両全の来訪者①

 多都川水族館で失踪者が発生することは、既に珍しいことではなくなっていた。オニダルマオコゼの一件もあって、職員が消えた場合の対処は、管理体制及び情報規制の両面でマニュアル化が進んでいた。

 ただ、どうもこの数日はそのマニュアルでも対応しきれない状況が続いていたのだ。


「お客さんが数名失踪していまして、そのうちの三名のご遺体が水族館内で発見されているんです」


 瀬川はそう言って、むき出しのコンクリート壁を撫でた。バックヤードの一角であるそこは、人通りの少ない、水槽からは離れた場所だった。


「ご遺体はこの付近で発見されています」

「ご遺体の状況は?」


 珊瑚がそう尋ねると、瀬川は口ごもった。「それは俺から」と、榊刑事が紙束のうちの数ページを珊瑚へと差し向けた。


「死因は全て出血性ショック。要は出血多量だな。複数の刺し傷が発見されていることと、窒息などの痕跡は無いことから、刺し傷が致命傷となっていると断定して良い」

「刺し傷の数は」

「三名の内、少ない順に言えば、七回、十六回、三十七回。被害者の体重が多くなるにつれ、回数が多くなっている」

「……因みに、それぞれの体重の方は」

「二十六キロ、三十四キロ、五十五キロ。察しただろうが、小学生から中学生の子供が被害者だ。七歳男児、九歳女児、十四歳男子。他の失踪者にもその年齢が多い」


 榊刑事が溜息を吐くと、その場にいる全員が沈黙した。選ぶべき言葉が見つからない。瀬川は既に言葉を吐く気力も無い様子だった。それを見て数秒、珊瑚は飲み込んでいた息で声帯を震わせた。


「死亡者を含めた失踪者の特徴ですが……皆さん、中性的な見た目をされていませんでしたか?」


 彼女がそう問うと、榊刑事と瀬川は顔を見合わせた。青くなっていた顔から、なんとか声を上げたのは、瀬川だった。


「は、はい。そうですね。小学生の子供達に関してなんか言えば、そもそも見た目で性別が判断しづらい子は多いのが普通です。それに、失踪当時の服装も、中性的と言いますか、どちらの性別とも取れるように見える服装でした」


 瀬川がそう言うと、珊瑚は下唇を噛んだ。僅かな痛みが、思考から靄を排除する。九里香に止められていた癖が、再開した。柔らかくほぐされていた彼女の唇が、再び堅く荒れたそれに戻っていく。自分の血が、苦くて、甘かった。


「おそらく、今回の異形の正体は『カタツムリ』もしくは『ナメクジ』で間違いないです」


 珊瑚はハッキリとそう口を開いた。


「そりゃ、また……明瞭に答えてくれるじゃねえか。何か理由があるのか」


 榊刑事がそう戸惑いを示すと、珊瑚は口角だけを上げて見せた。「はい」とだけ置いて、彼女の小さな唇が大きく動いた。


「まず、今回の異形の正体は、水生生物ではないと考えられます。そうでなければ、このように水槽から遠い場所にまで現れたりしないでしょう」


 三人が立つ死体の遺棄現場は、確かに水槽からは離れていた。どちらかと言えば、水族館の中でもオフィス側。その中の、更に地下の方である。榊刑事も、経験上、このようなところに水生生物の花嫁が現れることは無いと理解していた。


「そして、このコンクリートと、適度に湿った空気。これはナメクジやカタツムリなどの陸生貝類に好まれる環境です。コンクリートを食べるとも言いますが……まあ、科学的根拠はありません。が、コンクリートを好むというのは事実のようです」


 そう言って、珊瑚は部屋の隅にある白いシミを指先で撫でた。粉のついたそれを擦り合わせると、「ふむ」と彼女は鼻を鳴らした。


「花嫁花婿となった個体以外は出入りしていないようですね。となると、水族館内で飼育されている個体の可能性が高いでしょう。瀬川さん、水族館内の飼育生物の中に、カタツムリとナメクジがいないか調べてくださいませんか。きちんとした種名もお願いします。複数種いるようでしたら、全てリストアップ願います」


