第44話 剣技大会⑩ —発作—

 蒼壱はヒューと音が鳴る喉に苦しみながら、目の前に座っているヨハンを見つめた。


——こんな時に発作が起こるだなんて、最悪だ……。


 落ち着いてゆっくりと肺に酸素を取り込もうとするものの、呼吸がまるで細いストローで吸っているかのように、空気が入っていかない。


 フォルカーが棄権する事を知らされ、蒼壱とヨハンの二人は控室で決勝戦の準備が整うまで待たされていた。


「アオイ、大丈夫か? 顔色が悪いようだが」


蒼壱は声を発する事も辛く、首を僅かに左右に振るだけで応答した。


——畜生。ヨハンに勝ちさえすれば、『乙女の祈り』が手に入るってのに。

 そうしたら、俺の喘息の発作も起きなくなるはずだ。現実世界にも持って行きたいくらいの夢のアイテムなのに……。なんて不甲斐ないんだ。俺は一生、この身体に悩まされる運命だとでも言うつもりか?

 ゲームの世界だというのにこんなに辛いだなんて、理不尽にも程がある。


 コツコツと扉がノックされ、蒼壱はギクリとした。もう、決勝戦の準備が終わったのかと思ったからだ。

 しかし、そっと顔を出したのは審判ではなく、房のついたピアスをを下げたミゼンだった。


「ああ、アオイ。こちらに居たのですね」


 ニコリと愛嬌のある笑みを向けた後、ミゼンは何食わぬ顔で控室へと入って来た。ヨハンが眉を寄せ、不愉快そうにミゼンを睨みつける。


「何をしに来たのだ?」

「アオイにお茶を差し入れに来たんです」

「……ふむ」


 拒否する理由も思いつかず、ヨハンは黙ってミゼンの行動を見守るしか無かった。ミゼンは蒼壱の側まで来ると、「おっと!」と、足を滑らせて、手に持っていたお茶を蒼壱に掛けた。

 驚いてヨハンが声を上げる。


「そなた、何をしている!!」

「ああ、すみません、アオイ! 早く着替えなければなりませんね!!」


 お茶を掛けられた蒼壱は妙に思った。ちっとも熱くなかったからだ。まるで予めぬるいものを用意していたかのようだ。

 しかし、あまりの体調の悪さに、ミゼンを咎める気力すら無く、黙って俯いた。


「おい!! ミゼン、そなた一体どういうつもりだ!?」

「兄上もアオイの着替えを手伝ってください!!」

「……手伝う、とは?」


 ヨハンはピタリと動きを止めた。

——私に、アオイの服を脱がせろとでも言いたいのか!?

 思わず赤面したヨハンは、何故自分が赤面したのか意味が分からず、頬を掻いた。


「それならば私は試合の開始を少し待つ様に、審判に伝えて来よう」

「ああ、それはいいですね。助かります」


ヨハンが控室の扉から出て行くと、ミゼンはパッと駆けて窓を開けた。


「華! 兄上が闘技場の方へ向かいました!」

「ありがと、ミゼン! さっすが~!」


ひょいと窓に足を掛けて華が控室内へと入り込むと、発作で呼吸困難になっている蒼壱を見て、「フォルカー!」と、窓の外へと声を掛けた。


「あいよ、お嬢さん」

「蒼壱を運んで。身体をできるだけ横向きにしてね。その方が呼吸が楽だから」

「……華……何を……」


息苦しそうに声を発した蒼壱に、華は「大丈夫」と、言って優しく背を撫でた。


◇◇


——フォルカーと闘技場へと向かう途中、ミゼンが慌てた様子で華の元へと駆けて来た。


「ミゼン! どこに居たの? 怪我はもう平気なの!?」

「華、そんなことよりもアオイの様子が妙です。決勝の準備前にチラリと見た感じですと、かなり息苦しそうで」

「蒼壱が!? わかった。知らせてくれてありがとう、ミゼン。すぐ行く! ねぇ、フォルカー。お願いなんだけれど」


 華は念のため騎士の服を持って来ていたのだ。フォルカーに蒼壱との交代に協力してくれるように頼みこんだ。


「気が進まねぇが……」


 華が怪我でもしたらと心配するフォルカーを、じっと見つめ、華は両手を握り締めた。


「お願い、フォルカー。あんたの言う事、何でも一つ聞くから!」

「……なんでも?」

「うん! 何でも!! あ、あんまりお金かからないやつにして欲しいかもだけど……」


——何でも……?

