第48話 孤児院イベント
——気まずい……。
華は目の前に座るヨハンを見つめて苦笑いを浮かべた。
今日は孤児院の視察に向かう日だ。朝からヨハンがランセル公爵家に馬車で迎えに来てくれたはいいが、孤児院への道のりを重苦しい空気の中、ずっと無言で過ごすのは、華にとって苦痛この上ない。
チラリと横へと視線を向けると、フォルカーの姿があるものの、彼は何やら疲れ切っていて居眠りをしていた。
「フォルカーの事ならば気にすることはない。少々自国の責任問題で父上と揉めてな、そのやりとりに参っているのだろう」
フォルカーを見つめる華の視線に気づき、ヨハンが口を開いた。
自国の騎士を連れているとはいえ、責任者としてたった一人、ヒルキアであらゆる責任を押し付けられて大変なのだろう。
今回の孤児院への視察も、その一環なのだと話していたのだから、賢しいランセル公爵のことだ、ここぞとばかりにハリュンゼンから利益を搾り取ろうとしているに違いない。
それというのも、孤児院はランセル公爵家が後援者だからだ。
孤児院の経営は、商会が利益の数パーセントを出資して運営されているのだが、ランセル公爵家は貿易商も営んでいる関係から、多額の出資を行っている。
公爵は宰相という地位である為、管理は公爵の父。つまり、ハンナやアオイにとっては祖父に当たる人が担っているというわけだ。
あの公爵の父なのだから、相当に小賢しい事は確実だろう……。
「フォルカー、自分が悪いわけじゃないのに可哀想……」
華が苦笑いしながら言うと、ヨハンが怪訝な顔をした。
「そなた、フォルカーといつの間に仲良くなったのだ? 名前で呼ぶ仲とは思わなかったが」
「へ!?」
——しまった! 今私、ハンナだった!!
華は青ざめてドレスのスカートを握り締めた。
「えーと、ちょっと……その……!」
ガタン! と、馬車が揺れた。
フォルカーがハッとして目を開け、倒れそうになった自分の身体を支え、ヨハンも同じく自分の身体を支えた。
が、華が思わずヨハンを護ろうと身を乗り出した為、ゴチン!! と、ヨハンと頭を打ち合った。
「いっ!?」
ヨハンが悶絶して蹲った。華は「ごめん!!」と慌てて謝ると、蹲るヨハンの肩に触れた。
「大丈夫? ゴメンね、ヨハンを支えようとして……」
「いや、そなたは無事か?」
「へ? うん、全然平気」
——姉弟揃って石頭なのか!?
「おい、馬車の前に誰か飛び出した様だぜ?」
フォルカーの言葉に華はチラリと外へと視線を向けた。何やら揉めている様だが、その様子がここからでは見えない。
コツコツと馬車の窓がノックされ、蒼壱が顔を出した。蒼壱は『王家の盾アオイ・ランセル』として護衛の任を担っており、一人馬に乗って付き添い、後続には第二王子であるミゼンとヒナが乗った馬車が続いていた。
「蒼壱、何かあったの?」
華の質問に蒼壱は頷くと、ヨハンを見つめて頭を下げた。
「殿下、少々トラブルが発生しました。治めますので暫しお待ちくだ……」
「稀代の英雄、アオイ・ランセル様!!」
蒼壱が言葉を終える前に、周囲から声が上がった。
馬車から外を覗くと、街中の人々が集まり、剣技大会で優勝を果たし、更には聖女と恋仲である稀代の英雄の姿を一目見ようと、道を塞いでいる様子が見えた。
馬車はそのせいで停まってしまったのだ。
「アオイが王家の盾どころか、皆を集める人気者と化してしまった様だな」
ヨハンが笑うと、蒼壱は申し訳なさそうに頭を下げた。
「これでは護衛になりません」
「蒼壱、握手会でもしたら?」
華が茶化して言うと、蒼壱はムッとした様に唇を尖らせた。
——誰の責任!? ……って、俺もか。
「兎に角、王家の馬車を止めるとは不敬に当たります故、払って参ります」
蒼壱がため息交じりに言うと、ヨハンが「待て」と、声を掛けた。
「此度の視察は一般には公言もしておらぬからな。処罰は不要だ、皆王家とは知らぬ事であったのだろう。馬車にも紋章を掲げておらぬ。できるだけ事を大きくせずに治めよ」
「ご慈悲痛み入ります」
