第21話

「うわ、うわ、うわあああ!」


 真っ暗なトンネルの中を流され、滑る! 滑る! トンネルは曲がりくねっていて、僕の体は水と共に右へ、左へ振り回される、もうどちらが上でどちらが下なのか解らない!


「ひえっ、ひえっ、ぎゃああああ!」


 暗くて何も見えない、もうだめだ、僕はこの暗闇の中で死ぬんだ! だけど遠い前世の記憶が、こういうの前にも経験した事があると言っている。遊園地にあったそのトンネルは半透明で、流されて行く自分の姿もよく見えたような気がするのだが。


「ひいいいいっ! 速い、速いよ、止まれない、待ってどこまで滑んのこれ!」


 周りが見えないので時間の感覚もない、無限とも思える時間の中、僕は真っ暗なトンネルを滑り落ちる……あっ、行く手に光が見えて来た。光が……ちょっと待て出口だけ細く幅広な四角形になってる、これ僕通れるの!? 駄目だ止まれない!


―― ドザザザザババア!!


「ああああああああ!?」


 最後に一か八か体をべったりと寝かせた僕は、ギリギリその出口を通る事が出来た。どこなのここ? まぶしい……

 ようやく目を開ける事が出来た僕が見たのは、石造りの遺跡のような場所だった。これは集落にあった、屋根のない神殿のような場所?

 僕が飛び出して来た出口からは、勢いよく水が噴き出している。この広い石畳は、もしかして水を貯める人工池だったのか。


「ひええ、領主さま」

「領主さまが、こんな所から出て来なすった」


 鹿のおじいさんが、牛のおばあさんが、よろよろと歩いて来て驚いていた。僕は背後の山を見上げる……なだかな山の中腹から、細い煙が上がっている。僕はあそこからここまで、一気に滑り降りて来たのか。


   †


 程なくして、石造りの池は水で一杯になった。

 出水口から出る水は最初のうちは長年溜まった土や枯葉、木くずなどを含んでいたが、やがて透き通った綺麗な水だけになった。『浄水』をかけてみても、ほとんど不純物が出ない。

 池を一杯にした水は、やがて集落を巡る、雨水を流す為の溝を流れて行く。


 周りには集落の人達が次々と集まって来た。今朝僕らの出陣を見送ってくれた女の子達も、目をまん丸に見開いて僕と、池を満たした水を見ている。

 ああ。あの猫の女の子が、またおずおずと近づいて来る。


「あの……領主さま、このお水、どうしたの……?」

「あ、ああ。これはたぶん元々この村に水を供給してた古い水道だと思う、いつから止まっていたのかはわからないけど」


 池の水深は30cmくらいだろうか。水質を調べていた僕は池の中に居た。獣人たちはまだ、猫の女の子を含めて、池の外にいる。


「あのね、領主さま……このお水、あたし達も使っていい?」


 猫の子が上目づかいで僕を見て、か細い声でそうつぶやく。池は何段かに別れていて、下の段にも水が溜まっている、これなら用途に合わせて使い分けも出来るだろう。


「当たり前だよ、水浴びでも洗濯でも、何にでも使ってね」


 僕がそう答えた瞬間、


「きゃあああああああ!」


 満面の笑みを浮かべた猫の子は池の淵から跳躍し抱きついて来て、


―― ちゅううう!


 僕はたちまち唇を奪われ、


「大好き! 大好き! 領主さま大好き、きゃー! きゃー! あたしの領主さまあ!」


 池の中に押し倒され尚もほっぺたを舐められた、さらには次々と、


「ずるいレーニャ、私も領主さま大好き!」「あたしも! 領主さまぁ!」「わしも! 領主さま大好きですじゃ!」


 犬やウサギやキツネの女の子が飛びついて来て、みんなで僕の顔を舐めまわす、何これ、ちょっと! 助けて誰か!


   †


「天下一助平男のクローゼさま。心配しましたわ、あくまでミストルティン家で働くメイドの勤めとして」


 山の中腹からここまで駆け通して来たシルレインは、氷のような仏頂面で腕組みをして僕を見下ろしていた。


「領主さまはあたしのー!」「領主さま、領主さまぁ!」「ひとりじめはだめなのじゃー!」


 僕はまだ池の中に座り込んだまま、下着姿になった女の子たちに前後左右から組みつかれていた。周りでも集落じゅうの女の子たちが半裸で水と戯れている。


「あの……僕は何もしてないんですけど……」

「どの口がおっしゃるのでしょうクローゼさま。わたくし、貴方より長く鼻の下を伸ばした少年を見た事がありませんわ」


 僕は慌てて鼻の下を押さえる。そ……そんなに伸びてる……?


