十六話 天使と過ごす休日

「ツナ殿! 呼吸を整える瞬間が隙になっていますぞ! 戦闘中に態勢を立て直すならば安全圏でない限りは隙を作ってはいけませぬ! 基本は隙の無い構えを心掛けられよ!」

「はい! 師匠!」


 三匹の狒々ヒヒを倒せるようになってから更に一年程が過ぎ、今は人時代じんじだい816年の水無月。

 俺の修行はキイチ師匠との実戦組手が主になって今は剣術を習っている。

 実は師匠は皇京八流おうはちりゅうという八つの剣術流派を生み出した開祖で、たくさんの弟子が居るらしい。


「師匠の剣を八つ全て会得できた者は居ないのですか?」

「......人族の寿命では一つの流派を会得するだけでも難しいのでしょうな。これまでにたくさんの者に剣を教えましたが、免許皆伝を言い渡せたのは一つの流派に一人ずつ。八人しかおりませぬ」


 なんとなく間があったが、寿命つまりは修行に掛けられる期間のせいだろうと答えてくれた。

 烏天狗カラステング族である師匠の寿命は叡瑠風エルフのコウボウ様には届かないものの平均で五百年程もあるらしく、師匠は今年で三百四十九歳になるという。初耳だ。


 尤も師匠の師匠であるオヅノ・エン様に出会うまでは人族とは争いこそすれ交流することなど皆無だったそうで、剣術を教え始めたのはオヅノ様の死後にクラマを任されてからなので、まだこの百数十年程のことだそうだ。


 師匠から剣術を会得した者たちはその流派の道場を建てたり、一子のみに相伝したりと今のところは途絶えずに次代に継承はされているらしい。

 年に一度は当代の継承者が挨拶にきたり文でやり取りをするそうだ。


「今でも俺以外にも教えてらっしゃるんですか?」


 そういえばこの一年でいつの間にか師匠に対しての一人称も取り繕うのは止めて「俺」になっていた。

 もう身内のような親近感がある。


「ええ。毎日剣術道場を開いておりますぞ。専らそこで教えておるのはクラマ流のみですが、一度に複数の流派を学んでも得られる者などおりますまい」

「じゃあ、この一年ほとんどの月~金まで師匠に稽古をつけてもらっている俺って、その人たちの邪魔をしてるのでは?」

「基本的に式神が教えておりますので心配無用ですぞ。このように。≪来たりて望んだ形と為せ≫ -急急如律令キュウキュウニョリツリョウ-」


 徐に懐から形代を取り出し呪文を唱えるとそれは山伏姿の好々爺の姿になった。


「師匠、この方は?」

「クラマ流剣術道場で館長についている式神。クラマ・クラマ殿です」

「ふぉっふぉ」


 クラマ流剣術のクラマ・クラマとは大分適当な名前だが、この老人なら道場に座ってお茶でも啜っていればそれっぽく見える気がする。


「もしやこのクラマ殿の元となったのはキイチ師匠のお師匠様のオヅノ様ですか?」

「おや? よくお気づきになりましたな?」

「なんとなく......そうだったらいいなと思っただけですよ」


 師匠は「そうですか」とにこやかに微笑んだが、瞳の奥だけはどこか寂しそうな色をしているように思えた。


 ちなみに腕試しとしてクラマ・クラマ殿に挑ませてもらったが、あっと言う間に瞬殺された。

 クラマ流剣術恐るべし。というか式神がそんなに剣術を扱えるのはズルいよ。


 クラマ・クラマ殿が式神だと知ると心が折れる剣術者が出てきそうなので、この件は誰にも話さず胸に秘めておこうと一人で誓った。


■ ■ ■


 土曜に屋敷に戻るとルアキラ殿の使いの者が来ていた。

 なんでも皇京おうと内で魔獣が目撃されたとかで緊急の朝議が行われているらしい。

 爺ちゃんもそれに参加しているようで今日の勉強は中止とのことだった。


 久しぶりに丸一日、何の予定もない暇な時間が出来てしまった。

 前世であれば日がな一日ネットサーフィンに費やしたり、動画サイトであっと言う間に潰れていたが、こちらの世界には暇を潰せるものはない。


 和歌を詠んだり、蹴鞠に興じたり、舞を舞ったり、楽器を奏でたりといった貴族然とした雅事みやびごとはあまり俺の性には合わなかったのだ。

 まだキント兄と相撲を取っている方がマシだと感じてしまうのは血筋のせいなのだろうか。

 自分も血の気が多いという事実は素直に喜べないが、似ている所があるとやはり家族なのかと親近感があって嬉しい。


 暇つぶしをするにしても皇京内で魔獣が目撃されたということなので、遭遇する確率など殆ど無いにしても屋敷の外をぶらつくのは念のため避けておくに越したことはないだろう。


