第47話 久々の稽古
剣技大会の後、一週間程の間を空けて久しぶりに華と蒼壱は王宮へと赴いた。華は騎士アオイの服装で剣の稽古に。蒼壱はハンナの服装で王妃教育へと向かう為、廊下で手を振り別れた。
稽古場へと足を踏み入れた華を、相変わらず爽やかな様子で出迎えたヨハンは、剣の素振りをして流れ出た汗を拭き、ふぅと息をついた。
——一週間ぶりだから、ちょっと緊張するなぁ。っていうか、ヨハンはきっと怒ってるよね? 蒼壱がヒナを奪うような真似しちゃったから。
華はぎこちない動きで剣の素振りを始めながら、チラリとヨハンを見つめた。
剣の師であるモーリッツは騎士団の方へと顔を出している為、暫くはヨハンと二人きりでの自主練習となるだろう。
ヨハンの汗の様子を見る限り、随分と早くに来て一人で素振りをしていたようだ。華とお揃いの鹿の皮の手袋にまで汗が染みている。
「どうした、アオイ。あまりじっと見つめられてはやりづらい」
「あ! ご、ごめん……!」
パッと視線を外したものの、ヨハンはふっと笑って剣を下ろした。
「私に怒っているのだろう?」
——なんで? っていうか、怒ってるのはヨハンじゃないの?
と、華はキョトンとしながら、再びヨハンへと視線を向けた。ヨハンは気まずそうに唇をへの字に曲げた後、「すまぬ」と、小さく言って頭を下げた。
「そなたに何の相談も無しに、私は剣技大会の授賞式の後、ハンナ嬢との婚約を破棄するつもりでいたのだ。それなのに、そなたがヒナとの仲を見せつけたことに、何故何も言ってくれなかったのかと、一人腹を立てていた。自分勝手な私にそなたが怒るのも当然だと思う」
——真面目過ぎない?
華は面食らいながら、コホンと咳払いをした。
「怒ってないよ。ヨハンに何の相談もしなかったのは、私も悪いし……」
「しかし、考えてもみれば解ることだ。ヒナはランセル家に身を置いているのだから。稀代の英雄であるそなたと共に過ごせば、心が動くのも当然の事だろう」
——ヒナはヨハンの元に身を寄せていた期間もあったのに。
「ヨハンは、ヒナの事どう思ってるの?」
華はそう聞いた後、ハッとした。自分は今、騎士アオイの姿なのだ。ヒナをヨハンから奪っておきながら酷い質問をぶつけたことに気づき、今更ながらに青ざめた。
もしもヨハンがヒナに気があると答えたのなら、蒼壱は譲る選択を迫られ兼ねない。まだ正式に婚約をしたわけでも何でもないのだから。
ヨハンはプッと笑うと、「今更それを聞くか?」と、至極真っ当な言葉を洩らした。
「案ずるな。周りがどう思おうと、私にとってヒナは信用に足る相手であり、良き友だ」
「そ、そっか」
華はホッとしてため息を吐いた。チラリとヨハンを見つめ、次の質問をすべきかどうかを躊躇いながら、指先をそわそわと動かした。
「ヨハン。あの……」
「なんだ?」
ニコリと笑みを向けたヨハンに、華は躊躇って顔を真っ赤にした。
「その、えっと……」
——ハンナの事、ヨハンは本当に嫌いなの?
そう聞きたかったが、華の口からは言葉が続かなかった。もしもそうだと言われたのなら、やはり傷つくと思ったからだ。
頭の中でぐるぐると質問が形を変え、結果的に華の口からはやんわりとした質問が零れた。
「ヨハンは、ハンナのどういうところが嫌いなの?」
「……む?」
ヨハンは少し驚いて、顎に手を当てて考え込む素振りを見せた。暫く考えた後、「別に嫌いなところは思いつかぬ」とポツリと答えた。
「少しばかり苦手なだけだ。いや、だったと言うべきだろう。以前のハンナ嬢はやたらと私に付きまとっていたからな」
——悪役令嬢ハンナは、ヨハンのストーカーだったのかな……?
と、華は苦笑いを浮かべた。
この世界に来た最初のお茶会の様子を思い浮かべると、ハンナはヨハンの為にやり過ぎな程にゴテゴテと着飾り、鼻が曲がる程に強烈な香水をふりかけていた。
そんな女性に付きまとわれては、ヨハンが嫌がるのも無理は無い。あのお茶会でのヨハンの態度は、ひょっとしてハンナを遠ざける為のパフォーマンスだったのかもしれないと華は思った。
「嫌ってないのに婚約を破棄しようとしたのはどうして?」
「私を嫌っているのはハンナ嬢の方だからだ」
「へ!? どうして!?」
「彼女はミゼンと恋仲なのだろう? だから、私との婚約を破棄してやらねば不憫だと思った」
——ミゼンとはマブダチだよ!?
