第13話 not姉貴の下僕

「アンタ頭おかしいわよ」


 至極まともに返された。

 

 俺の熱い気持ちを一瞬で凍らせるような冷たい、冷たい声だった。


「芸能界のことまったく分かってないわね。脳みその代わりに八丁味噌つまってるんじゃないの?」


 八丁味噌は甘口で苦手だ。


「あそこの事務所は、二束三文のギャラで、まるでヨゴレ芸人がやるような仕事をやらせるって有名なのよ。

 よくもまあ、そんなところを選んだわねぇ」


 氷点下の瞳は、俺の取り繕った自尊心を一気に丸裸にする。


 せせら笑うような表情でそんなことを言ってくるので、瞬時に不安感が襲いかかってくる。


 確かに、雑居ビルのぼろい事務所で、華やかそうな想像とは違ったのだ。


 自分はあまりテレビを見ないので、事務所や所属タレントには詳しくない。


 曲がりなりにも幼い頃から子役として芸能界で過ごしているルリの話は、信憑性がある。


 その場のノリと化粧のマジック、そして社長の勢いでオッケーしてしまったが、もしかしたらとんでもない事に首を突っ込んでしまったのではないか、という気持ちがふつふつと沸いてきた。


 急に黙り込んでしまった俺を見て、ルリはふん、と馬鹿にしたように、


「今からでも遅くないし、これ以上恥をかくまえに辞めれば? 

 それにあんた、普通に考えて無理でしょ、女装って」


 完璧にカールされたまつげを瞬かせ、目を細める。


「ほっといてくれ。俺はもう決めたんだ」


 ルリは口をつぐんだ。


 絶対にかなうはずのなかった相手を黙らすことができて、思わずテンションが上がり続けて早口でまくし立てる。



「逆に言えば、弱小事務所で後ろ盾もない俺に負けたら、それこそ美月ルリの面目は丸つぶれで、」



「………雑誌は?」



 俺の言葉を遮るように、姉貴は語気を強くして問いただした。


 可愛らしい顔立ちから放たれる殺気のオーラはおぞましい。


 目を見開いて睨みつけてくるのは迫力があり、全身が粟立った。まさに、蛇に睨まれた蛙状態だ。


 俺は黙って鞄から、買ってこいと言われた女性ファッション誌を取り出して両手で恭しく差し出した。


 ルリは無言で受け取ると、ポケットに手を突っ込み、千円札を取り出した。


 その札をわざと見せつけるようにひらひらと動かした後、宙に放った。


 床へと落ちた野口英世を素早く拾い上げ、六百八十円の雑誌だから三百二十円分得したなどと思っている俺を、まるでコンビニの裏に打ち捨てられた廃棄のゴミを見るような目で見ると、すぐに背を向けて部屋を出ていってしまった。



 俺は自分の頬を殴った。


 何も変わっていないじゃないか!



 「姉貴の下僕」として英才教育をされてきた習慣は簡単には拭えない。


 俺は手の中のぐしゃぐしゃの千円札を綺麗に延ばし、英世の顔を笑った顔に見えるように折りながら、絶対にあの事務所で成り上がってやる、と心に誓うのだ。

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