馬を走らせ、蒼壱は騎士達と共にやんわりと人払いをし、道を開けさせた。だが、孤児院にたどり着くまでの道のりを人だかりが続き、王宮から追加の騎士が派遣され、孤児院周辺を警護する事態とまでなってしまった。
「ここにたどり着くだけでも疲れた」
蒼壱が華に愚痴り、華は「ハリウッドスターみたいだね」と笑った。
孤児院は立派な建造物で、想像していた汚らしい様子とはまるで違っていた。
大理石の女神像が訪れる者を出迎え、ロビーへと続く庭は丁寧に手入れされている。
子供達が居る宿舎は男女が西と東とで分けられ、中央の中庭には立派な噴水が設けられており、子供達が楽し気に遊ぶ姿が見受けられた。
「今は丁度休憩時間なのです。もうすぐ授業が始まりますが、子供達の年齢で分けられたカリキュラムが組まれております」
案内役の女性がそう話すと、フォルカーが感心した様に唸った。
「こりゃあ、ハリュンゼンの資金援助の協力を得たいというよりは、自国でも同様に取り入れろという公爵の要求だな……」
「ランセル公爵はそういう男だ」
ヨハンはふっと笑いながらそう言うと、その偉大な公爵であるオルヴァ・ランセルの子、蒼壱へと視線を向けた。
——今やランセル家は王よりも民の支持が高い。その息女であるハンナ嬢を私の妃とするのは避けようが無いだろう。
そして、ヨハンはその視線を華へと向けた。華はヒナと会話を楽しみながら、ミゼンとも仲良さげに話し、時折子供達の相手をしてドレスの裾を持ち上げて駆けたりしていた。
「……ハンナ嬢は、いつからあのようにお転婆になったのだろうか」
ポツリと言ったヨハンの言葉に、フォルカーは苦笑いを浮かべた。
「最初からじゃねぇか? お前が彼女を避けまくってたせいで気づかなかっただけだろうな」
「……そうだろうか」
ハンナ・ランセルといえば、以前は兎に角気高い女性で、打算的であり、自分の利益も無く誰かと仲良くしようと考えるようなタイプでは無かった。
ランセル家の令嬢となれば、ゆくゆくは王妃となる事が決定しているようなもので、公爵が他の令嬢とは格差をつけるべくわざとそのように育てたのだろう。
彼女自身、自分の伴侶はヨハン以外考えられないといった風で、鬱陶しい程にヨハンにつきまとうので、その度に冷たくあしらっていたのだ。
「あまり、関わらぬ様にせねば厄介だな」
ヨハンの言葉に、フォルカーはやれやれと肩を竦めた。
「お前さ、相変わらず彼女を疑ってるのか?」
「信用はしておらぬ。アオイと姉弟であるということすら信じられぬ程だ」
さっくりと言い放ったヨハンを見つめ、フォルカーは頭を掻いた。
——こいつ、嬢ちゃんがアオイだと知ったら、どうなっちまうんだ……?
ヨハンとフォルカーがそんな会話を繰り広げているとは露知らず、華は孤児院の子供達と戯れていた。
ヒナは女の子らしく花冠を編んでみせ、蒼壱はヒナの為に花を摘んでいた。ミゼンは華に巻き込まれる形で子供達と遊ぶ羽目になり、それでも彼なりに一生懸命に相手をしていた。
授業開始の鐘が鳴り、子供達が手を振りながら室内へと駆け込んで行った。その様子を見送りながら、ミゼンは小さくため息をついた。
「貴方と居ると、僕は物事の価値観が変わる様に思います」
ミゼンの服は子供達にあちこち引っ張られ、よれよれになっていた。華はその様子に吹き出すと、「折角の見目麗しい第二王子様が揉みくちゃ」と、笑った。
「ハンナったら、泥だらけじゃない!」
ヒナに指摘され、華はハッとして自分のドレスを見下ろした。
「あちゃー、遊び過ぎた……」
「全く、姉上はもう少しご自分の立場を考えて頂きたいものです」
蒼壱がわざとらしく言ってコートを脱ぐと、華へと差し出した。
「あまり汚らしい恰好での視察は、ランセル家の名に傷がつきますから」
「はいはい。すみませんよーだ」
華は蒼壱から受け取ったコートを羽織って、ドレスの裾についた泥を払った。
蒼壱はヒナをエスコートし、ミゼンが華をエスコートした。フォルカーがチラリとヨハンを見て、『俺はこいつに手綱持たれてるんだよな』と、苦笑いを浮かべた。
