其ノ肆 妖魔牛姫

 ムサシ守オキヨ・アプロの軍勢がバンドー連合軍の視界に入る。

 しかし数こそ揃えているものの、大半が木槍を持つだけの農民であり、正規兵は歩兵が二百と騎兵が百にも満たない。


「バンドー全体もそうじゃが、これまでの戦いで消耗しきっておるようじゃな。ワシ一人でも蹴散らせそうじゃわい」

「まああのオキヨばーさんのことだ。民草には陰属性魔法の魅了でも使ってるんだろうよ」


 ミチザが拍子抜けした表情で敵軍を睨むと、ミチナが呆れた声で答えた。

 実際、マサードの起こした叛乱によりバンドー全体で馬も人も大量に失われてしまっている。立て直しには十年単位の時間が必要である。


「非道な管理を行っていた者達を排除しても、守ろうとしていた民草も多く失ったのでは本末転倒だ......」

「それらを含めて魔神鬼の策略だったのであろう。人族の強みは数が多い事だ。人族同士を争わせ力を削ぐのが最も効率が良い」


 ヤスマの呟きに対してヨリツが戦略的観点から解説した。

 この戦いで東正鎮守府の知己を失ったのも一人二人ではなく、父親は左腕を失っているヤスマとしては言外に無駄な争いだったと言われた様な気がして歯痒い思いになった。


 戦いが始まり、ミチザが武威を示すため大魔法を連発して脅すと、案の定連合軍が優勢に進める展開となる。


「トール家のヤツ! かかってきやがれぇええええ!!」

「お主が我が妹であるならば、私には兄として止める義務がある!」


 馬上で棘付きの金棒を振り回し突撃してくるシウにヨリツが薙刀で応戦する。

 女性だが生まれつきの奇形により牛のような肉体のシウは大鎧の重さを含めるとヨリツの重量を遥かに上回る。

 その膂力は並の武将相手なら軽く吹き飛ばしてしまうほどだ。

 対してシウの馬鹿力任せの重撃を受け流しては細かく切りつけ浅い傷を与えていくヨリツ。

 数十合を打ち合うと前日と同じく戦闘経験の差が次第に顕著になる。

 そこにそれぞれの得物の重量の影響が加わり両者の馬の疲弊具合に差が出始めた。


「クソっ! クソぉおお! やっぱアタシじゃ勝てねえのかよ!!」

「悪いようにはせぬ。こちらへ降れ。シウ!」

「うるせえええ!! まだだ! まだ負けてねえんだ!!」


 自棄になったように声を荒げたシウは本隊のオキヨの下へと引いていく。


「きぃいい!! 一度ならず二度までも逃げ帰って来るとはなにごとでおじゃる!! 口ばかりの役立たずが!! かくなるうえはコレを使うしか......!!」


 ボロボロになって帰って来たシウを見たオキヨはヒステリックな叫びをあげると懐から手鏡ほどの大きさの魔神器夜堕鏡ヤタノカガミを取り出し、聞いていると不快になるような呪言を唱える。


「うわぁあああ!!」

「た、助けてくれぇええええ!!」


 呪言とともに鏡が怪しく光ると次第に周囲を取り囲んでいた人間がその中へと吸い込まれ始めた。


「なんだよアレ......」

「嫌な予感がするわ! お爺様!」

「うむ! -雷槍ライソウ-!」

「妾の邪魔をする全てを蹴散らし給え——ぐげっ!」


 周囲の人間を取り込むとオキヨの近辺にはシウだけが残っている。

 ミチザの投げた雷の槍がオキヨの腹に突き刺さったものの止めるには至らず、オキヨは鏡をシウに投げると夜堕鏡が彼女の額に埋まり、濁った魔力が一気に身体を変異させていく。


