第43話 剣技大会⑨ —噂と嫌疑—

 仕切り直しとなった剣技大会三日目は、空模様が怪しげだった。どんよりと曇り、時折雨粒が零れ落ちる中、試合が開始された。


 蒼壱はその日の初戦となる大会四回戦目で、予選から勝ち抜いた騎士との対戦を予定していた。それに勝利をしたのなら、五回戦目でミゼンとの対戦を予定していたが、蒼壱の予想通り、三回戦目でのミゼンの重症に万全を期して、棄権きけんとなった。


——つまり、と、蒼壱は目の前に立つ騎士を見つめた。

 この男に勝てば、次はフォルカーとの対戦になるってわけなんだけど……。


 蒼壱の目の前に立つその騎士は、筋肉粒々の大男だった。恐らく体重は蒼壱の倍は優に超えることだろう。手に持つ剣もツヴァイヘンダーという巨大な両手剣で、あんなものを受けたのなら骨が折れるどころの騒ぎではない。

 ふしゅるるるるーと、荒い鼻息を洩らし、男は顔を真っ赤にしながら怒鳴りつける様に声を発した。


「稀代の英雄アオイ殿の胸を借りる事が出来、有難き幸せ!!」


——筋肉だるまが何か言ってる……。

 蒼壱は乾いた笑いを洩らした。


◇◇


 蒼壱と大男の対戦は一瞬のうちに勝敗がついた。巨大な両手剣を振り下ろした相手から軽々と避けた蒼壱は、相手を挑発して隙を作った。そこへ足払いを掛け、つんのめったところに体当たりをし、倒れ込んだ男に剣先をつきつけて、審判が「それまで!」と止めた。


 連戦となる蒼壱に休憩をさせる為、大会は一時中断となり、観客達も各々休憩を取った。とはいえ、次は隣国ハリュンゼンの第一王子と稀代の英雄との対戦だ。席に残り、今か今かと期待しながら待ち続ける観客達が大多数を占めていた。


 華はミゼンの様子が気になり、チラチラと王族用の席を見つめたが、彼は観覧席には姿を現さなかった。


——蒼壱の次の対戦まで時間があるし、ミゼンをちょっと探して来ようかな。


 席を立ち、華は階段を下りた。

 もしかしたら貴賓用の休憩室か、図書室に居るのかもしれないと思いながら廊下を歩くと、貴族達が華を見てひそひそと噂話を洩らした。


「あれは、ランセル公爵のご息女では?」

「ミゼン第二王子殿下をお探しなのかしら」

「ヨハン第一王子殿下の婚約者であるはずなのに」

「ご自分の弟君の対戦が気にならないのでしょうか」

「稀代の英雄アオイ・ランセル卿の姉君だと言うのに」

「昨日のあの様子はどう見ても第二王子殿下を」

「ええ、どう見ても……」


『ハンナ嬢は、ミゼン第二王子殿下と恋仲の様だ』


 華は、ぎゅっと唇を噛みしめた。


——噂なんか、気にしない。言いたい人には言わせておけばいいんだし!


 廊下に敷かれた赤いカーペットの上を堂々と胸を張って歩きながら、華はミゼンを探した。しかし、思い当たる場所にその姿は無く、しょんぼりと俯いた。


 貴族達の噂話は何処へ行っても聞こえてくる。

 華は改めて昨日の行動が軽はずみであったと考えたが、しかし自分は間違ったことなどしていないと思い直した。


——どうせ、授賞式が終わったら、ヨハンが正式にハンナとの婚約破棄を公表するんだもん。


 そう考えて、華はハッとした。


——もし、蒼壱が私と入れ替わる事をせず、このまま騎士アオイとして剣の稽古にも参加するって言いだしたら、私、ヨハンともう逢えなくなっちゃうんだ……。


 ハンナがヨハンと婚約破棄をすれば、王妃教育で王宮に行く必要も無い。つまり華はミゼンやフォルカーとも顔を合わせられなくなるのだ。


——悪役令嬢って、なんてつまんない役柄なの!? それって、後は邸宅でボケっとして、蒼壱とヒナがいちゃつくのを見てろっていうの!?


