男爵令嬢の憂鬱
来客予定は突然に
「来月の3日に客人が来る」
化物城の執務室、アンジェリカの言葉に耳を疑う。同じ部屋にいたフィンと顔を見合わせた。月が替わるまで、あと5日しかない。
「8日後ということでしょうか?」
恐る恐るたずねると、アンジェリカは気まずそうにうなずく。
「……すまん」
アンジェリカの申し訳なさそうな顔を見て何も言えなくなる。それはフィンも同じなようで、すでに準備すべき事柄のリストアップを始めている。
「アンジェリカ様、待機雇用の使用人を全員呼びます」
オレが言うとアンジェリカはいくらでも呼んでくれと答える。その言葉を受けてオレは待機雇用リストを抱えて部屋を飛び出した。
城を出たオレは、リストの上から順に街の商会や、工房を回っていく。
待機雇用はヴァイス家独自の雇用形態だ。
ヴァイス家は、アンジェリカが跡を継いだ時にほとんどの使用人に暇を出している。
しかし、様々な場面で多くの使用人の手が必要になることがあった。
今回の来客などがそうだ。屋敷の掃除や料理の準備。オレやフィンを含めて数人の使用人だけでは到底無理である。
それを見越していたアンジェリカは、暇を出すときに彼らへ1つ提案をしていた。
それが待機雇用である。
使用人が必要になった時に呼び、屋敷で使用人として働いてもらう、というものだった。
屋敷で働いた日がない月でもの給与が出て、使用人として働いた日があればさらに追加報酬が出る。そして街で待機雇用の元使用人を雇った商会や工房はヴァイス家から元使用人以外の人員を追加で雇うための援助が定期的に受けられた。
実験的に始まったこのシステムだが、実際に始まると、労働力が増えて余力が出た商会や工房の多くが新たな試みを始めて、街の経済活動は活発になりつつある。
待機雇用者を雇っている商会長や工房長に事情を説明して使用人を集める。
事情を聞いて大笑いしながらすぐに使用人を城へ向かわせてくれた工房長や、頷いて用意できる食材、物品のリストを渡してくれた商会長に感謝をしながら、オレは街中を走り回りつづけた。
******
リストの待機雇用者の平常勤務地をほぼ回り終え残すはあと1つとなった。だが、この最後の1つが非常に厄介なのだ。
「やっぱりいないか」
日雇いの仕事や、人助けの臨時雇用ばかりで、待機雇用枠での仕事をしない男だった。
最後に会った時に今はここにいると言っていた場所に向かったがもうすでに離れた後のようだ。
登録されている家に向かったが案の定留守。
ここまで手間がかかると放っておきたくなるが、そうはいかない。あの男はヴァイス家唯一の料理人なのだ。
来客のもてなしに食事は必須だ。なんとしてもつれていかないといけなかった。
「どこにいるんだ……」
この広い街で見つけるのは至難の業なのではないか。
そう考えていると急に肩をたたかれた。こんな時に、という少しのいらだちと淡い期待を込めて振り向くと、探していた男、料理人のジェイドが軽薄そうな笑顔をこちらに向けていた。
「こんにちは、テオ。探したよ。戻ろうか」
長いブラウンの髪を耳にかけながら挨拶もそこそこに化物城に向かって歩き出すジェイドを追いかける。
「それはこちらのセリフだ……相変わらず耳が早いな」
「まぁ、それも仕事だからね」
「なら、なぜ毎回勝手に来てくれないんだ」
「急ぎのようだったから今回はすぐ出てきてあげただろう?」
悪びれない様子にため息をつく。ジェイドはヴァイス家で料理人が必要になるタイミングの情報をどこのルートからか仕入れるとなぜか隠れる。オレが探し出すまで化物城には来ないのだ。
「皆さんにはもう声をかけたのかい?」
「あぁ、すぐに向かってくれた人もいる」
「それは、職場の理解もあっていいことだ」
ジェイドが含みのある言い方をしたのを、黙殺する。
今では使用人の多くが待機雇用を受け入れて屋敷の外で暮らしているが、最初は不安や抗議の声もあったという。
そんな中、アンジェリカが跡を継いですぐ、先陣を切って待機雇用になった者がいた。
それが、アンジェリカの元で働きだしてすぐに引き合わされたこの男。料理人兼“諜報役”のジェイドだ。
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