「しかし、タイミングを逃してしまったな。彼女にはもう少し我慢して貰わねばならぬ。私が誰か他の婚約者を探せば良いのだろうが、家格と年齢が釣り合う相手というものもそうそう居るものではない。他国の姫君を迎えるのが無難なのだろうが」
「ヨハンは恋愛しないの?」
華の問いかけにヨハンは困った様に片眉を下げ、頷いた。
「私は人を好きになったりなどしない。この先ずっとな。例え誰が私の伴侶となろうともだ」
——わぁ。流石氷の心を持った王子様……。
華は苦笑いを浮かべた。
ヨハンルートで、ヒナを溺愛する様子といったら、見てる方がむず痒くなるほどだというのに。
あんたは詩人かなんかですか? と言わんばかりの歯の浮く台詞を並び立て、ヒナを口説くシーンといったら、つい目を逸らし、誰もいるはずのない背後を確認してしまった程だ。
しかし、そんな氷の心を持つヨハンを、ヒナはどうやって解凍したのだろうか。
ゲームでは攻略対象の名声ポイントや、ヒナの王妃教育での成績。各種イベントでの好感度ポイントの加算が全てだったが、実際こうしてこの世界に入ってみれば、どうにもそれだけでは語り尽くせないものがある。
——ま、ヨハンルートにはしないんだからいいんだけど。
「そなたを羨ましく思う。そなたの周囲には、そなたを大切にする者が多く居る。そして、そなた自身、その者らを守るだけの力があるのだから」
まるで自分は無力だとでも言いたげなその言葉に、華は眉を寄せた。とはいえ、第一王子であるという彼の身分を思えば、公爵家の嫡男のアオイよりもずっと重責がのしかかり、それを理由に敵の数も圧倒的に多いだろうということは華にも分かった。
「私は、どんなことがあってもヨハンを護るし、側に居るよ」
——どんな強敵が来たとしても、私は負けない。ヨハンに守って貰う必要なんてない。私がヨハンを護ってあげるから。
ヨハンはふっと笑った。そしてエメラルドグリーンの瞳を細めて華を見つめた。
「そなたが女性であったのなら、私の伴侶として喜んで迎えただろう」
——!?
「ど、どういう意味!?」
「いや、怒るな。ハンナ嬢の弟であるそなたにこのような事を言うのは無礼であると重々承知している」
「怒ってなんかないけど、でも……私が女性だったら、ヨハンはどうだっていうの!?」
戸惑いながらも問いかけた華に、ヨハンはニコリと眩しい笑みを向けた。
「もしかしたら愛していたかもしれぬな」
カッと顔を赤らめた華の横でヨハンは肩を竦めると、「そうならぬから友で居られるのだが」とため息をついた。
「気味の悪い事を言ってすまなかった。さあ、稽古に集中しなければ師に怒鳴られるぞ」
ヨハンはそう言うと、素振りを再開した。
華は自分の心臓が、バクバクと破裂するのではという程に鼓動している事に気が付いた。
剣を握る手が震え、力が上手く入らない。今素振りをしたら、すっぽ抜けて飛んでいってしまいそうだ。
「み……水っ!!」
稽古場の壁に吊るしてある水袋を取り、華はガブガブと飲んだ。むせて咳込むと、ヨハンは「大丈夫か?」と困った様に眉を寄せた。
「案ずるな。私にそのような気はないぞ?」
「わ、わかってる!」
華は上ずった声を上げて答えた。
——わ、わかってるけど、でも私……一応女なんだけどっ!?
そう考えて、華は素振りを続けるヨハンをチラリと見つめた。
——もし、ヨハンに言ったらどうなるんだろう。実は蒼壱と時々入れ替わってたんだって話したら……。
ヨハンは、私を好きになってくれるの?
