絶望の淵で /三題噺/テープ/ロープ/ホープ

雨宮 徹@クロユリの花束を君に💐

絶望の淵で

 今日もインターフォンが鳴る。

「おい、今日こそ返してもらうぞ!」

扉をドンドンと叩く音が聞こえる。借金取りだ。



 なぜ借金するはめになったのか。生活に困ったからである。

 今から半年も前のことだ。勤めていた会社が潰れたのだ。もちろん、新たな就職先を探したが、もうすぐ還暦を迎える私を雇おうとする会社は残念ながら見つからなかった。



 「明日も来るからな!」捨て台詞を吐くと借金取りが去っていった。

 ほっと胸を撫で下ろす。だが、明日も同じことの繰り返しだろう。私には生きる価値があるのだろうか? 自問自答する。妻には先立たれ、子供はいない。この世で私を気にかける人はいない。ならば、いっそ楽になろう。


 では、どんな手段にしようか。ロープを使って首吊りか。それとも練炭を使うか。練炭を使うなら、テープで目張りが必要だろう。どちらの方法にせよ、手元には必要な道具がない。私はそーっと扉を開ける。外には誰もいない。大家が外出しているか分からないので、足音をたてないように階段を降りる。



 街は新年に向けて慌ただしい。家電量販店の前を通った時だった。

「今年最後のG1、ホープフルステークスが本日午後に開催ですが、予想はいかがでしょうか」

「今年は予想が非常に難しいですね。強いて言うなら……」

 競馬か。賭け事をやったことはないが、最後の希望を託すのも悪くない。私の足は自然と競馬場に向かっていた。



 競馬場に着くと、大勢の人で賑わっていた。

 いざ、馬券を買おうとすると、困ったことにどの馬に賭ければいいのか分からなかった。さっきのテレビでも予想は難しいと言っていた。ならば、適当に数字を選ぼう。そうだ、妻の誕生日にしよう。

 私は馬券を握ると会場に入った。



 会場に入ってからのことはよく覚えていない。気づくとファンファーレが鳴り響き、レースの始まりを告げていた。

 少しの静寂の後、ゲートが勢いよく開く。実況がなにやら喋っているが、全然耳に入ってこない。ただただ馬群を見つめる。

 第三コーナーにさしかかると、一頭の馬が抜け出した。違う、この馬じゃない。私はどうやら神様から見放されたらしい。これも運命だろう。諦めかけた、そのときだった。


 第四コーナーを過ぎると別の馬が追い上げてくる。それは私の運命を背負った馬だった。

「中山の直線は短い! 追い抜くことはできるのか!」実況が盛り上げる。

 私は無意識のうちに大声を出していた。

「いけ! いけ! まくれー!」

 二頭はもつれあったままゴールする。どっちが一着か分からない。

「写真判定をしますので、少々お待ちください」アナウンスが流れる。

 天国から地獄か。その時間は永遠に感じた。


「今、結果が出ました。一着は七番人気の――」

 私はその先の実況のことは覚えていない。ただ、私が運命を託した馬が一着だった事実は揺るがない。でも、しょせん当たったところで雀の涙だ。

「おい、じいさん。その馬券、万馬券だぜ!」隣にいた若い男に肩を叩かれる。

「万馬券……?」競馬のことはよく分からないが、いいことらしい。

「それも三連単で配当が一千万円越え! じいさん、競馬は初めてなのか?」

「はい……」

「こりゃ、ビギナーブラックだな。じいさん、次はこうはいかないから気をつけろよ。俺みたいにならないようにな」それだけ言うと若者は去っていった。


 一千万円。あまりの大金に実感が湧かない。でも、これなら借金を返しても、十分手元に残る。その間に職を探し続けることもできるだろう。

 その時ふと思い出した。この馬券を買う時、私は妻の誕生日で番号を決めた。まるで「諦めないで! 私の分も長生きして」と言われた気分だった。

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