貞潔な翼②

 ここ最近、警察のサイレンを聞くことが増えた。そんな他人事のような現実を眺めながら、九里香は一週間ぶりの紫煙を飲んでいた。

 神社の境内に集まった警察官達は、揃って忙しそうに手足をせかせか動かしている。その中から目的の人物を見つけて、九里香は手を上げた。


「榊刑事」


 社務所の中を歩いていた彼は、九里香を見てすぐに「あぁ、お前か」と零した。さも当たり前のように、榊刑事は九里香の隣に身を寄せた。


「お嬢ちゃんは一緒じゃないのか」

「珊瑚は多分、宮司さんたちと一緒にいると思いますよ」

「あぁ、祖父母なんだっけか」


 そうだったんですか。と、九里香が呟くと、榊刑事は「知らなかったのか」と肩を落とした。


「母方の祖父母らしい。まあ、その辺もお嬢ちゃんから詳しく聞け。同居まで来たんだから色々聞けるだろ」

「なんで同居のことを……」

「昨日、水族館の一件について事後処理の確認をお嬢ちゃんとしてたんだ。その間にな、上手い飯炊き係が来たって喜んでたぞ」


 珊瑚がころころと笑う様子を思い浮かべて、九里香は溜息を吐いた。そんな彼に、榊刑事は小さく笑った。自らも煙草を一本取り出すと、その先に火を付けた。随分古い銘柄を吸うものだと、九里香は視界の端に消えた空箱を、目で追った。


「で、だ。今回の事件現場について、お前はどう見てる」

「……珊瑚の見解を聞いた方が良いんじゃないですか」

「参考までに聞いておこうと思っただけだ。嫌か?」


 そうやって九里香に問いかける榊刑事の表情は変わらない。他愛も無い雑談の延長だとでも言いたげに、彼は煙草の灰を落とした。その灰は、灰皿の中で九里香の落としたそれを上書きした。


「俺だったら……アレは、須藤を襲った怪異と同じ怪異の仕業だと見ますかね」

「つまり、人間がしたことではないと、怪異の仕業だって言うんだな」

「俺達が現場に行くまでに、あの場所に人間が入り込んだ痕跡はありませんでした。それに、死体の欠損状況が、俺の触れた須藤の死体と一致していました」

「なるほど、お前、以外によく見てるもんだな」


 感心を持って、榊刑事は煙草の先の熱をすり潰した。その指は流れるようにポケットの中へと吸い込まれていった。新品の箱を掌で弄ぶ。そんな彼にあわせて、九里香も二本目のそれを手に取った。


「ま、書面で見た散乱遺体の状態から見ても、怪異が関わってるのは事実だろう。ただ、なあ」


 末尾に漏れる疲労感は、九里香に問いかけを求める素振りだった。「何か」と九里香が問うと、榊刑事は彼に聞かせるようにして大きく溜息を吐いた。


「人間が関わっている可能性も捨てきれないんだよな」

「人間が、ですか」


 九里香の反芻に、榊刑事は頷きを以て答える。彼は眉をへの字に曲げ、煙を飲んだ。


「水族館の一件、死体がまだ出てこないんだ」


 そう言って、榊刑事は頭を掻いた。


「死体が? まだ花嫁を祓って数日でしょう。出てこなくて当たり前じゃ無いんですか? 原因が消えたからと言って、隠し場所がわかるわけでもないんですし」


 九里香の問いは、全うではあったらしい。榊刑事も「確かにな」と同意を置いて、再び口を開いた。


「物理法則に則って隠してくれているなら、俺達の探し方が悪いってことだろう。だがな、怪異ってのは認識の副産物。認識するということは、現実になるということ。歪んだ認識たる怪異は、俺達人間の持つ認識……現実に対して、影響を与えることが可能だ」

「要は本来神というものが『隠す』という行為は、箪笥の中に押し込めるとか、山の中に埋めるとかとは違って……見え方や死体に対する認識に影響を与えて、『見えなくしている』って感じってことですか」


 九里香がそう言うと、榊刑事は「理解が早くて助かる」と、僅かに頬を緩めた。


「だから原因である怪異が除去された場合、認識が元に戻って、存在していたのに見えていなかったもの……つまり行方不明者が、既に探したような場所から戻ってくるってことが起きるわけだ」

「……でも、水族館の一件については、オニダルマオコゼ……木花知流比売が物理法則に則ってちゃんと隠してたってこともあり得ますよね」

「いや、それは無いな」


 榊刑事が零した断言には、強い確信が含まれていた。九里香が「は」と眉間に皺を寄せると、彼は口角を上げた。顔を覗き込む榊刑事は、何処か楽しげに見えた。


「水族館内に成人男性を隠せる場所は存在しない。水槽内にもな。となれば隠し場所は水族館の外になる。だが、あの怪異は水槽付近から離れることが出来なかった」

「木花知流比売が死体を隠す方法は、認識の歪み以外にあり得なかったわけですね」


 九里香の応答を見て、榊刑事の頬はより緩む。それに比例して、九里香の額の皺はより深くなっていった。


「もう一つ、決定的なことがあってな」


 そう置いて、榊刑事は再び口角を下げた。


「バラバラになっていた飼育員……秋元な。あの死体、かなり鋭利な刃物で切断されていたんだ」


 なるほど。と、九里香が呟く。榊刑事はそのまま口を閉じた。自分の答えを待っていると理解して、九里香は舌を回した。


「じゃあ、人間の誰かが死体を隠して、それに加えて死体をバラバラにして、水槽に戻したって事ですか? 誰が何のために?」

「わからん。だが……」


 不明瞭な榊刑事の言葉が止まる。彼の視線は部屋と廊下とを遮る襖に向かっていた。長く黒い髪が揺れる。ころころと微笑む声が聞こえた。


「あの神への生け贄として、かの方の肉を捧げた……とも考えられますね」


 邪魔を致しました。と一つ置いて、珊瑚は目を細める。


「遅くなりました、榊さん、九里香さん。事件のお話をしましょう。宮司さん達から場所をお借りしました」


 彼女はそう言って、廊下の方を指差した。「行きましょう」と九里香が部屋を出る。纏っていた煙が、廊下に漏れ出した。

 二人の背に、榊刑事が追随する。背後、彼は「おしどり夫婦め」と呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る