 と、考えて、フォルカーは慌てて首を左右に振った。


「いやいやいや、嬢ちゃんが怪我するのはやっぱり容認できねぇって!」

「ヨハン相手に怪我なんかしないよ?」


ケロリとして言う華に、フォルカーは(確かに)と考えた。

 ヨハンは生真面目でお堅い性分だ。対戦相手に怪我を負わせる様な真似はしないだろう。例え誰が相手であろうとも、だ。


「よ、よし! 協力する!」

「そうこなくっちゃ!」


パチン!! と、華とフォルカーは手を打ち合い、こうして蒼壱の救出作戦へと乗り出したのだ。


◇◇


「ヨハンが帰って来る前に急がないと!」


 華に急かされて、フォルカーは大急ぎで控室の中へと入ると、軽々と蒼壱を担ぎ上げた。


「じゃあ、嬢ちゃん。頑張ってな! ヨハンに絶対勝つんだぜ?」

「任せて!!」


華はガッツポーズを出してフォルカーと蒼壱を見送ると、早速着替えを始めた。


「華!?」


 ミゼンが大慌てで顔を背け、赤らめたが、華はお構いなしで着替えを進めた。


「あの……僕は同性愛者ではないとお伝えしたはずですが……」

「うん? 知ってるよ?」


パサリ、と、華がドレスを脱ぎ捨てる音に、ミゼンはあわあわとした。


「僕が控室の外に出てから着替えをしてください!」

「大丈夫。下着着てるから」

「そういう問題ですか!?」

「だって、一人じゃ脱げないもの」

「僕に手伝わせる気ですか!?」


 華自身は、よく運動部の大会で、まともに着替え場所の無い会場であることも多かった為、人前で着替えをする事にさほど抵抗が無かった。

 しかもこの世界の服装は下着といえど、あれこれ重ねて着るものである為、現実世界で言えばキャミソール一枚の方がずっと薄着である程だ。


「それよりさ、ミゼンはホントに怪我大丈夫なの?」

「それよりって……ええ、血を大量に失いましたから、頭痛が多少ある程度ですよ」

「そっか。良かった。すっごく心配したんだから。あ、ミゼンちょっとコレ外すの手伝って」


 背中で編み上げになっているコルセットを指さして、華が言った。ミゼンはため息をつくと、渋々華の後ろへと行き、するするとコルセットの紐を解いた。

 山羊皮製の固いコルセットから解放されて、華はフゥと息を吐いた。

 ミゼンは苦笑いを顔に浮かべ、固いコルセットを見つめた。


「入れ替わっている時は、アオイもこれを着用しているんですよね?」

「うん。アオイの方が私よりもずっと女性らしくて似合ってるよね」


——アオイ、同情します。

 と、ミゼンは頬をひくつかせた。


「もう! 男も女も着る物多すぎっ!」


 華は悪態をつきながら次々と男物の服を着こんでいった。シャツのリボンを結び、股引きを穿き、その上にパンツを穿き、ブーツを履く。どれもこれも紐で括りつける為、兎に角面倒だ。

 シャツの上に鎧下を着て詰襟を着込むと、甲冑のベルトをつけ、バサリとコートを羽織った。


「準備完了!」

「華、大事な剣を忘れてますが」

「わ! 商売道具っ!」


華が大慌てでミゼンから剣を受け取ろうとすると、足元に脱ぎ捨てた衣類に足が取られ、ドシャッ!! と、倒れ込んだ。


 コツコツと扉がノックされ、絶妙なタイミングでヨハンが顔を出す。


「アオイ、着替えは終え……!?」


 ヨハンの言葉の語尾が上がった。明らかに動揺している。

 それもそのはず、騎士アオイの姿へと着替えを終え、足を滑らせた華がミゼンを押し倒し、覆いかぶさる形で床に倒れているのだから。


「いたたたた、ごめん。ミゼン」

「そ、そなたら!! 一体何をしているのだ!?」


ヨハンが指さしながら素っ頓狂な声を上げ、華は小首を傾げた。


「何って、着替え……わっ!!」


華の下敷きになり、ミゼンが倒れた衝撃で頭を打ち、貧血も相成って白目を剥いている。


「救急車!!」

「きゅうきゅう……? なんだ?」

「いや、ええと、医療班を呼ばなきゃっ!!」

「だから、そなたらは一体何をしていたのだ!?」

「私が乗ったらミゼンが気絶したっ!!」

「何故乗った!?」

「つい!」

「つい!?」

「とにかく、呼んで来るっ!! ヨハン、ちょっと待ってて!!」


——だから、そなたらは一体……。

 と、ヨハンは頭の中で繰り返しながら、大慌てで医療班を呼びに行く華の背中を呆然としながら見送った。

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