案内役の女性が屋内の説明をしながら一行を引率し、孤児院の奥へと足を踏み入れた。ツンとした消毒液の匂いが鼻につく。
そこは、病気の子供達が療養している部屋だった。広い空間にいくつものベッドが置かれ、マスクをした世話係が忙しそうに動き回っていた。
身体の不調を訴えて泣く子の声も多く、案内係の女性は小さくため息をついた。
「こちらへご案内すべきかは迷ったのですが、院長が必ずご案内するようにと……」
女性の言葉にフォルカーは頷いた。
「確かにな。元気な孤児よりも、病気の孤児の方が金がかかるのは当然だ。院長と話をさせてくれ」
「あ、あの!」
ヒナが思わず声を放った。蒼壱が慌ててヒナを止めようとしたが、ヒナはそれを振り切って言葉を続けた。
「私、神聖魔法が使えます。重病の子だけでも助けられませんか?」
蒼壱が止めようとしたのは無理も無い。ヒナの性格上、『重病の子』だけで済むはずがないのだ。
そして蒼壱の予想通り、ヒナはその日から暫く孤児院に通う事となった。それには当然ながら聖女であるヒナを一人だけで通わせるわけにも行かず、蒼壱も同行する事となり、王妃教育を受けたくない華は「私も孤児院に手伝いに行く!」と、言い出さずに居られなくなった。
そうなるとミゼンもまた王后の命令で孤児院に通う事となり、元々財政面での支援をする予定であったフォルカーが、華に会いたいがために通うと言い出せば、自ずとその監視役であるヨハンも共に向かう事となり、暫く孤児院は王族、貴族の者達が足繁く通う奇妙な場所となってしまった。
華は子供達の遊び相手になりながら、フト考えた。
——王宮でしきたりだなんだと堅苦しい思いしたり、魔物討伐で危険な目に遭うよりずっと平和でいいイベントだなぁ……。
「華。少し休憩しませんか?」
ミゼンが子供達に揉みくちゃにされながら音をあげて、華はクスクスと笑って頷いた。
丁寧に刈り込まれた芝生の上に座ろうとすると、ミゼンが自分のコートを脱いで敷いてくれた。
「汚れちゃうよ?」
「既に子供達に揉みくちゃにされましたから、今更です」
「確かに!」
華が笑いながら座ると、そのすぐ隣にミゼンも腰を下ろした。子供達が無邪気に遊ぶ様子を微笑ましく思いながら見つめる。
「ミゼンって子供嫌いかと思ってたけど、そんなことないんだね」
「得意ではありませんよ。どちらかといえば嫌いです」
「じゃあなんで一緒に遊んでくれるの?」
不思議に思ってミゼンを見つめると、彼は愛嬌のある笑みを浮かべて華を見つめ返した。
「華の側に居る為には、子供達と遊ぶ事が一番良い選択に思えたからです」
「私の側? どうして?」
「貴方と居ると癒されます。僕も貴方の様に純粋で素直になれる様な気がするのです」
——ミゼン、それって私を相手にするのと子供相手にするのと一緒って事じゃない?
華は苦笑いを浮かべた後、ぐっと伸びをし、そのまま芝生の上に寝転んだ。
こんなに平和な気分を味わうのは、この世界に来て初めてかもしれないと思った。
現実世界と変わらない青い空。鳥のさえずり、芝生の匂い。物騒なイベントなんか起こらずにこのまま平和が続くといいのにと、つい願ってしまう。
けれど、それではこのゲームは終わらない。現実世界に帰る事ができないのだ。
——現実世界に……。
「ねぇ、ミゼン。私が居なくなったら、寂しい?」
正確には、華が現実世界に帰ったとしても、ハンナは居なくはならないだろう。ハンナの中に居る『華』という人格が消えて無くなるのだ。
何も答えようとしないミゼンを不思議に思って、華はチラリとミゼンを見つめた。
「……あれ? 聞こえなかった?」
「聞こえました。ですが、聞かなかった事にしたいくらいです」
ミゼンは悲し気な瞳で華を見つめると、長い指を伸ばし、そっと華の頬に触れた。
「貴方が居なくなったらと、想像しただけで心臓が抉られるような気分になりました。もう二度と、そんなことを言わないでください」
「ご……ごめん」
ミゼンの指が華の唇に触れた。華は身動きを取る事ができず、ミゼンから視線だけ外した。
——あれ? なんだか妙な雰囲気になっちゃった様な?