「ルアキラ殿が居ないから大して進展しないだろうけれど、自室で魔術具の研究でもするかぁ……」


 この一年、ルアキラ殿から魔術具の作り方を教わっている。

 それというのもルアキラ殿や爺ちゃんに中学レベルの科学知識しかない俺が酸素や二酸化炭素などの概念を教えたりしているうちに前世の道具の話になり、単純な原理のものならば魔術具で幾つか再現出来るかもしれないと三人で盛り上がった為だ。


 勿論、世に出す際には俺が目立ってしまわぬようにルアキラ殿と爺ちゃん、もしくは二人の息のかかった知り合いなどが考案したものとして出してもらう手筈になっている。


 自分の名前が後世に残らないというのはほんの少しだけ寂しいとも感じるが、魔術を使うとは言え元々前世で誰かが生み出した考えを流用させてもらうのだから贅沢を言ってはいけない。

 それに俺のことは爺ちゃんやルアキラ殿たちが知っていてくれればそれで十分だ。


 自室に入ると部屋の隅に置いてある葛篭つづらから作りかけの部品群を取り出して机上に並べ、ルアキラ殿直筆の教科書を読む。


 魔術というのは大雑把に言うと魔法を術式に落とし込み魔力を流すことで魔法を生じさせること。

 儀式、詠唱、舞踊や印、魔術具を用いたり刺青として肉体に刻むことなどで設定された魔法を発動することができる。


「魔法と比べると魔術は発動するまでに僅かな時間差があり、魔法陣に流せる魔力は常に定量である。そのため威力などに微調整が必要な場合は魔法陣の書き換えが必須。っと」


 この一年で何度読み返したか分からない程ヨレヨレになった教科書を閉じて制作作業を始める。


 全属性を扱えるルアキラ殿が居る時は土魔法で望む形に造形をしてもらったりとかなり贅沢で便利な魔法の使い方をしてもらえるのだが、今日は俺一人ということで地道に木を削ったり水で戻した粘土を捏ねて雛型を作る。


