其ノ伍 親として
「策は決まったようじゃの」
「ああ! 俺がラスザキおばちゃん達をシウ姉のとこに連れて行って、シウ姉ちゃんの魂魄をあの牛の中から引き摺り出すんだ!」
意気消沈していた姿はどこへやら力強いキントの返答にミチザは満足気に頷く。
キントやラスザキ夫妻たちが作戦を話し合っている間、ミチザは結界の維持に注力していた。
妻から死産だと言われていた我が子だが、生きていたことを喜ぶ間も無く敵対し、今や妖魔となってしまった娘。
助けたい気持ちは勿論ある。
しかし今更どんな顔をして会えばいいというのか。
親としては既にラスザキ夫妻がその立場におり、今も娘を助けたい一心で身命を懸けた手法を取ろうとしている。
先程までのミチザは自身の心が分からずに居た。
故にサダがキントを打った際には理由は違えど自分も頬を張られたような気持ちになったものだ。
そのおかげで彼の迷いも吹っ切る事が出来た。
孫娘サダの成長を嬉しく思いつつも、シウのことはもう娘として扱うことは無いと決心したのだ。
扱うならばキントの嫁としてだと。
その為に全力をもって助け出すと決めたのだ。
「キント。そういえばツナからこれを渡すよう頼まれたのを忘れておったわ」
「あっ!
ミチザの懐から鹿革の小袋を受け取ったキントは即座に中身に気が付く。
シウのことがあるよりも前から最近どうにもムシャクシャすると思っていた彼だったが、子袋の中の匂い袋を首から下げると久々に落ち着くことが出来たと感じていた。
そして皇京で自分のことを気にかけてくれている弟へ深く感謝する。
「御当主様、これまでシウのことを黙っており申し訳ありませんでした」
「その話はもうよい。昨夜言った通りじゃ。プラムを疑わなかったワシの落ち度よ」
キントが離れた後、ラスザキ夫妻がミチザに深々と頭を下げる。
昨夜の助命嘆願の際、これまで伝えに来れなかった理由も聞いていた。
プラムが存命の間は侍従や侍女たちにとって恐怖の対象であった彼女が恐ろしかったこと、風の噂で死去したと聞いてからも夫妻は子宝に恵まれず我が子同然に育ててきたシウが成人を過ぎても手放せなかったこと。
聞いた当初こそ怒りを浮かべたものの、全ては自分が妻のことを真に理解出来ていなかったせいだと寂寥感を覚えて許すことにしたのだが、ラスザキ夫妻が命を懸けるほど本気でシウを想っているのだと分かった今は二人を責める気持ちなど微塵も浮かんでいない。
「「ありがとうございます」」
「それよりも......いや、よい。シウとキントのことよろしく頼むぞ」
今回の策では二人のうちどちらか、もしくは両者とも命を落すであろうとミチザは勘付いている。
しかし夫妻の瞳には一切の迷いもなく、仮に失敗したとしてもキントだけは生かすつもりであることも見て取れたため深く追究する気にはなれなかった。
「では策を開始する。各々手筈通りに!」
「「「応!!」」」
妖魔
ミチザとミチナの合同結界の一部にヨリツが刀で切れ目を入れ、サダが雷で穴を広げ抉じ開けた僅かな隙間からキントが夫妻を抱えて中に入ると、キントはシウに呼び掛け続け夫妻は儀式の準備に入った。
「シウ姉! オレ様だ! キントだ! 意識があるなら返事してくれ!」
小山のような巨体に向かって叫び続けるキント。
結界という檻に閉じ込められ気が立っていた牛姫は突如現れた矮小な獲物に怒りの矛先を向け踏み潰そうとする。
それを躱しながらシウを正気に戻そうと声を掛け続けるキント。
しかし脚では踏み潰せないと悟った牛姫はその巨体の全てを利用した体当たりで圧し潰しにかかった。
「くっ! -
