遊びだと命を軽く弄び
蒼樹里緒
本文
放課後の校庭に、小学生たちの足音や笑い声が響く。
むわっと熱のこもる空気の中、少年は飼育小屋に大きめのボウルを入れた。当番の飼育委員が洗って細かく刻んだ生野菜に、三羽の兎がそれぞれ口を付ける。
――今日もみんなかわいいなぁ。
ボウルに頭を入れ、耳をぴんと伸ばす兎たちの姿に、少年の勉強疲れは癒されていった。
「ココア、こっち向いて!」
下級生の女子たちが、小屋に寄ってきて一羽の兎を呼ぶ。
灰色の短毛に覆われた小柄な身体をくるりと
「ほんとかわいいー」
「ねー」
兎の中でも特に人懐こいココアは、全校生徒の人気者だ。
「おーい、兎を外に出すぞ」
同じ飼育委員の上級生に呼ばれ、少年はココアをそっと抱えて小屋の脇の遊び場に出した。金属製の塀が取り囲むそこは、兎が思い切り跳んでも越えられない高さになっている。
三羽の兎が地面を駆けたり穴を掘ったりする間、飼育委員は小屋内を掃除した。今日もまるくてころころした
掃除が一段落すると、上級生がにやりと笑んで提案した。
「今日はちょっと違う遊びしてみようぜ」
「え?」
「うさぎ、もう遊んでるじゃん」
「そうじゃなくてさ」
彼はココアをひょいと抱き上げると、腕の中でぽんぽんと弾ませてみせた。
「キャッチボールするんだよ、ココアで」
「マジ? 面白そうじゃん」
「こいつが一番体重軽いしな」
「そ、そんなことしたらココアが……っ」
怪我をしてしまうかもしれない。最悪、死んでしまうかもしれない。兎はジャンプが得意だからといって、人間に放り投げられたら身の危険も感じるだろう。
少年は焦って止めようとするが、上級生はじろりと
「なんだよ、センパイの言うことが聞けねえのかよ」
「ま、すぐやめりゃだいじょーぶっしょ」
もう一人の上級生も、へらへらと無責任に笑うばかりで、少年はおろおろしてしまう。
「おまえ、先生にチクんなよ」
その上釘を刺され、身動きが取れなくなる。
遊び場の四隅に一人ずつ立ち、二等辺三角形になるような位置についた。
「じゃあ、いくぞー」
ココアは、上級生の腕から投げられる。体育の授業でやったバレーボールの、アンダーハンドトスのように。
もう一人の上級生がキャッチし、少年に投げてくる。
少年の腕に抱きとめられたココアは、きょろきょろと目や首を動かし、片脚をばたつかせた。
――やっぱり怖いし痛いよね……ごめんね、ココア……。
泣きそうになる少年に、上級生が催促する。
「おい、早くこっちに投げろよ」
「……できません」
「はぁ?」
「だって、今日もめちゃくちゃ暑いし、こんなことされたらココアだって余計疲れちゃいますよ。もう五分経ちましたよね? うさぎたちを小屋に入れましょうよ」
「じゃあ、おまえがオレに投げたら終わりにしてやるよ」
「え……っ」
「ほらー、早く早くー」
残酷な上級生たちとココアの顔を見比べ、少年は歯噛みした。
「ごめんね、ココア……」
耳にささやくように謝り、仕方なくココアを上級生へ投げる。負担が減るように、できるだけゆっくりと。
「キャーッチ! はい、終わり終わり」
悪びれもせず、上級生はココアを小屋に放す。
小屋の土の隅に掘られた巣穴に、灰色の兎は跳び込むように隠れた。
ほかの二羽の兎も続けて入り、扉の鍵を閉めて飼育委員の活動は終わった。
――ココア、具合悪くならないといいな……。
結局、飼育委員会の顧問にも報告できないまま、少年は下校した。ココアを傷つけてしまった罪悪感が、足にも心にも重く
◆
少年の心配も虚しく、ココアは目に見えて日に日に弱っていくのがわかった。飼育小屋に立ち寄る生徒たちも、ココアがいつものように指を舐めてくれなくなったことを悲しんだ。
「病気なんじゃないの?」
「最近、めっちゃ暑いもんね」
「動物病院に連れてったほうがいいよ」
飼育委員会の会議で問題として取り上げられ、顧問の教師が小学校近くの動物病院でココアを診察してもらうと告げた。
会議中、少年は真っ青な顔で黙っていた反面、遊びをした上級生二人は、相変わらず平然としていた。
――やっぱり、先生に本当のことを言おうかな……。
けれども、告げ口したと知られたら、今度は自分が上級生たちにいじめられるかもしれない。殴られたり蹴られたり、ココアよりもっと酷い仕打ちを受けるかもしれない。
絶対に[[rb:赦>ゆる]]されないことをしたのに、当事者たちと戦う勇気もない自分が情けなくて恥ずかしい。
家族にも打ち明けられないまま数日経つと、体育館で行われる全校朝礼で、校長が沈痛な表情で告げた。