 珊瑚の指示に、瀬川は反射的に「はい!」と大きく声を響かせた。彼は鉄の階段を音を立てて走ると、そのまま明るい廊下へと出て行った。


「それで、ナメクジやらカタツムリやらが子供を殺してる理由は何だ」


 瀬川の背を追った目で、榊刑事はそう問う。すると、珊瑚は「そうですね」とだけ置いて、また部屋の隅を見つめた。


「恋矢というモノをご存じですか」

「レンヤ? なんだそれは」


 訝しげに榊刑事はそう問う。そんな彼を見上げて、珊瑚は丸い目を細めて見せた。その表情は、彼女がいつも浮かべている、仮面のそれだった。


「恋矢とは、陸生貝類の一部が持つ繁殖器官の一つです。カタツムリの歌の歌詞にも出てきますよ。槍出せ角出せって」

「その歌は聴いたことがある。角はわかるが、槍の意味が確かにわからなかった。その槍が恋矢か」

「はい。ラブ・ダートとも言うそうで……一部の陸生貝類は、交尾の際、相手の身体に恋矢という粘液を纏わり付かせた針を刺すんです。種によっては数百回、数千回刺します」

「何回も刺してたら相手が死ぬだろ」

「どうせ卵を産んだら死にますから、その辺りは心配には及びません。それに、恋矢はお互いに突き刺し合うものですから、お互い様でしょう」


 カタツムリの心情など、知りませんが。

 そう呟いて、珊瑚はフッと小さく笑みを浮かべた。彼女ののらりくらりとした態度に、榊刑事が再び深い溜息を吐いた。


「突き刺し合うって……雄も雌も刺すのか?」

「恋矢を持つ種というのは、基本的に雌雄同体です。お互いに恋矢を刺して、お互いに交尾後の体力を奪って他個体との交尾機会を失わせたり、自分が注入した精子を分解できないようにさせるんです。そうして、自分の渡した精子による遺伝情報が出来るだけ多く相手に残るように……後の世代に自分の遺伝子が残るようにするんですよ」


 珊瑚の舌は妙に軽やかだった。いつも通りと言えばそうだ。だが、ここ最近の彼女の様子から言えば、何処か焦りにも似た何かがあるようにも見えた。


「未成年が被害者となっている点からしても、雌雄同体の生物が正体であると見て良いでしょう。人間の子供というモノは、雌雄がわかりづらいところがありますから……もしかしたら、花嫁の姿も子供のように見えるかもしれません。一見して怪異に見えない状態で動ける個体の可能性もあります」

「客に紛れてるのか」

「その可能性は大いにあるかと。子供は知らない大人にはついて行きませんが、知らない子供にならついて行くモノです。親が目を離した隙に拐かしているのでしょう」


 淡々と、榊刑事の合いの手を飲み込んで、彼女はそう言葉を流し出す。まるで機械のようだった。頭の中に入った情報を、次々と繋ぎ合わせ、脳内検索を進めていく。辞書を引くようにして、該当する生物を引き出していく。そこに感情はない。どちらかと言えば嘲笑に似たものはある。人間というものに対する嘲笑と、怪異に向けた嫌悪感。その全てが僅かに珊瑚の中から滲み出ていた。


