第16話 恋に落ちる音

「もう一人は、インディーズで曲を出しているミュージシャンだ。

 メノウ、きちんと挨拶しなさい」


 一切興味なさそうな調子で四肢を投げ出していた男だったが、社長に言われて渋々舌打ちをして立ち上がった。


 立ってみると想像以上に背が高い。

 血管が浮き出るほどのガリガリな体が見るからに不健康そうである。


 男は身をかがめて俺の顔を覗きこむと、


「……牙城がじょうメノウだ。

 名前なんてただのラベリングだ、覚えなくても構わねぇ。魂に俺を刻み込みな」


 瞳孔を開き、いきなり訳のわからない宣言をしてきた。

 耳たぶに何個もつけられたピアスが痛々しい。


「お嬢ちゃん、ロックは好きか?」


 かすれたハスキーボイスで問いかけられた。

 動物的本能で、ここは肯定しないと駄目だ、と思ったのですぐさま頷く。


 すると誰が好きだ、と聞かれたので、


「ローリングストーンズとか、レッチリとか良く聴きます」


 と恐る恐る答えた。


 数秒間の沈黙。

 取って食われるのではないかと、奥歯を噛みしめていると、牙城は薄い唇から白い犬歯を覗かせて低い声で笑った。


「………いい趣味をしてる。

 彼らの音楽を聴くと、楽園でマシンガンをぶっ放してるような気分になれる」


 どうやら機嫌は損ねなかったようだ。ほっと胸を撫で下ろす。


「そんな怯えるなよバニーガール。

 今日は満月じゃない。取って食いやしねぇさ」


 と言い残すと、社長をちらりと見て再びソファに座りこんだ。


 パン、と手を打つ音が聞こえた。


「まあそういう事で、ユキ、お前には最初慣れるまでの間、彼らの手伝いをしてくれ。

 現場の雰囲気も掴めると思うし、先輩から学べることも多いはずだ」


 遥社長は腕を組んで名案とばかりに告げてきた。


 正直、ええー、やだなぁー面倒だなー馬が合わなそうだな―と思ったが、そんな感情はおくびにも見せず社長の声に頷いた。


 すると背後から、


「遅れてすみません!」

 

 慌てたような声が聞こえて、扉が開いた。


 そこから顔を出した女の子のつぶらな瞳と、目が合った。


 ありがちな表現で言えば、

 『その瞬間、体に電撃が走ったかのような衝撃を感じた』

 といったところか。


 流れる黒髪、桜色の唇に舌ったらずな声。


 今まさに天界に帰ろうとしていた恋のキューピッドが、思い立ったかのように振り向きざまに放っていった矢が心臓のど真ん中にぶち刺さったかのような、不意打ちの一撃に、俺は思わずよろめいた。



 恋に落ちる。

 その言葉の通り、俺は一瞬で彼女に「落ちた」。


 目の前の彼女は、今まさに一人のみじめな男を恋に落としたとも知らずに、小さく首をかしげてこちらを見つめてきた。

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