「皆さんに残念なお知らせがあります。兎のココアが、死んでしまいました」
ざわざわと騒ぎ出す生徒たちの中で、少年も愕然とした。
動物病院の獣医の治療で、片脚には包帯とギプスが着けられた。処方された薬も、飼育委員たちが欠かさず飲ませていた。それでも、真夏の暑さも相まって食欲も減り、体力も落ちていたのだろう。
「ココアは病気ではなく、後ろの片脚の骨が折れていたそうです。普通に遊んでいればこんな怪我にはならない、と獣医さんが仰っていました。飼育委員の皆さんも、よくお世話をしてくれていたと思いますが――」
校長の言葉が痛すぎて、少年は耳を塞ぎたくなった。胃の奥からこみ上がってくるものを、どうにか喉の奥に押さえ込む。
あの上級生たちは、今頃どんな顔をしているだろうか。こんなことになっても、まだ平気なのだろうか。
朝礼が解散し、教室へとぼとぼと歩く少年の背中に、女子の声がかかった。
「わたし、あの日小屋の掃除用具を片づけて戻ってから全部見てたし、先生にすぐ言ったから」
「え……っ」
飼育委員は、六年生二人、五年生二人で組んで動物たちの世話をするルールだ。
あの日同じく飼育当番だった女子は、まっすぐに少年を睨みつける。
「あの時、なんでセンパイたちを止めなかったの?」
「ぼ、ぼくだってやめようって言ったよ。でも、センパイがチクるなって――」
「会議じゃ先生はあんたたちのこと言わなかったけど、わたしは絶対赦さないからね」
廊下には、ココアを好いていた生徒たちの泣き声も響く。
「あんたもあいつらの共犯でしょ。ココアを死なせて最低、意気地なし」
低く吐き捨てて、女子は早足で廊下を進んでいった。
少年は男子トイレの個室に駆け込み、こらえていたものをすべて吐いた。まともに授業を受けられそうにない。行き先を、教室から保健室へ変えた。
――ごめんね、ココア、ごめんね……!
涙と
◆
結局、少年は一時間目を保健室のベッドで泣きじゃくって過ごした。休み時間にクラス担任と飼育委員会の顧問に呼び出され、あの上級生二人とともに校長室で説明と謝罪をした。職場にいる家族にも電話で連絡したと告げられ、保護者との話し合いの後、早退することになった。
「そんなひどいことがあったのに、どうして相談してくれなかったの……」
「確かにいけないことをしたけど、おまえだけの責任じゃないんだから、自分を責めすぎるなよ」
両親からの心配や慰めの言葉も、少年の心を安堵させなかった。
――あんなにみんなにかわいがられてたうさぎを死なせちゃったんだから、嫌われて当然だよな。もう学校に行かないほうがいいのかも……。
真っ暗な部屋で布団に潜っても、全く寝つけなかった。少年の背中には、パジャマの布地がべったりと貼り付くほどの汗が滲んでいる。冷房の風で涼しくなったはずの室内で。
ふと、冷たい舌が手の指をぺろぺろと舐める感触がした。
――え? このなめ方って……!
ずっと触れ合ってきたからこそわかる。間違いなく、死んだココアのそれだった。
少年は慌てて飛び起きようとするが、身体はびくともしない。
――ココア……あれ、声も出ない?
呼びかけようと開けた口からは、自分の息が漏れるばかりだ。
もうこの世にいないはずのココアが、会いに来てくれたのかもしれない。
謝りたい。今度こそ、ちゃんと。
指を舐めていた舌が、すっと離れた。
――ココア、ぼくの言葉を聞いて!
けれども、少年の淡い期待に反し、
「――ッ!」
少年は、激痛に顔を歪ませることしかできない。
兎の長い歯が、加害者の耳をかじる。それから腕や太腿、ふくらはぎ、足の指。何度も何度も、繰り返し。
少年の口からは、悲鳴の代わりに荒い呼吸ばかりが漏れ、助けも呼べないまま夜が
頭の片隅で、少年は理解していた。これは罰なのだと。純粋な生き物を
ごめんね、と音にならない謝罪を最期に、少年の意識は闇に埋もれていった。
◆
『――次のニュースです。本日未明、■■区立■■小学校に通う男子生徒三名が、それぞれの自宅にて変死体として発見されました。遺体には、耳や手足を刺されたりかじられたりしたような傷痕が無数にあり、警察は自殺の可能性は低いと見て調べを――』
翌朝、飼育小屋の二羽の兎は、巣穴の中でいつものようにのんびりと寄り添っていた。仲間の命を奪った飼育委員たちの死が、テレビやインターネットニュースで報道されているとも知らずに。
遊びだと命を軽く弄び 蒼樹里緒 @aokirio
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