に後ろから突き飛ばされた女も、よろめきながら膝をついて倒れる。
「か、返せ!」
それでも女は振り向きざまに、俺に奪われた鋼鉄の剣に手を伸ばそうとする。だが俺は既にそれをピタリと上段に構えていた。
俺の、完勝である。
「そ……そんな……」
「もう一度聞くぞ。俺の友達がお前に何かしたのか? こいつが先に攻撃して来たとでもいうのか」
まあこんな質問をした所で、うそをつく気があれば何とでもごまかせると思うのだが。しかし女は正直者だった。
「そいつは、魔物だ……正義の名の元に討伐されなくてはならない、人の世に災厄をもたらす物だ!」
ただし言っている内容は酷く偏ったものだと思う。こいつの中ではそれが正義なのか……それがこの世界の正義であるとは思いたくないな。
「……勝手にしろ。とにかくお前は戦いに負けた、とっとと帰れ、帰れ」
面倒になった俺はそう言って構えを解き、あっちへ行けという風に手を振る。ゴブじろうの手傷も軽そうだ。かすり傷か、女の攻撃をかわした時に転んで出来た傷かもしれない。
「まっ、待てッ! その剣を返せ!」
「……いいだろう。ほら」
―― ボトッ
俺は素直に女の目の前に剣を転がしてやる。女は少しの間、投げ返された剣を見つめていたが、やおらそれを握りしめ、
「てやー!」
懲りずに俺に切りかかって来た。俺はヒョイと屈みこみ足払いを掛けてやる。
―― ドスン!
「あぐっ……!」
やれやれ……こんな事はしたくなかったんだがな。俺は再び、うつ伏せに倒れた女の手から剣をもぎ取り、身を翻して逃げようとした女の目の前に突き付ける。
「ああっ、ああ……」
俺はゴブじろうをちらりと見る……奴だって怒っている。こん棒を手にしたゴブじろうは、歯を剥いたままゆっくりと近づいて来る。
女は仰向けになったまま尻で這いずって逃げようとする。しかし俺達は女を岩陰まで追い詰めていた。これ以上は逃げられない。
「やっ、やめろ……やめて……」
「どうしても、わからせられたいようだな?」
俺とゴブじろうは女を見下ろし、残忍な笑みを浮かべた。
†
「いやァァああ!」
俺は女に腕ひしぎ十字固めをかけていた。
「誰が魔物かなんて誰が決めたァ!? こいつは性根の優しいいい奴だ、もうすぐ父親になる、俺の大事な友達なんだぞ、それをおめェ何て事しやがる!」
「ビブ!? ビブ?」
「いたぁい! いたぁぁい!」
ゴブじろうは女の顔の近くで、降参するかどうかを尋ねるように、地面を叩く。女は首を振って嫌がっている。
「お前も剣士ならその剣の重みを知れェ! 斬っちまったもんはなァ、元には戻んねえんだよ! 剣を向ける前に、それは本当に斬るべきものなのどうなのか、自分の目で見極め、自分の頭でしかと考えろ! それが出来ねえままで構えてっからなぁ、お前の剣は弱いんだ!」
俺は女に足四の字固めをかけていた。ゴブじろうは尚も女に問い掛ける。
「ビブバップ!? ビブバップ!?」
「嫌ぁぁぁ! 痛い、嫌ぁぁぁ!」
俺は女にサソリ固めをかける……なんだかだんだん辛くなって来た。
「お前は人間が強盗をしたら、全ての人間を強盗と呼ぶのか? こいつらの親類がどこかで何かしたからって……その、なんだ」
「ひっく、ひっく、ごめんなさぁい、ううっ、許してください、おねがいします、ぐすっ、ぐすっ……」
ゴブじろうが俺の肩を叩く。もう十分だと……ああ。俺は女の足を手放し、立ち上がる。女の子はうつ伏せのまま、シクシクと泣いていた。
「コホン、あの。わかればいいんだ、わかれば……そうだ! ゴブじろう、ゴブ美が産気づいた、ゴブ美、おなか、たいへん! 早く戻って顔を見せてやれ!」
「ベベッ!?」
俺の身振り手振りが通じたのか、ゴブじろうは大慌てで洞窟の方に帰って行く。後には女の子と俺だけが残った……何だか気まずい。
「ほら、いいから帰れお前」
「グスッ、御願い、します……その剣だけは、返してもらえませんか? グスッ……故郷の人たちが持たせてくれた、うえっ、大切な剣なんです……ヒック」
女の子は、土下座までしてそう言った。
剣なあ。どうしよう。また斬りかかって来られたら面倒だし。それにいくら女の子だからってなあ……俺もゴブじろうも、下手したら斬られて死んでたかもしれないもの。
「駄目だ。お前が剣士としての心構えをきちんと身に着けるまで、この剣は俺が預かる」
俺はそう言って鋼鉄の剣と自分の木刀を拾い上げ、木刀の方を女の子に向かって差し出す。
「それまではこいつを腰に差しておくんだな。さあ、もう行け!」
「そんな……うあっ……うっ……」
女の子が顔を上げた……うわあボロ泣きしてる、ちょっと待てこれ俺のせい? いや100%俺のせいだけど、でも、
「うわぁぁぁぁぁぁん!」
立ち上がった女の子は俺の手から木刀をひったくると、後ろを向いて号泣しながら駆け出して行く。
「ひっく、うぇっ、うぇっ、うわぁぁぁぁん、ふわぁぁぁぁぁん!」
「い……いつか取り返しに来いよ!」
本当はもう来ないで欲しかったけど。俺はその後ろ姿にそう呼び掛けた。
女の子は派手に泣き散らしながら、まっすぐ森の方に走り去って行く……
あーあ。もう少し何か、上手いやり方はなかったのか? あの子に聞きたい事はたくさんあった。ここはどんな世界だとか、人間の町はどこにあるとか。
トホホ。仕方ねえ、しょせん俺は女の子に暴力を振るって泣かせるようなクソ野郎だ、きっとどうにもならなかったのさ。
俺も洞窟に戻ろう。俺が居ても、出来る事なんか何もないけどな。
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