「だが今回は一段と特殊な相手だな。いつもだったら昼間の客に紛れるなんて頭使わないだろ。基本的に深夜になってから、標的の前に現れるじゃないか」


 榊刑事のその言葉は、半分は揶揄いのつもりだった。だが、彼は自分の不用意な発言に後悔を示したのは、その言葉を発してすぐのことだった。


「はい。そうなんです。おかしいんです」


 苦虫を潰したような顔。それが、珊瑚の顔を形容するのに最も適した言葉だった。彼女は呟きを地面に落とすと、睨むようにして榊刑事の顔を見た。


「明らかに、変様しています。花嫁達の行動も、性質そのものも」


 そう言って、彼女は自らの首に手を置いた。


「なんで……何で変わった? 昼間に動くのは何故? 何で喋るようになったの? 九里香さんは何で声がわかるの? 神社から神様が出て行ったのは何で? おかしい、父様はそんなこと教えてくれてない……どうしよう……どうしたら……」


 爪を立てる。アーモンド型に整った少女の爪は、ほんのりとした桜色の爪は、抉った皮膚とその下の毛細血管とで白と赤に染まる。滲んだそれを止めたのは、誰でもない榊刑事だった。


「落ち着け、珊瑚ちゃん」


 久しく呼ばなかったその名を、榊刑事は口にする。その瞬間、珊瑚は震えていた丸い目を止めた。彼女の視線は榊刑事の顔に向いていた。


「街の様子がここ最近おかしいのは俺もわかってんだよ。よくヒトがいなくなるって言ったって、ここまで頻繁じゃなかった。子供が娶られるなんてのも無かった。珊瑚ちゃんが言うとおり、花嫁も花婿も、本来であれば結婚適齢期の未婚の人間……要は大学の学生だのくらいしか狙わないからだ。それがどうだ? 子供が狙われ、既婚男性が狙われ……挙げ句、聞いた話じゃ神社に祀られた女神がサボテンに発情しやがる」


 吐き捨てるようにして、彼はそう呟いた。

 真に父親のような人間がいれば、こんなふうに肩を掴まれて、心配するような瞳で、くどくどと説教されることが、あるんだろうか。

 珊瑚の頭に浮かんでいたのは、そんな浮ついた現実だった。そんな彼女に、榊刑事は「聞いているのか」と語調を強めて、眉間に皺を寄せた。


「良いか、珊瑚ちゃん。花嫁達に対応してるのは珊瑚ちゃんだけじゃないんだ。元の姿に戻せるのは珊瑚ちゃんだけってのは事実だが、追っ払ったり正体を掴むことは、俺達みたいな奴でも出来る」


 そう言って、榊刑事は溜息を吐いた。脈絡は無いが、それが心配の類いであることは、珊瑚にも理解出来た。


「前のオニダルマオコゼの一件の時、既に他の祓い屋も呼んでいるんだ。未だに出てこない死体を探すのを手伝わせてる。そいつに開館時間中の警備を頼む。見る奴が見れば、子供の姿をしていても『ヒトでないもの』くらい見分けが付くだろう」

「……私も警備に参加しても」

「させない。珊瑚ちゃんは正体を暴くことに専念してくれ。裏で花嫁の本当の名前を調べるんだ。瀬川と一緒にな。あいつ、どうも書類仕事は得意らしい。珊瑚ちゃんが指示したリストだってすぐに出してきてくれる筈だ」


 とりあえず。と、そう置いて、榊刑事は珊瑚の肩から手を外した。その手を自分の頭に乗せると、掻き毟るようにして「だから」と口元を濁す。


「今回は九里香が帰ってくるまで、動かないでくれ。正体を暴くまで、被害が出ないように俺達が見張る。見張りは俺達の仕事だ。前に出るな。九里香が帰ってくるまで、大学に行ったり、木葉のお姫様と、いつも通り過ごしてくれ」


 でも。と、珊瑚が口を開くと、榊刑事は再び長い溜息を吐いた。そこには、説教の意図も、心配の意図も無かった。


「疲れてるんだよ、珊瑚ちゃんは。それに、九里香のアホが勝手にいなくなるもんだから、寂しくなったんだ。決壊したんだ、我慢が」


 慈愛のそれを頭から浴びて、珊瑚は小さく「はい」とだけ吐いた。彼女の吐いた返答に、意味は無かった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る