第1部ー6

 郵便受けから、ガスの料金明細と分譲マンションのチラシを無造作に取り出し、バッグに無造作に突っ込んだ。エレベーターで三階まで上がり、301号室のドアのレバーハンドルを下に下げると、スーッとドアが開いた。


「ちょっと! 鍵はちゃんと閉めてっていつも言ってるでしょう?」


「あ! おかえり、唯香ちゃん、遅かったね。お疲れ様―。先にお風呂もらっちゃったよ」

 Tシャツにトランクス姿の男が、タオルでわしゃわしゃと栗色の髪から水気を取っていた。シャンプーの甘い香りが唯香の鼻をかすめた。


「タケル……来るなら来るって前もって連絡してよね!」


「えー? 今までも連絡なんかしたことなかったじゃん。『家帰って来て、灯りが点いてて、おかえりって言ってくれる人がいるっていいねー』って言って、唯香ちゃん、喜んでたじゃん! さては、男できた?」


「そ、そんなんじゃないわよ! 私だって、ひとりでゆっくりと週末過ごしたい気分の時だってあるのよ」


 本音を言えば、憧れの岡崎さんとお喋りをして連絡先を交換して、久しぶりに異性に対してときめきを感じた唯香は、まるで、長年連れ添った老夫婦の片割れのように、唯香の部屋で寛いでいるタケルを見て、ロマンチックな気分を削がれたのだった。そんな唯香の胸のうちをすべて見透かしているかのように、タケルが、

「へえー、そうなんだー。なんかごめんねー」

 と言った。


 この、いかにもチャラそうな男、紀伊(きい) タケルと唯香は、大学の同級生で、元・恋人同士だ。大学時代、ミスキャンパスのグランプリに輝いた唯香は、モテにモテまくっていた。まさに男選び放題の権限が与えられていたというのに、唯香は、なぜ、この男を選んでしまったのかと、自分の男を見る目のなさに愕然とする。確かに、タケルは、ビジュアルは良い。三十五歳になった今もなお、二十歳代後半くらいに見える。当時、軽音部に所属し、バンドのヴォーカルをしていたタケルの人気はなかなかのものだった。しかし、この男、夢見がちで、いくつになっても地に足がつかない。皆が就職活動に精を出す時期になっても、「そんなもん、俺には関係ねえー」と言い張って、我が道を貫き通した。大学卒業後五年間、タケルは唯香の家に転がり込み、事実上、唯香のヒモ男となっていた。唯香のまわりの友人たちが、次々に、きちんとした男を射止め、やがて子どもを産み、まっとうな人生を着々と歩んでいるのを目の当たりにするたびに、唯香の中で、焦りと不安がむくむくと膨れ上がっていった。まっとうな人生を歩むためには、この男との縁をキッパリと切らなければならない! そう決心し、タケルに別れ話を持ち出そうと口を開いた瞬間、


「唯香ちゃん、ごめんね。俺、結婚することになった!」

 と言われた。


 こんな甲斐性なしの男を五年間も養ってやったうえに、無様にフラれる、元・ミスキャンパスの女。怒りを通り越して、笑いが込み上げてきたことを今でも、唯香は忘れたことはない。


「あんたさあ、今、仕事してんの?」

「ん? 先週辞めた。だって、上司がムカつくんだもん」

(「だもん」じゃねえよっ! この三十五歳の不思議オッサンが!)

「で? 嫁は何て言ってるの?」

「しばらくゆっくり休んで、また探せばいいってさ」

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