「ぐっ、がァ! アァアアアアアア!!」


 牛角の生えていた頭は完全な牛のものとなり、肉体は肥大し隆々とした鎧のような筋肉で固められる。

 そのまま大きくなり続け20m程の高さがある超巨大な牛の妖魔へと変貌した。


「ブモォオオオオオ!!!!」

「なんだありゃあ!? 牛の王、いや牛姫ギュウキってとこか!」

「母上、一度離れましょう。あの大きさでは我らも狙われます」


 天馬で空から攻撃していたテミス母子。妖魔の誕生に驚きながらも危険を察知したヤスマが手綱を引いて一度距離を取った。


「そんな! シウ姉が! シウ姉ちゃんが!!」

「キント! 落ち着いて!」

「まさか人命を贄として人を容易く妖魔へと変える道具とは……外法の術にしても限度があるわい!!」


 妖魔牛姫はその巨体故に歩くこともままならないが、その場で四足を踏み鳴らすだけで足元には地獄の光景を生み出している。


「これ程の巨体は大昔に滅んだとされる魔族の大太郎法師ダイダラボッチに並ぶかもしれんのう......」

「親父殿、一先ず兵は退かせたがアレを止める算段はあるか?」

「ふむ。妖魔に成りたての今、上手く歩けぬうちに脚の一本でも奪えば、後は自然消滅するまで待つだけじゃと考えるが——」

「そんなのダメだ!! あれはシウ姉なんだぜ!? なんとか元に戻す方法を考えねえと!!」


 ヨリツとミチザが策を話し合っているとそれを聞いたキントが血相を変えて止めに入る。

 しかしこれまで妖魔となった人間が元に戻ったという記録は皆無だ。


「ワシも出来る事なら我が娘でもあるシウを助けてやりたい。じゃがこれまで戻れた者は誰一人として居らんのじゃ。異能を使う勇者タカハシサダコですら妖魔両面宿儺リョウメンスクナとなった後は元に戻れんかったという......」

「そんな......」


 救う手段は無いと言われ絶望の表情を浮かべるキント。

 そこに更なる不吉の報せが齎される。


「ねぇ。妾の目が間違いじゃなければ、あの妖魔まだまだ大きくなってない? 膨らんでいるようにも見えるのだけど......」

「む? 確かに。しかも身体に雷を帯び始めたな。嫌な予感がする」

「何故こちらではなく背を向けたんじゃ? あの方角......もしや皇京へと向かうつもりか!?」


 雷を纏って少しずつ歩き始めた妖魔牛姫の身体は徐々に膨張しており留まるところを知らない。

 その進行方向はトール家の面々に挑むのではなく、方角的に皇京方面に進路を取っているように思えた。 

 妖魔消滅までの時間は個体によって様々なので、万が一あの巨体が皇京に辿り着くことが出来てしまえば皇京が蹂躙されるであろうことは間違いない。

 無論その道中にある村々や人々がどうなるかなど言うまでもなかった。


 進行を止めるために動き出したミチザの下へ、天馬に乗ったミチナが降りてくる。


「ミチザの爺ちゃん! 合わせろ! ≪彼岸と此岸の境を分けよ 内は極楽 外は地獄 大いなる風の力で以て我が敵を封じ給え!≫ -大風結界タイフウケッカイ-」

「おう! ≪天網恢恢疏而不失てんもうかいかい そにしてうしなわず≫ ‐雷網ライモウ‐」


 声を掛けられた瞬間に何をするつもりか察したミチザが阿吽の呼吸で詠唱を始めると、半球型の風の結界を上から覆うように雷の網が組み合わさった巨大な檻が牛姫を包み込んだ。


「すげぇ......」

「凄いわね......」

「これが二つ名持ちが全力を合わせた魔法......」


 ”御堂弓姫ミドウキュウキ”と”天雷テンライ”二人の二つ名持ちが本気を出して生み出した複合魔法。

 その圧倒的な力量を目の当たりにし、次代を担う子らは息を飲むことしか出来なかった。

 しかし、術者である当人たちの顔色は良くない。


「このままではイカンな……」

「あぁ。不味いなこりゃ......。囲ってみて初めて分かったがヤツの体内で魔力が暴走してやがる。自然消滅どころか最後にはここら一帯を巻き込んで吹き飛ぶんじゃねえか?」