ドキドキと心臓が激しく鼓動する。
ヨハンの振る剣が空を切る音を聞いて、華は苦笑いを浮かべた。
——もしそんな事を話そうものなら、ランセル家は王宮出禁になるかも……。
王族を含めた貴族全てを騙しただけでなく、聖女を誑かし、ヨハンの心を踏みにじった極悪非道の不届き者だ。
華はゾッとして首を左右に振ると、ヨハンの隣に行き、自分も剣の素振りを開始した。
「そういえば、フォルカーはどうなったの? あの狂戦士がハリュンゼンの人だったって聞いたけれど」
「うむ。その件であやつは少々厄介な事になっていてな」
「厄介なこと?」
「アオイ! ヨハン!」
フォルカーが手を振り上げながら稽古場へと入って来て、ヨハンは「噂をすれば」と肩を竦めた。
「なんだ? 二人して俺の噂でもしていたのか? 人気者は辛いな」
「フォルカー、大丈夫なの?」
心配そうに見つめる華を見て、フォルカーはニッと笑った。
「何の事だと惚けたいところだが……」
チラリとフォルカーがヨハンに視線を向けると、ヨハンが頷いた。
「フォルカーは暫くの間、ヒルキアの監視下に置かれる事になった」
「どういうこと?」
小首を傾げた華に、フォルカーは「お家に帰しちゃくれねぇんだと」と言って肩を竦めた。ヨハンはコホンと咳払いをすると、説明を続けた。
「ハリュンゼンから文が届いていてな。その内容を見るに、どうやらフォルカーを大いに役立ててくれということらしい。ヒルキアを敵に回すよりは味方へと考えての事だろう」
「フォルカーそれって、家に帰してくれないというよりは、帰って来るなって言われてるようなものじゃない?」
華の突っ込みにフォルカーは苦笑いを浮かべ、「やっぱりそう思うか?」と、頭を掻いた。
「女王国家のハリュンゼンにとって、第一王子の俺の価値だなんて結局のところそんなモンだ。剣技大会での聖女様の情報がハリュンゼンにも届いたんだろう。つまり、俺なんか要らねぇからヒナをくれってこった」
華は改めて聖女という存在の大きさに驚いた。なるほど、流石ヒロインだと頷いていると、ヨハンが困った様に眉を下げた。
「アオイ、そなたの恋人をフォルカーが狙っているのだぞ? 不愉快ではないのか?」
「へ? 別に?」
「……フォルカー、そなた鼻にもかけられておらぬぞ?」
「ああ、色んな意味でショックだ」
華を気に入っているフォルカーにとっては、自分が誰を娶ろうとも気にもかけられないというのは、なかなかに傷つく話だ。
だからといって、わざとらしくヤキモチを妬かせようとするような子供染みた真似をしないところが、フォルカーの懐の広さなのだが、この状況では誰一人としてそこを理解する者はいない。
「で、だ。手始めに城下にある孤児院の視察に行く事になった。改めて宜しくな」
フォルカーが華に手を差し伸べたので、華はその手をとって握手をしながらも、小首を傾げた。
「宜しくって、どういうこと?」
「嬢ちゃ……いや、ハンナ嬢と聖女ヒナ嬢の護衛について、孤児院に同行するんだ。まあ、それは建前で、要するにハリュンゼンからの出資を期待してるんだろう」
——孤児院!?
華の脳裏に『孤児院イベントが発生しました』と可愛らしいフォントで表示されるゲーム画面が浮かんだ。
確か王妃教育の一環で、ヒロインのヒナと悪役令嬢のハンナが、孤児院の子供達からどれほど好かれるかでポイントを競うイベントだ。勝った方のキャラクターに、全攻略対象の好感度ポイントが加算される。
——なんか、よく考えるといたいけな子供達の心を弄ぶ酷いイベントだなぁ……。
「孤児院は貿易商を営んでいる関係上、ランセル家が出資している施設だろう。私もフォルカーの手綱を握る監視者として同行し、一度視察しておきたいが、良いか?」
ヨハンの言葉に、華はなぜフォルカーが華に『宜しく』と言ったのか、理由を察した。
つまり、全員揃って孤児院に行くということは、華と蒼壱二人が揃っているというわけで、その状態での入れ替わりは身バレの危険性が高い為NGだという警告だったのだ。
「あー……そっか。なるほどね。うん、分かった」
「孤児院の視察に僕も同行させてください」
稽古場にミゼンが入って来ると、いつもの愛嬌のある笑みを浮かべた。華は「ミゼン!!」と、嬉しそうに声を上げて、ミゼンの元へと駆け寄った。
「怪我の調子はどう?」
「おかげ様で、もう平気です」
「でも、あんまり無理したら駄目だよ」
「あれから一週間も経ちましたから、以前よりも元気なくらいですよ」
「ちょっと見せて」
華がミゼンの肩に手を当て、覗き込む様に首筋を見つめた。
「ちょっ! 傷痕も殆ど目立たないですし、大丈夫ですから!」
ミゼンが顔を赤らめながら慌てて言い、「そんなに嫌がらなくたっていいじゃない」と、華が頬を膨らませて反論した。
その様子をヨハンとフォルカーが不愉快に思いながら見つめた。
——アオイ、ハンナ嬢だけでなくそなたまで、いつの間にミゼンと仲良くなったのだ……? そういえば、剣技大会の控室でも妙に仲が良かったな。
——嬢ちゃん!! ミゼンとそんなにくっつくなっ!!
ミゼンはじとっとした二人の視線に気づき、コホンと咳払いをして華から離れた。
「嫌がっているわけでは決してありませんが……いえ、兎に角ですね、僕も孤児院の視察に同行するようにと、王后陛下から指示されまして」
剣技大会で王后に逆らって狂戦士と対戦した挙句、大怪我まで負ったのだ。暫くミゼンは王后に掛けられた首輪が、一層きつく締められた状態であるという事だろう。
「いいんじゃない? 皆で孤児院に行って子供達と遊びまくっちゃおう!」
——遊びに行くわけではないはず……。
華以外の全員がそう思ったが、華が楽しそうにガッツポーズをしているので、水を差す発言はしないでおいた。
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