第49話 ブラコンとシスコン
孤児院へハリュンゼンからの資金援助も決定し、後は詳細についてランセル公爵と交渉をするだけとなった。ヒナの神聖魔法による病気の孤児達の治療も大方終え、孤児院イベントは終了といったところだろう。
華と蒼壱はまたいつもの通りお互いの役割を入れ替えて、王宮に剣の稽古と王妃教育を受けに足を運ぶ毎日となった。
——ところが、だ。
つっとお茶を一口含んで、蒼壱は目の前でにこにこと微笑むミゼンを見つめた。
「ハンナ嬢、サンドイッチのおかわりは如何ですか? このスコーンは王都の有名店から王宮に雇い入れた職人が焼いています。このケーキは……」
「ミゼン」
ふ……と、蒼壱は唇の端を持ち上げて、ミゼンを小ばかにする様に笑った。
「俺相手にそんな事して楽しいの?」
ミゼンの笑顔がピシリと固まる。この所、彼はだんだんとボロを出す様になってきた。
それは、以前の様に飄々と躱すのが困難になるほどの事がある、という意味なのだが……。
「……楽しいわけ無いじゃないですか」
「だよね? ああ良かった。ホントの変態かと思った」
「誰が変態ですか! 誰が!!」
「お前以外どこに居るってのさ!?」
ガチャン! と、音を立てて蒼壱はテーブルに拳を置いた。
「もういい加減俺を解放してよね? 十分おままごとは楽しんだだろう?」
「ちっとも楽しくありませんが!」
「だったら尚の事さっさと解放してよ!」
むっと唇を尖らせながら頬を膨らませる蒼壱を見つめ、ミゼンはこめかみをぴくぴくと動かした。
「まだ駄目です。もう少し兄上をへこませないと。私と仲の良いふりをちゃんとしてください」
「……ブラコン」
「シスコンに言われたく無いですね」
孤児院イベントの後、毎日の様にミゼンが蒼壱をお茶会に誘い出すようになった。その理由を問いただしたところ、ミゼンは嫌にあっさりと「兄上の為です」と言い放った。
「華ほど兄上の伴侶として相応しい女性は居ません。そのことを兄上に気づかせたいのです。こうしてアオイ相手にお茶会を開き、僕との仲を見せつけることでヤキモチを妬かせたいんです。ヤキモチを妬けば、自分の気持ちに気づくはずです。兄上は華を想っているのだと」
「自分だって華が好きなくせに」
蒼壱の一言にミゼンはカッと顔を赤らめた。
冷静沈着でいつも愛嬌のある笑みを浮かべ、自分の本音を見せようともしないミゼンが、華の事となると途端にボロが出る。蒼壱にとっては複雑な心境であることに違いはない。
「彼女は魅力的な女性ですから、仕方の無いことです」
ミゼンの言葉に、蒼壱は苦笑いを浮かべた。
——ヒロインであるはずのヒナの立ち位置を、悪役令嬢であるはずの華がことごとく奪ってる気がするのは気のせいか?
「お腹空いたぁ―!」
華が叫びながら二人のお茶会に乱入してくると、スコーンを鷲掴みにし、ぱくりと頬張った。額には薄灰色のバンダナが巻かれている。
「ちょっと、そんな稽古着のまま乱入して、お行儀が悪いったらっ!」
慌てて華の手を払いのける蒼壱から華はひょいと避けると、「美味しい!」と、瞳を輝かせた。
「ミゼン!! このスコーン、激美味っ!!」
「げき……馬……? ですか」
「美味しいってことっ!」
「それは良かったです……」
「もぐもぐ……っくん! う、喉詰まるっ!!」
ミゼンが慌てて華にお茶を差し出すと、華はぐびぐびと飲み干した。
「よし、腹ごしらえ完了っ! ご馳走様ぁ~」
華はぶんぶんと手を振って一瞬のうちにその場を去って行き、その背が見えなくなるまでミゼンは呆然として見送っていた。
蒼壱はそんなミゼンを冷たい目で見つめている。
「華は、相変わらず、可愛らしいですね……」
「だったら、本人に言えばいいじゃないか。そして、砕け散れよ」
「絶対嫌です。アオイ、どうして僕がフラれると分かっていてそうやって陥れようとするのです?」
「別にミゼンだけじゃなく、皆フラレると思うけど。ヨハンも含めてね」
蒼壱はすっと席を立つと「そろそろ王妃教育を受けに行くよ」と、溜息をついた。
「『居なくなる』からですか?」
ミゼンがポツリと言い、蒼壱は片眉を吊り上げた。
「いや、だから王妃教育を受けに行くって……」
「そうではありません。華が僕に言ったんです。『私が居なくなったら寂しい?』と。華は、どこかに行ってしまうのですか?」
蒼壱は僅かに拳を握り締めた。
「……それで、ミゼンは何て答えたんだ?」
ミゼンは悲し気に瞳を伏せた。長い睫毛が影を落とし、テーブルの上に置いた手を引きよせて組んだ。
「『もう二度と、そんなことは言わないで欲しい』と言いました」
——華の馬鹿……! 完全にこの世界にハマってるじゃないかっ!