「「「!!?」」」


 ミチナの推測に肯定を示すようにミチザが頷き、聞いていた者達は驚愕する。

 

「そんなっ!! それじゃシウ姉は!? 何か、何か手はねえのかよ!!」

「キント……」


 キントの懇願するような悲痛な叫びに応えられる者はおらず、皆憐れんだり、悔しそうな表情をするのみだ。


「「私どもに一つ考えがございます!」」

「ぬ? ラスザキ夫妻ではないか。戦場は危険じゃ。シウのことは無念じゃが、早々に立ち去るがよい」

「親父殿、今は誰も何の策も示せぬのだ。話だけでも聞いてみましょう」


 場の嫌な空気を切り裂くようにシウの育ての親であるラスザキ夫妻が現れ、彼女らの考えを話し始めた。

 二人によれば本来は出産の際に用いる陽属性の浄化の儀式魔法で核となっているシウを切り離すというのだ。

 そうすることによって妖魔の力で濁った魔力は浄化され、残った魔力も自然消滅するだろうというのが夫妻の見立てである。

 

「なるほどのう。ラスザキは昔、出産の際の禊祓みそぎはらえを任されておったんじゃったか。確かに赤子を現世にとりあげる考えと同じように解釈すれば可能性はあるやもしれん。じゃがあの巨体の中からシウだけを見つけ出すのは不可能では無いか? 現に主らの声もキントの声も届いておらぬ」


 この世界では赤子はこの世ならざる所から来ると考えられている。

 貴族の出産時に行われる禊祓の儀はそんな赤子が纏っている穢れを祓うことで現世に安全に迎えるためのものだ。

 ミチザの言うように原理は似たものだった。


「だが妖魔化がそんなもんで対処できるとは思えねえ。術者も命懸けだし、上手く行っても御霊しか残らんだろうぜ?」

「はい。東正鎮守府将軍様の仰る通りかと存じます」

「それでも親心としては人として死なせてやりたいのです! その為ならば命を懸ける事など造作もありませぬ!」


 ミチナの指摘にラスザキの夫が肯定し、ラスザキが心からの叫びをあげる。


「なぁ、待てよ。待ってくれよ......。結局シウ姉を助けられないってことなのかよ! クソ! こんな時にツナが居れば! アイツのよく分かんねえ知——」


 パシン! と大きな音が鳴った。

 サダがキントの頬をぶったのだ。

 ぶった右手をそのままに彼女は怒りに震えていた。


「キント、今アンタ何を口走ろうとしたか分かってるの? 無いもの強請りをした挙句、妾たちの大切な弟を危険に晒して構わないと言うところだったのよ?」

「っ! ……すまねぇ。そんなつもりは、無かったんだ......ごめん」


 普段の声を荒げるような怒りではなく、静かな冷たいサダの怒りにキントだけでなく周囲の誰もがその雰囲気に飲まれていた。


 ぶたれて冷静になったことで、自分が異世界から転生してきた弟の秘密を口走りそうになっていたことに気付いたキントは沈痛の面持ちで項垂れる。

 そんな痛々しい様子のキントをサダは優しく抱きしめた。


「ほんとアホキントなんだから。限りなく難しいってだけで、まだ誰も絶対に助けられないとは言ってないじゃない。アンタも助けるために全力を尽くしなさいよ」

「……そっか......そうだな。ごめん。勝手に諦めてたのは俺の方だった。こんな時、ツナなら自分に出来る全力を尽くすよな。俺も、俺もそうする!」


 顔をあげたキントの瞳にもう迷いや不安はなくなっていた。


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