「そんなの嫌っ!!」


 華は両手を振り上げて絶叫した。


「おっと! あぶね!」


華が振り上げた手をかわして、フォルカーが苦笑いを浮かべた。


「嬢ちゃん、何いきり立ってんだ?」

「フォルカー。あれ? あんたこそ、蒼壱の次の対戦相手なのに、こんなところで何してるの?」


フォルカーはぐっと唇をへの字に曲げると、言いづらそうに頭を掻いた。


「あー……俺ぁ、次の対戦には出場しねぇ」

「……は!?」


フォルカーはコホン、と咳払いをした。周囲に居る貴族達が二人の会話に聞き耳を立てている様子が見て取れた。華も察して、場所を移そうと歩を進めた。


 王宮の中庭へと移動し、噴水の縁に腰かけると、フォルカーは悔し気にため息を吐いた。


「昨日、ミゼンを殺しかけた狂戦士がな、ハリュンゼンの出身だって事が分かったんだ」

「え!?」


素っ頓狂な声を上げた華に、フォルカーは「しっ!」と、慌てて華の口を塞いだ。


「勿論、俺は知ったこっちゃねーし、同盟国のヒルキアにそんなバカげた刺客を送ったところで、ハリュンゼンに何のメリットもねぇわけだが。……嬢ちゃんなら信じてくれるだろ? 俺ぁ潔白だ!」

「当然だよ! フォルカーはマブダチだもんっ!!」


乙女ゲームの攻略対象として、フォルカールートの攻略も終えたわけだが、ストーリー上で彼はどこまでもお人好しで、兄貴肌のキャラクターだった。とてもではないがヨハンの暗殺を企てるような性分とは思えない。

 華の反応にフォルカーはホッとした様に笑みを向けると、「信じてくれてサンキュー」と言った。


「で、だ。俺とヒルキアの第一王子であるヨハンとは昔から親友同士だからな。ハリュンゼンがヨハンの王位を後押しして、ヨハンの王位継承に邪魔な存在となる第二王子のミゼンを、刺客を送って消そうと仕向けたんだと思われてるってワケだ」

「……ありえない」

「だろ?」


フォルカーは肩を竦めた後、わしゃわしゃと頭を掻いた。


「ま、そんなワケで、俺は剣技大会への出場を辞退せざるをえなくなったってワケだ」


華は不服そうにむぅっと唇を尖らせた。


「フォルカーは全然悪く無いのに、酷い」

「まあ、それだけ昨日のあれはヤバかったってことだけどな。ミゼンが助かってホント良かったぜ。聖女様々だ」

「ほんと、ヒナには感謝してもしきれない。あとでもう一回お礼を言っておかなきゃ」

「剣技大会が終わった後、恐らく彼女にはなんらかの褒美があるだろうが、個人的にも世話になったしな」


フォルカーは華の額の傷の事を言っているのだろうとすぐに気づいたが、華は何も言わずに頷いた。

 あの時よりもヒナの神聖魔法は強くなったような気がする。ミゼンの首筋の傷は完璧に癒えていたからだ。


「ミゼンはどうしてるの? 姿が見えなくて心配になって探してたの」

「王后陛下に首輪つけられて、幽閉でもされてるんじゃねーか?」


 華はフト、本当にミゼンの首に鎖がかけられ、王后が『女王様とお呼び!』と叫びながら鞭を打つ姿を思い浮かべ、慌てて首を左右に振った。


「しゃれになんないって! 似合い過ぎてっ!」

「似合うって……嬢ちゃん、どういう想像してんだ!?」


——いや、だって、ミゼンの色気はどうしても危ない方に考えたくなるんだもん……。

 華はテヘヘと笑うと、頬を掻いた。


「あれ? でも、待って? フォルカーは無実だってのは分かるけど、ひょっとしてホントにミゼンって狙われてたんじゃない? だって、試合終了後にどう見ても殺す気で短剣を投げていたように見えたもの……」