狭い結界内で暴れ回られるとラスザキ夫妻の身が危ないと、突っ込んでくる牛姫の頭部を赤い雷を纏って真正面から受け止めるキント。
徐々に壁際に押されながらも圧倒的な質量差を己の限界を超えて受け止めることが出来ているのは、単に愛する者を救いたいという想いが成せる奇跡だ。
「シウ姉!! 頼む! 正気に戻ってくれ! シウ姉ちゃんが居ない世界なんてオレ様には耐えられねえよ!!」
結界内にキントの悲痛な叫びが響く。
もう少しで壁に押しやられるというところでメキメキと何かが割れる音が鳴る。
音の原因はキントの懐に入れてあった鹿革の子袋である。その中に入っていたラベンダーの精油の瓶が砕けてしまったのだ。
「あっ!」
先程受け取ったばかりのせっかく弟が用意してくれたものなのにと数瞬後悔を浮かべたキントだったが、辺りにラベンダーの香りが広がるとどうしたことか彼を圧し潰そうとしていた牛姫の動きが緩まった。
「キ、ント......?」
「シウ姉!? ラスザキおばちゃん達! 今だ!!」
「「≪祓へ給ひ清め給へ 掛けまくも畏き
キントの合図にこれまで場を清めていたラスザキ夫妻が手を握り合い揃って詠唱を始める。
これは出産を司る女神への祈祷で本来であれば赤子が無事に生まれることを願い母体へと掛ける浄化と回復の魔法だ。
しかし相手は妖魔であり陽属性魔法が回復にはならない為、魔法が触れた部分から浄化され、牛姫の巨体の一部が溶けるように消滅していく。
だが、たしかに効果的ではあったが余りにも大きすぎるため魔法の光は脚の一本を覆う程度で二人の命素に限界が来ていた。
「キント様! シウのことをよろしく頼みます!」
「あの子をどうか見守ってやってください!」
「おっちゃん!? おばちゃん!?」
ラスザキ夫妻はキントにシウのことを託すと、策を聞いた際にミチナから渡されていた魔石を取り出した。
これは砂となったマサードの中に残っていたもので、本来であれば妖魔化し心臓も破壊されていた彼には残せるはずがなかったものだ。
身近に居た者たちへの彼の後悔の涙と共に魔神鬼やオキヨに抗った最期の置き土産。
拳程度の大きさだが普通の魔石とは明らかに違う質の魔力を秘めている。
「シウとかいう娘を助け出して魔神鬼や妖怪婆の鼻を明かしてやるのがアイツにとって最高の弔いになるはずだ」と夫妻に魔石を預けた際にミチナが言葉を掛けていた。
ラスザキ夫妻はその魔石の魔力を全て使い、自らの身体ごと光の粒子と化して妖魔牛姫を覆った。
親が子を抱くかのような優しい光は牛姫の巨躯を見る見るうちに浄化していく。
それでも全てを浄化しきることは不可能だったようで、光が消えた後には四肢や頭を失い四分の一程の大きさとなった妖魔の肉塊が残った。
『キント、ごめんな。いつもの匂いがするまでお前のことすら気付けなくなってたんだ。これからはずっと一緒だから......』
「シウ姉!?」
シウの声がキントの心に響く。
しかし姿は見えず、代わりに彼の掌にはいつの間にか彼女の髪色を想わせる美しい紫の玉が握られていた。
その玉を見た時、キントはこれが彼女なのだと直感する。
ラスザキ夫妻が命を懸けてもなお肉体まで救うことは出来なかったのだ。
悲しみに暮れるキントだったが、残っていた妖魔の肉塊の異変に気付く。
肉塊からは蜘蛛のような脚が八本生え、失ったはずの頭部には新たな鬼の頭が生えている。
額に禍々しい鏡の付いたその顔は此度の騒乱の元凶の一人であるオキヨのものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます