第10話 福岡県民、襲う。




 高級な宝石店を出て、ロイ団長と並んで歩く。

 来たときとは違い、二人の間には少し距離が出来ていた。

 そして、私の左手にはいくら払ったのかは分からないが、明らかに見合わない額のC型バングルがはめらている。


「…………気に入らなかったか?」


 そういうことじゃないって、わかっているくせに。


「返す」


 腕からバングル外して団長に突き返すと、困ったように笑って「すまなかった」とだけ言って、スーツの内ポケットへと仕舞った。


「少し歩いたところにバラ園がある。そこで散歩をしないか?」

「…………うん。よかよ」


 ぽてぽてと五分ほど歩いていると、ほのかにバラの甘い匂いが漂ってきた。

 カフェと雑貨屋の間をすり抜け裏手に出ると、そこには別世界が広がっていた。


 色、色、色。

 鮮烈な赤、淡いピンク、爽やかな黄緑。

 大きいものもあれば、小さいものも、花開く前の蕾も。


「きれい」

「ん。あそこのガゼボで少し話したい」


 庭園を少し進んだところにある東屋あずまやを指された。どうやらそれの事を『ガゼボ』というらしい。

 知らない言葉が出てきたのは初めてかもしれないなぁ、なんて思いつつ、周りの景色を楽しみながらガゼボに向かった。


 ベンチの上に高そうなハンカチを敷かれ、そこに座るように言われた。物凄く座りづらいけれど、隣で立ち尽くしている団長が不安そうな顔でずっとこっちを見ているので、勇気を出して座った。


 ――――そも、汚れんよね?


「カリナ嬢……少し、触れてもいいか?」

「どこに?」

「……手に」

「なんばすると?」

「何もしない。と、思う。……たぶん」


 視線をあちらこちらに飛ばしながら、もごもごとそんなことを言われた。


「んー。まー、別によかよ?」


 団長が嬉しくて仕方ないとでもいうように破顔して、私の左手を取ると指を絡めて繋いでくる。


「君の年齢を知ってから、心臓が早鐘を打ち続けている。君を泣かせてから、心臓が締め付けられるように痛い。君のことを、もっと知りたいんだ」

「何を知りたいん?」


 私がどこから来たのか、今までどうやって過ごしていたのかを知りたいと言われて、簡単に話すことにした。

 福岡という県、日本という国、私が過ごしていた世界。


「――――異世界?」

「うん」

「この世界に、一人きりで飛ばされた?」

「うん。たぶん、やけど」

「カリナ……」


 団長が向かい合うように体をずらし、空いていた左手を私の頬に伸ばしてきた。

 ゴツゴツしていて、大きくて、温かい手。

 それが、ゆるりゆりと撫でてくる。頬を包み、下瞼の縁をなぞる。


「大変だったな。心細かっただろう? つらくはないか? 寂しくはないか? 怖くはないか? 泣きたいときはちゃんと泣けよ?」

「っ…………もう、いい大人やけん、こんなことじゃ泣かんよ」

「向こうの世界が恋しくないのか?」


 恋しい。

 優しい両親、仲の良い友人、仕事仲間。

 誰とも会えないまま、帰れる兆しもないまま、半年が経ってしまった。

 一切考えないようにしていた。


「……恋しく、なかよ?」

「もう、嘘は吐かれたくない」


 嘘を吐きたくて吐いていた訳じゃない。

 何かが込み上げそうで、グッと下唇を噛んで堪えた。


「カリナ、止めるんだ」


 団長が頬を撫でるのを止めて、噛んでいた下唇を開放するようにと触れてきた。

 親指で下唇をなぞり、上唇もなぞり、また下唇をなぞってくる。

 

「団長も嘘つきやん。違うとこ触った……」

「……ん。すまなかった。どんな報復でも受けよう」


 ならば、目を瞑って全身から力を抜いてというと、団長は本当にそうした。

 王族の一員とか聞いていたけど、こんなにも受け身で大丈夫なんだろうか?


 団長の両頬にそっと手を添え、顔を近づけた。


 くちゅり。

 艶めかしい水音。

 くちゅり。

 唇をこじ開けて、触れ合わせる。

 くちゅり。

 乱れた息を整えて、もう一度。


「……んむ、っあ。カリ…………ナ?」

「団長の意気地なし。ヘタレ。へっぽこ。あんぽんたん」

 

 ボロクソに言ってから、今度は軽く唇を触れさせて、解放してあげた。

 団長は両手で顔を押さえて、ベンチの上で体操座りをし、器用に丸まっていた。



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