「華は、兄上をどう思っているのですか?」
「ど、どうしてそんなこと聞くの!?」
「意地悪な質問を僕にした仕返しです」
「あ、あいつはなんだか……私を嫌ってるし!」
華の唇をミゼンが優しく親指でなぞるように触れた。トン、と、ミゼンが片手を華の横の芝生につき、顔を近づけた。
——おお……美形超接近……。じゃなくて! えーと!!
「痛っ!!」
ミゼンが声を上げ、華から離れた。
「華に何してるんだよ、変態魔法使いっ!!」
蒼壱がミゼンの房のついたピアスを引っ張っており、ミゼンは悲し気に「それは引っ張るものではありません」と眉を寄せた。
蒼壱はよっぽど慌てて駆けつけた様で、肩を上下させながら息を切らせていた。華は起き上がると、ドキドキする心臓を押えながら戸惑う様な瞳を蒼壱に向けた。
「華、大丈夫?」
「う、うん。ちょっとびっくりしただけ。っていうか別にミゼンは何も……」
「全く、油断も隙も無いっ! 第二王子だろうと第一王子だろうと、隣国の王子だろうと、華に手を出すヤツは俺が赦さないからなっ!?」
ミゼンは苦笑いを浮かべると、「シスコンですか」と言った。
「何とでも言えよ。あんただってブラコンじゃないかっ!」
——え!? ミゼンってブラコンだったの!?
と、華がポカンとしていると、ミゼンは「それは言ってはいけません」とため息交じりに言った。
「アオイ、慌てて駆けていくから何事かと思ったぞ。何かあったのか?」
ヨハンがフォルカーとヒナを連れ、呆れた表情を浮かべながら歩いてきた。
——ヒロイン&攻略対象勢揃いって、なんだか圧巻……。
華はキラキラと輝く様な彼らを眺めながら、まるで他人事の様にそう思った。
蒼壱はムッとした様な顔をして、ぶっきらぼうに「別になんでもありません」と言うと、ミゼンが被せる様にサラリと言った。
「僕がハンナ嬢を口説いていました」
「……え?」
ヨハンが瞳を見開いて華を見つめ、華は顔を真っ赤にして「ミゼン!? 違うでしょ!?」と、慌てて声を放った。
「おー。開き直りやがった」
フォルカーが苦笑いを浮かべ、ヒナはオロオロしたようにヨハンを見つめた。ヨハンは眉を寄せると、サッと華から視線を外した。
「くだらない事で貴重な時間を割くものでは無い」
ヨハンは口早にそう言うと、踵を返し、さっさと孤児院の中へと戻って行った。
気まずい空気が流れ、ミゼンが申し訳なさそうに華を見つめた。
「あ……あはは、あいつ、相変わらず絶対零度男だね」
乾いた笑いを発した華の声を聞き、蒼壱は華が傷ついたのだと察した。
——あの野郎!! ぶん殴ってやる!!
「あ、アオイ!! ヒナ嬢の護衛だってのに、ヒナ嬢から離れたらダメだろう!? な!?」
フォルカーが慌ててフォローを入れると、「さぁ、ホラ。治療再開といこうぜ! さっさと終わらせて帰ろうな!」と言いながら、ヒナとアオイを促した。
「おい、ミゼン。余計な事したんだからお前がちゃんとしろよ!」
去り際にミゼンにそう言葉を投げてフォルカー達は去って行き、ミゼンは華に深々と頭を下げた。
「え!? み、ミゼン。どうしたの!?」
「僕が余計な事を言ったばかりに、すみません。華」
「王子様がそんな風に頭を下げたりなんかしたら駄目だよ! ヨハンが冷たいのはいつものことだし! 全然気にして無いから!」
そう言いながら、華の瞳からポロリと涙が零れ落ちた。
「あれ?」
「……華」
「へへ、私、何で泣いてるんだろ」
華はゴシゴシと乱暴に顔を擦り付けると、芝生の上にゴロリと寝そべった。
「あーあ、ヨハンじゃなく、ミゼンが私の婚約者だったらよかったのに」
華はそう言うと、大きなため息を吐いた。ミゼンは悲し気な瞳を華に向けると、ハンカチで優しく華の瞳を拭いた。
——僕もそうなら良かったのにと、どれほど思ったことか。
風が吹き、ミゼンの房のついたピアスがゆらりと揺れた。
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