第2話 死にたい朝

 生まれて初めて、眠れぬ夜を過ごした。


 ぐるぐるぐると嫌な事が心の中を支配して、瞼の裏にはこうなりたかった理想と、そうならなかった現実が交互に映る。


 気がつくとカーテンの隙間からは朝日が差し込み、携帯のアラームは朝を告げて鳴りだした。


 むくり、と起きてそのスヌース機能を止める。


 もそり、ともう一度布団をかぶった。


 高校を辞めよう。


 そうだ、そうしよう。

 教室に行って、いつもと同じように好きだったあの子に挨拶をしなきゃいけないのなら、そして気まずそうな空気を感じなければいけないのなら、高校を辞めて働こう。


 きっと親は怒るだろう。勘当されたら住み込みのバイトを探そう。それがいい。


 そして金を貯めて、いずれ世界一周旅行をするんだ。

 きっとこの地球のどこかにいる俺の運命の人を探す旅に出るんだ。



 ダンダンダンダンッ



 二階の自分の部屋へと誰かが上って来る音がする。体は一ミリも動かない。


 失恋の痛手など、時が解決してくれる。

 若い頃の苦労は買ってでもすることだと、世の大人たちは言うだろう。


 でも自分はまだ十六歳だ。


 大人の言う「失恋程度」で、死にたくなるほど落ち込む年頃だ。



 低反発枕に顔を埋めて、うーうーと唸り声を上げる。


 乱暴に扉が開く音が響いた。



「いつまで寝てんのよ!」


 甲高い怒声が降って来て、物凄い勢いで布団を引っぺがされた。その後、腹に拳が叩きこまれた。


「うぐぅ!?」


「アンタねー、私が二階まで上がって来るカロリー分の賠償金を今すぐ利子付きで払いなさいよ。

 起きろって、ほらほらほらほらほらほら!」


 理不尽な訴えと、容赦のない蹴りを背中にお見舞いされる。がくがくと揺さぶられて、やっと上半身を起こした。


「なにすんだよ!」


 センチメンタルに浸っていた所をいきなり起こされて、涙目のまま声を荒げると、


「誰に向かって口聞いてんの…? 

 起こしてやってんのに生意気言ってんじゃないわよ…?」


 Tシャツの襟元を掴まれ、ぐいと顔を近づけられ、ドスの利いた声で言われた。


 思わず反射的にごめんなさい、と謝ると、鼻で笑って手を離してきた。


 首元をさすりながらベッドの淵に座る。


「早く着替えて支度しなさいよ、アンタどん臭いんだから人一倍時間かかるでしょ」


 舌打ちをしながらいらつきを顔で表している女。


 それが、昨日エレクトロニカルパレードで、ふりふりの衣装を着て愛想を振りまいていたアイドル、美月ルリ。

 本名、長谷川瑠璃である。


 キャミソールにホットパンツ、髪をヘアバンドで止めており、顔はすっぴんだ。

 全国のこいつのファンは、監視カメラを仕掛けてでも見たいお宝映像だろうが、毎日見ている自分からすればどうでもいい朝の姿である。


「……今日は学校休む。頭が痛い」


 憂鬱そうに答えると、


「はぁ? 親に授業料払ってもらってる分際でなに仮病使ってんの」


 少しぐらい心配するそぶりを見せてもいいものを、すぐに仮病だと見破ると枕を顔に投げつけてきた。


「馬鹿みたいに学校大好きなアンタが、なんで仮病なんか使うのよ。

 なんとかちゃんに会えるんじゃないの?」


 長い髪をポニーテールに結んだ姉貴は、面倒くさそうに腕を組みながら言った。


 なんとかちゃん、というのは多分好きな子の事だろう。


 痛いとこを突かれて、思わず押し黙る。


 そんな弟の様子を見て、なにかピンとひらめいたのか、



「……アンタ、まさか振られたの?」

 

 今度は剛速球の球を投げつけてきた。


 その球は俺の自尊心という名の急所にストレートに入り、俺は静かに悶絶した。


 姉貴は枕を抱きしめ毛布に潜り込んだ俺の様子を見ると、形の良い唇を吊り上げ、瞳を爛々と輝かせて笑った。

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