「狙った相手にだけ電波を伝えるのが難しいんだよな……それにやっぱり伝えるのと聞く機能を二つ纏めてつけるのは大きさ的に難しそうだな」


 そう。今俺は俺だけの魔術具として電話を再現しようとしている。

 電波に関しては俺の探知魔法である雷捜ライソウを応用すれば問題ないのだが、双方向のやり取りは難しいので俺の声を届けるだけに留まりそうだ。


「にぃ……」

「識別するために魔法陣に番号を刻めば電話番号みたいなものになるか? それとも......」

「にぃーしゃま!」

「うおっ!? エタケ!? どうしてここに?」


 いつの間にか妹のエタケが部屋に来ており、集中し過ぎていたのか背を叩かれるまで気づかなかった。

 エタケは二歳になりちょっとした会話や多少歩くことが出来るようになっていた。

 初めて「にぃしゃま」と呼ばれたときは嬉しくて少し涙が出たものだ。


 そんな我が家の天使が俺の部屋に来るのは初めてだ。

 もうここまで歩けるようになったんだなぁ。と感慨に耽ってしまう。


「どうした-? 母様はお仕事で屋敷には居ないぞ?」

「にぃしゃまあいきた。おあな、おせてー!」

「あぁ、お花ね。ちょっと待ってな」


 以前庭先の花について教えてやったのが気に入ったのだろう。

 俺は机上に散らかったものを片付けると硯に水を挿し、墨を擦って筆で雁皮紙がんぴしに庭先で咲いている花の絵を描いていく。


「にぃーしゃま、おあなじょーずねー」

「ありがと。小学校の時は書道と絵画コンクールで賞を取ったりしたからな」

「しょーがくこー? こんくー? なぁに?」


 おっと、いけない。

 年端も行かない幼子相手だとついつい口が軽くなってしまう。

 妹に警戒心なんて持ちたくはないが、噂なんてどこから漏れるか分からんからな。


「今のは内緒だよ。誰にも言っちゃダメ。わかったかな?」

「しょうが! ないしょ!」

「うんうん。エタケは賢いなぁ〜! 偉い偉い」


 言葉の意味をキチンと理解出来ているのか口の前に人差指をあてるエタケがあまりにも可愛過ぎたので思い切り頭を撫で回してしまった。


「えへへ~。えたけえらい! ないしょのいまあり、おせてー!」

「いまあり? もしかして前に俺が口を滑らせた向日葵ヒマワリのことか?」

「いまあり! おせーて」


 以前庭先の花を教えてあげたときに「ここにたくさんの向日葵でも咲いていたら壮観だろうなぁ」と考えていたことを口に漏らしてしまって、その時もエタケに今の花のことは内緒だよと言った覚えがある。

 そんな何気ない一言を覚えていて、秘密をちゃんと守れているエタケは本当に頭が良い。


「賢いエタケだけに特別に教えてあげよう。向日葵っていうのは————」


 それから俺は先ほどとは別の紙に向日葵やこの国にはまだ分布していないであろう花々の絵を描いてそれらがどんな花であるのか語って聞かせた。


「にぃしゃま、おあな、くわしーね!」

「ふふふ。でももし誰かにバレてどうして知っているのかと聞かれたら、爺ちゃんに教えてもらったって言うんだよ?」


 いくら賢いからといっても絶対はない。

 もし誰かに知られた時のことも伝えておく。万が一の保険は大事だ。


「じじしゃま?」

「うん。爺ちゃんは俺よりも物知りだからね。異国の花について知っていても疑われないはずだ。わかったね?」

「あい! じじしゃま、ものしり!」


 俺はエタケの頭を撫でてから庭先の花が描いてある一枚目の紙を持たせると、サキ母様たち女性陣が住む北の対屋ついやにあるエタケの部屋まで抱き上げて連れて行ってやった。

 エタケ付きの侍女たちはエタケが寝かされている部屋から居なくなったことに気づき探し回っていたようで青い顔をしていた。


「庭の花が見たかったらしいが、一人で庭に出てはいけないと母様に言われたのを思い出して、俺を部屋まで呼びに来たみたいだ。せっかくだからと花の絵を描いてやったのだが、こだわり過ぎて描くのに存外時間を喰ってしまった。悪いな」

「すまにゅ」


 俺が侍女たちに軽く謝罪すると続いてエタケも謝った。

 侍女たちは「滅相もございません」と慌てていたが、その表情にはエタケが無事戻ったことに対しての安堵が浮かんでいた。


 そのままエタケと共に庭に出て本物の花を見てどんな花なのかを説明してやる。

 エタケは描かれた花と本物を何度も見比べては「しょっくり! しゅごい!」等と燥ぎ回っていた。


■ ■ ■


「魔獣が目撃されたのは夜のウキョウ地区ばかりなの?」

「うむ。京中でもウキョウに集中しておるようじゃ。今のところ目撃者は貴族の侍従や屋敷の護衛ばかりで時間は夜間のみじゃな」


 日曜の勉強が終わった後、昨日の緊急朝議の内容を爺ちゃんから教えてもらった。

 皇京内に魔獣が出たというのに人も物も被害にあっておらず、真っ赤な瞳で睨んでくるか屋根伝いに跳びまわっていただけだという。

 どこかの騎獣でも暴れたのではないか? という話も出たが、小さいうえに地面に降りず屋根の上を壊さずに跳びまわれるような騎獣には誰も心当たりがないそうだ。


「跳びまわるだけの小さい魔獣ねぇ。なんにせよ被害が無くてよかったね」

「そうじゃな。しばらく警戒態勢が続くじゃろうが、さっさと捕獲されて仕舞じゃろう」


 他にも朝議後に数人と雑談していたらしく、セトウチの海賊たちが活発になってきたとか、どこどこの貴族が地方から姫を迎えただとか、戦都せんとから流れて来た風変わりな物を作る鍛冶職人が居るetcetc......。

 皇京内の噂話を聞かせてくれた。


 夜に跳ね回る魔獣か。そういえば一昨日の夜は綺麗な満月だったなぁ……。

 前世の創作物に出てくる人狼のように、この世界でも狼の亜人などが居るのであれば満月の影響を受けるのだろうか? 

 なんてことを皇京内の噂話を聞きながら俺は頭の片隅で考えていた。

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