 華の発言に、フォルカーは眉を寄せ、俯いた。その様子を訝し気に見つめて、華はハッとした。


——そうじゃない……。

 ミゼンじゃなく、蒼壱があの狂戦士と対戦することになりそうだったんだ。それをミゼンが強引に自分が戦うと言って……。


「後でわかった事だが、あの狂戦士には対戦相手を殺すように催眠魔法がかけられてたんだ」

「え……!!」


慌てて立ち上がろうとした華は、足を滑らせて転びそうになった。フォルカーがパッと支えると、「大丈夫か?」と、宥めた。


「落ち着けと言ったところで落ち着けるはずもねぇが、とりあえず深呼吸して座ってくれ」

「う、うん。わかった」


華は言われた通り深呼吸をすると、座り直した。


「で、だ。嬢ちゃんに聞きてぇのは、嬢ちゃんとアオイが入れ替わってるのを知ってるのは、俺の他に誰が居るかって事だ」

「公爵……お父さんは気づいていると思う。それと、ミゼンも知ってるけど……」

「他に心当たりは?」

「わかんない。もしかしたら気づく人は気づいてるのかもしれないけど。でも、どうしてそんなこと聞くの?」

「念のためだ。嬢ちゃんを狙ったって可能性だってあるんだからな」

「どうして!?」


フォルカーは僅かに躊躇った後、言いづらそうに口を開いた。


「——ヨハンの伴侶に、聖女のヒナをって声が上がってるのは、嬢ちゃんも知ってるだろ?」

「でも!! それは今日、ヨハンがハンナとの婚約を破棄するのにっ!!」


 ハンナが死ねば、ヨハンの伴侶は自ずと聖女であるヒナに決まる事だろう。アオイとハンナが入れ替わっている事を知る何者かがいるとすれば、それを狙った可能性もあるということだ。

 恐怖で震える華の肩を優しく引き寄せると、フォルカーは頷いた。


「だから、剣技大会が終わるまで、俺が嬢ちゃんを守る」


華は震える手でぎゅっとフォルカーの服を掴んだ。


「わ、分かった。いつも頼ってゴメン」

「いや、これくらいしかできなくて悪い」


フォルカーは悔し気にそう言うと、ぐっと拳を握り締めた。


「とにかく、俺には嫌疑がかけられてる。出場権は剥奪されたし、この大会が終わったら、ハリュンゼンに戻って協議が必要だろう。俺一人の問題じゃ無くなりそうだからな」


——フォルカーが居なくなる……?

 華は一気に不安が押し寄せた。眉を寄せ、懇願するようにフォルカーを見つめた。


「帰っちゃ嫌だ!」

「おっと……」


潤んだ瞳で華に見つめられ、フォルカーは困った様に苦笑いを浮かべた。

——それなら、俺の嫁としてハリュンゼンに来いよ。

 と、言いたい言葉をぐっと飲み込み、華の頭を優しく撫でた。


「まあ、色々と取り調べがあるだろうから、そうそう直ぐには帰れやしねぇさ。暫くは俺もミゼン同様、首輪をつけられるだろうな」

「首輪?」

「ああ」

「……言う事利かなそう」


フォルカーはブハッ! と笑うと、「そりゃあ、簡単に利く気はねぇが」と言って、溜息を吐いた。


「ヨハンの奴も動いてくれるだろうから、さほど大事にならねぇと期待してるんだがな。ぶっとい首輪でも、鎖はめちゃくちゃ長いやつにしてくれたらいいんだが」

「伸びるやつとか?」

「だな!」


 闘技場からワァっと歓声が上がった。華はハッとして振り向いて、フォルカーは立ち上がった。


「そろそろアオイとヨハンの対戦が始まるんだろう。国賓席で一緒に見るか?」

「うん!」


 フォルカーが差し伸べた手に華が乗せると、ニコリと微笑んだ。


「それじゃ、エスコートするぜ。ハンナ嬢」


 二人は笑い合うと、闘技場へと向かった。

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