第27話 ダンスの特訓

 通されたのは、一階下の階である。


「練習室」というプレートの貼られたその部屋に入るのは初めてだった。


 フローリングの床に、一面鏡張り。

 バレエの練習でもするのか、というような場所である。


 こんな狭い建物に、本格的なレッスン室があるとは思わなかった。これは重宝するだろう。


「まずはアイドルの基本、ダンスと歌のクオリティを上げる。

 タレントや女優、お笑い芸人になるにしても、機敏かつ切れの良い動きと、歌唱力は重要だ。あって損することは無い」


 社長は備え付けのテレビのスイッチを入れると、そこにDVDを入れた。


 途端、きゃぴきゃぴと甲高い声のアイドルが、フリフリの衣装を着て歌い出す、そんなPVが流れ出した。


 最近流行りの、アイドルが歌う曲、『ドキドキ☆スリリングサンデ―』である。


「君にはこれを完璧にマスターしてもらう」


 画面の中で、アイドルは跳びはねながら、いかにもアイドルと言ったハイテンションな調子で歌う。


『ドキドキしちゃう恋模様♪ 

 今日だけ君のシンデレラ♪』


 恥ずかしい歌詞を熱唱している。

 男友達とふざけてカラオケで歌ったこともあるし、何度か歌番組で見て振り付けなども知っている。


「さあ、始めようかユキ。

 私が直々に教えてやる、感謝しなさい」


 社長は眼鏡を押し上げると、ジャージの上着をばさりと脱いで、Tシャツ姿になった。


 まるで鎧を脱ぎ捨てた騎士のような精悍な動作だったが、そのTシャツが『酒池肉林』と書かれている、お土産物みたいなダサい物だったので、思わず噴き出しそうになった。


「余裕ですよ、まかせといてください!」


 MVを見ながら勢い良く頷いた。

 ちょっくらいい汗かいてやろうか、ぐらいのノリで、社長に従った。



 だがそれは甘い考えだった。


 歌いながら踊るというのは、案外重労働だ。


 動けば息は切れる。そして、息が切れたら歌えない。


 まずは音程をはずさずに歌う事から始めた。

 裏声を出すのは結構しんどくて、何度も声がかすれてしまう。


 最初は、いかにもアイドル、というような恥ずかしい歌詞を声高らかに言うのが恥ずかしくて口ごもっていたら、容赦ない社長の鉄槌を食らったため恥を捨てて歌った。


 口先で歌うのではなく、腹式呼吸を使え、と社長からボイストレーニングを受け、喉が枯れるほど繰り返した。


 数時間経って、やっとうまく歌えるようになったと思ったら、今度は振り付けである。


 あまりに俺がどん臭いものだから、最初は曲なしでテンポゆっくりにして振付けをはじめる。


 ただ、それだけでもかなり大変だ。


 サビの部分での繰り返しはあるものの、五分近い曲に合わせた振りを、全て丸暗記しなければいけないのである。


 憶えた所で今度は体がついてこない。

 片手を天高く上げて左右に振った後、胸に持っていき、素早くターンした後ポーズを決めるとか、くるくると腕を回しながらセクシーなポーズをしたりだとか。


 腰をくねらせる振りはかなり腹筋を使うし、腕を伸ばし動かす仕草は二の腕と肩が痛くなる。

 内ももや背中など、普段使っていない筋肉が悲鳴を上げている。


 瞬く間に全身から汗が噴き出してきた。


 バンバン、と銃を撃つポーズをした後に決め顔、ラインダンスのように高く脚を上げる振り、何もかもがアイドル達が歌いながら涼しい顔でしていることだったが、自分がやるとなると、ちっともうまくいかない。


 時には社長自らが踊りの見本を見せながらの指導は、何時間にもわたって続いた。

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