 正直な所。

 初めて見た時の獣人の女の子たちを、僕はそんな風には思わなかった。厳しい生活に疲れた、気の毒な子たちだと思った。

 貴重な真水を無駄遣い出来なかったのだろう、どの子も顔や髪、毛並みが煤けていて、みんな一様に元気がなく、そして見知らぬ人間である僕を見て怯えた顔をしていたのだ。

 だけど水浴びをして綺麗になり、最高の笑顔を向けてくれるようになった女の子たちはよく見たら、あの子も、この子も……めちゃめちゃ可愛い子ばかりなのだ。動物に近い顔の子も含めて、その……健全な意味で。健全な意味で!


「私はルーダン城に戻っておりますので。何かご用でもあればお越し下さい、エロ河童のクローゼさま」

「シルレイン、御願いだからこの手を引っ張って、起き上がれないんだよ僕」


   †


 僕とシルレインはルーダン城の物置にあった材木で蓋を作り、巨大グモが占領していた石の棺桶こと、水道施設の調整池に被せた。

 昔の人に感謝しなきゃ。この水道が末永く使えますように。


「聖人君子の皮を被った獣のクローゼさま、着任早々手柄を立ててしたり顔ですね。昔から好事魔多しと申しますわ、お気をつけ下さい」


 いつも不機嫌なシルレインは、今日はことさら不機嫌だった。


「あの……うん……ありがとう。だけど結局井戸の方は直らなかったね」


 村には水道が戻ったが、ルーダン城では今後も毎日水汲みをしないといけない。

 『浄水』のスキルはそもそも水がなければ何も出来ない。だけど世の中には何もない所から水を湧き出させる完全上位互換の魔法もあるそうで……そりゃ父も、ハズれスキルだと怒るわけだ。


「わたくし、水汲みに行って参ります」

「……御願いします」


 ここから水を汲みに行くなら、集落に出来た水道が一番近い。シルレインは両方に壺を下げた天秤棒を担ぎ上げる……僕が行くって言ったらまた助平男呼ばわりされそうだしなあ。しかし。


「領主さま! お水持って来たよ!」

「領主さまの井戸、直ってないのよね!?」

「これから領主さまのお水は、わしらが汲むのじゃ!」


 そこへあの猫の獣人のレーニャという子を先頭に、集落の方から手に手に壺を抱えた女の子達がやって来た。どの壺にもなみなみと水が入っている。


「あ……ありがとうございます、みなさま……」


 シルレインは呆気に取られながら、天秤棒を降ろす。女の子たちは城の軒先の大きな水瓶の蓋を取り、中に持って来た水を注ぐ。


「ほっほ、これから毎日持って来るからの」

「ああ、せっかく水汲みから解放されたのに、そこまでしてくれなくても」

「私たち力持ちだから平気だよ、前はもっと遠くまで水を汲みに行ってたんだから」


 僕は内心、ほっとため息をつく。地元の人達と仲良くなれて良かった、決して助平な意味じゃなくてさ。おじいさんおばあさん達は喜んでたけど、子供たちは僕のことずっと警戒していたし。

 これからも領主としてやって行けるかな? 僕。僕はそんな問い掛けを込めた視線をシルレインに向ける。

 シルレインも僕の視線に気づき、いつもの毒舌で何か言おうとしたけれど……それをやめて。微かに苦笑いをして、小さくうなずく。


「ねーねー領主さまぁ、領主さまはとても優しい顔をしてるけど、男の人なんだよねー?」


 猫の女の子、レーニャが丸い瞳をキラキラさせ、僕の顔を見上げ小首をかしげて言う。可愛いなあこの子。純粋で屈託がなさそうで。


「これでも立派な男のつもりなんだけどなー。そう見えない?」


 僕が苦笑いしてそう答えると、レーニャは満面に明るく健康的な笑みを広げ、両手を広げて言った。


「じゃあさ領主さまぁ! あたしと交尾しようよ!」


 次の瞬間、レーニャは尻尾と耳の毛を逆立たせ飛びのく。シルレインが音もなく僕とレーニャの間にスライドインして来たのはそれと全く同時だった。


「まあ。小さな女の子がそんな言葉を軽々しく口にしてはいけませんわ」


 シルレインの言葉はとても穏やかだった。背中を向けているので、どんな顔をしているのかは全くわからなかったが。


「キャー怒られたぁぁ」「待ってぇレーニャちゃーん」「領主さま、またのぉー」


 女の子たちは、空になった壺を抱えて門を飛び出して行く。僕はただ、顔面を引きつらせて尻もちをついていた。

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