俺達は、現実世界に帰らなきゃならないってのにっ。
「アオイ、華はどこかへ行ってしまうのですか?」
「……いや、そうじゃない」
蒼壱はため息を吐くと、ミゼンを見つめた。耳につけたピアスがゆらりと揺れる。
「以前のハンナを、ミゼンはどう思う?」
「『以前の』とは?」
「高飛車だったころのハンナだよ」
ミゼンは肩を揺らして笑った。
「その質問は、意味を成さないことかと思います。貴方自身、彼女を『高飛車だった』と揶揄している程なのですから。それにあの頃の彼女に戻るとは、到底思えません」
「それでも、戻ったらどうする? あの頃のハンナでも、ヨハンの伴侶として相応しいと思うか? あんたは惚れるのか?」
「愚問ですがお答えしましょう。答えは『NO』です」
——俺と華が、現実世界に戻った途端、ハンナはゲーム通りの筋書きを辿る事になるだろう。
正直、俺達が居なくなった後の世界なんてどうだっていいし、もしかしたらゲームのストーリーはそこで終了し、彼らは時が止まった状態に陥るのか、それともまた最初へと時間が巻き戻るのかも分からない。
それでも、これほどまでに心をかき乱されて、この世界のキャラクター達の運命を変えてしまうのは、あまりにも理不尽だ。
コツコツと扉がノックされ、ヒナが艶やかな黒髪を靡かせてサロンへと入って来た。王妃教育の授業へと迎えに来てくれたのだ。
「ハンナ、ダンスのお稽古が終わったわ。図書室に行きましょう」
ヒナがミゼンの前で膝を折り、挨拶をしようとすると、ミゼンはそれを手で制した。
「ヒナさん、陛下の前でもなければそのような事は不用ですよ。そもそも、貴方はこの国どころか世界中で最も尊い『聖女』という存在なのですから。僕の方こそ
「平伏すだなんて! 私は一般人です! ミゼン様は王子様なのにっ!」
ヒナが慌ててパタパタと両手を振る姿が可愛らしいと、蒼壱は思った。
——俺が、現実世界に戻ったとしても、ヒナはアオイ・ランセルを選ぶだろうか……?
ふとそんな事を考えて、蒼壱は首を左右に振った。
——違う。俺が好きなのは、現実世界の『
蒼壱はヒナに向けてニコリと笑みを向けた。
「わざわざ迎えに来させてしまってごめんなさいね、ヒナ。図書室に参りましょう。殿下、これにて失礼致します」
わざとらしく丁寧にミゼンへとお辞儀をすると、ドレスの裾をさらりと流しながらヒナと二人図書室へと向かった。
——俺が今すべきことは、一刻も早くこのゲームを終わらせることだ。
次に待ち受ける大型イベントといえば、『中ボス戦』。剣技大会で『乙女の祈り』を手に入れた以上、喘息の発作を心配する事も無い。そして、華がヨハンから貰った『星のピアス』があれば、魔物討伐イベントの失敗も無い。
準備は整った。あとはイベントの発生を待つのみだ。
「ねぇ、ハンナ。聞いてもいい?」
蒼壱の隣を歩くヒナが、白く長い指先を合わせながら、チラリと見つめて言った。
「何かしら?」
蒼壱が促す様にそう言うと、ヒナは明るく笑った。
——可愛いな……。
「ハンナって、ヨハン様よりもミゼン様が好きなの?」
ヒナの質問に、蒼壱はこめかみに血管を浮き立たせた。
「どっちも嫌いだっ!」
——あ。しまった!
「え!? そうなの!?」
キョトンとして小首を傾げたヒナに、蒼壱は口をもごつかせた。
「いや、えーと……恋愛とか、そういうのはまだよくわからないのです」
慌てて取り繕う様にそう言うと、ヒナはクスクスと笑った。
「ハンナったら、私よりも大人びて見えるのに」
「こういうことに関しては苦手なので……」
ヒナは蒼壱の手を取ると、両手でぎゅっと握りしめた。
「私ね、この世界に突然来ちゃって凄く不安だったわ。でも、ヨハン様が優しくしてくれて、ミゼン様も魔物討伐から庇ってくれたり、そしてアオイ様は……」
ヒナは顔を赤らめると、恥ずかしそうにチラリと蒼壱を見つめた。
「素敵過ぎて、もう、元の世界に戻りたいなんて思わないくらい好きになっちゃったわ!」
——お…………!!!!
ぶわりと顔が熱くなり、蒼壱は自分の顔が真っ赤になっている事を自覚して、ヒナからパッと背けた。
——可愛すぎるから止めてくれっ!!
「アオイの事がお気に召した様で良かったですわっ!! 聖女様にそんなにも想って貰えるだなんて、なんて果報者なのかしらっ!」
上ずった声でそう言うと、空いている方の手でヒナの肩をトンと優しく叩いた。
「さあ、ほら。急ぎましょう! 先生がお待ちになっていますわ!」
蒼壱は急ぎ足で図書室へと向かった。
——俺まで絆される訳にはいかない。しっかりしろ、俺!!
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