第10話 本当の名
伸びてきた手は、お菓子をつまむことなく、お菓子が乗った皿ごと手で薙ぎ払う王女。手の平にあったお菓子が乗った皿の感触が何一つなくなり、銀の皿が床に叩きつけられる甲高い音が鳴り響く。床を見渡すと落下した衝撃で原型をとどめないお菓子が散乱している。
「はぁ、一つ言っておく。お前がレルスではないのならもう、菓子を貪り一日のほとんどを惰眠で過ごし、ただ怠惰を謳歌する王女を演じる必要はまったくない。少なくともお前の前ではな。我は変わり映えのない日々をこの狭い部屋の中に閉じこもって、生きた屍のようにぐーたらした生活に飽き飽きなんじゃ。」
首筋に伝わる一筋の冷たい感触と、ドレスのスカートが目の前で大きく不自然に広がり、重力に沿いドレスがふんわりと王女の足元を優しく包み込んでいる。
首筋の冷たい感触に横目で目をやると、ナイフの刃を俺の首元へかける王女の姿。ドレスが大きくなびいていたのは、ドレスのスカートの下にナイフを隠し持っていたからか。
「もう一度だけ言う。お前は誰じゃ?」
「私は……俺はレルスではない」
「ほう、本当の名は何という?」
「新城 京」
「アラギ?」
「そう、アラギ。俺はそもそもこの世界とは別の世界で生きていた。もしかすると聞きなれない名前かもしれない」
「アラギか……聞きなれない名前じゃが、なんかこう、いい響きじゃ。アラギ、アラギ、アラギ。」
王女は日本の俺の名前の発音が気に入ったのか、繰り返しアラギという俺の名前を呼び続けるが、いまだ、俺の首元には彼女が手に持つナイフの刃が突き付けられたままだ。
俺は何度も目線をナイフに向けるが王女は気づく素振りもなく、俺の名前を呼ぶたびにナイフの刃先の感触が首に伝わってくる。
王女がくしゃみでもしようものなら、俺は首を切られてゲームオーバー。
「リーディア王女、いい加減その危なっかしいナイフを……」
「おっおおう。すまぬすまぬ。」
王女はスカートをたくし上げて、太ももに巻き付けられるよう身に着けたナイフホルダーにナイフをしまう。
俺は目のやり場に困って思わず、天井を見上げた。天井には眩いほどの立派なシャンデリア。
――綺麗だな。
ナイフをしまい終わりドレスの乱れを再び直す王女。
俺は、王女から質問された同じことを聞き返した。
「リーディアの名前は?」
「急に我の呼び方が変わるとなんか、違和感があるが。まあよい。こっちの方が自然なカエザルだし。」
リーディアはソファーに座ったまま足を組み、右腕を伸ばしてソファーの背もたれに置き、左手で水の入ったコップを手に持ち、いかにも王族というような座り方をし始めた。
「我の名はリーディア・アンス・エルタニア。もうわかっておると思うが、この国の女王だが、それは名ばかりで今はレルス、そなたが実質的なこの国のトップじゃ」
リーディアは顎でエルタニア王国の実質のトップである俺を差し示し、水を飲み干した空のコップの口を下に向けた。
俺は反射的にリーディアの持つ空になったコップに水を注いだ。
水を注いでいる最中、彼女はつぶやくように、独り言のように言葉をこぼした。
「空になったエルタニア王国の器にカエザルが……」
俺は耳にした弱音じみた言葉をしたことを聞かなかったことにして、リーディアに問いを投げた。
「どうしてそんなことに?」
「我の父、先代の王が去年、急に病で亡くなってな。第一王位継承権がある我が女王として父の後を継ぐはずだったんじゃが、王国議会でカエザル派の人間が『年端のいかない少女にこの国の実権を握らせるのはいかがなものか』と、とってつけたような理由を盾にして我を引きずり下ろした。もうすぐ十四歳になるというのにな。よってお前が王女補佐官という名目で我の玉座を牛耳っているというわけじゃ。」
「リーディア王女がぐーたら生活を演じている理由は?」
「お前は馬鹿か?カエザル派は、我が幼いという理由でお前を王女補佐官に据えておるのじゃぞ!人形ではないのだから、我も生きていれば年を重ねるし、大人になる。大人になれば我は正統な理由でこの国の王女になってしまうのが分からんのか?」
「つまり、王女になるのが嫌ということですか?」
俺がした質問を聞くや否や、大きなため息をして、呆れた表情を浮かべ始めた。
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