第42話 剣技大会⑧ —休戦—
「あーおーい——っ!! 一体どういう事!?」
邸宅の自室に戻るなり、華が凄んだ顔を向けて言った。蒼壱は頬をヒクつかせながらツっと目を逸らした。
「なんで蒼壱が出場してるの!? 喘息の発作が起こったらどうする気なの!?」
「大丈夫だったからいいじゃないか」
「大丈夫じゃなかったらどうする気なの!? 無謀過ぎるってっ!!」
——無謀とか、華に一番言われたくない言葉だな。
と蒼壱は考えて、華へと視線を向けた。
「それに、一体いつの間にあんなに強くなったの? びっくりしたんだけど!」
「ああ、それなんだけど」
蒼壱は華を宥めてソファへと座る様に促すと、自分も椅子へと掛けた。
「どうもキャラ補正があるみたいなんだ」
「キャラ補正!?」
素っ頓狂な声を上げた華に、蒼壱は頷いた。
「つまりさ、俺が騎士アオイの恰好をすれば、アオイのキャラとしてのステータス補正が入るみたいなんだ。勿論、華がアオイになれば華にもね」
「それって、私がハンナになってると、魔物と戦っても弱いってこと?」
「いや、どうだろう……華は元々強いから、補正が入らなくても弱くは無いんじゃないかな? 補正が入る事で更に強くなるってだけで」
「うーん……」
——そういえば、ハンナの恰好で剣を握った時、いつもより重く感じた気がする。
と華は考えて、なるほどと頷いた。
「確かに。私、馬なんか乗った事無いのに上手に乗れたし、弓道部で動く的を射ったことなんかないのに、百発百中だった。フェンシング部や剣道部の助っ人したって、あんなに重い剣を振り回した事なんか無いもんね」
「いくらスポーツ万能だって言っても、妙だと思ったんだ。魔物と渡り合えるなんてね。で、今回俺が騎士アオイとして剣技大会に出場することで、その仮説が立証できたってワケ」
考えてもみれば尤もだと華も納得した。何の訓練も受けていない普通の女子高生が、武器を片手に他の騎士達と一緒になって戦えるはずがない。騎士達は今まで長い間訓練を積み重ねて来たはずなのだから。
その上『稀代の英雄』だなどといわれるのだから、ただ事ではない。
ヒロインが神聖魔法を使えるという事が、既にキャラ補正だということだろう。この世界に於いてのヒナという役割がそうさせているのだから。恐らく蒼壱はそこでキャラ補正があるということに気づいたのだろう。
「じゃあ、アオイのキャラ補正はともかく、ハンナのキャラ補正ってどうなるの? 何かいい事あるの?」
悪役令嬢のキャラ補正……? と、二人は考えて、首を捻った。
「意地悪が上手?」
蒼壱の発言に華は涙目になって「嬉しくない!!」と、言った。
「他に何か役立つの無いの!?」
「高笑い?」
「もっと要らない!!」
呆れた様に声を放つ華に、蒼壱は笑いながら「気品」と追い打ちをかけた。
「……私、キャラ補正されても気品が無いって、どういうこと?」
「初期値がマイナスなんじゃない?」
「は!?」
「ほんと、観覧席から飛び降りるお嬢様なんて初めて見たよ。公爵が目をひん剥いてたけど」
「あれはとにかく必死だったの!! だって、ミゼンが……」
華は言いかけて口を噤んだ。
ミゼンと狂戦士との対戦終了後の記憶が脳裏にまざまざと蘇る。
首筋から流れ出る血液が華のドレスを朱に染め、それでも華は出血を最小限に食い止めようと必死になってミゼンの首筋を手で押さえ続けた。
顔色がどんどん青ざめていくというのに、彼は華を見つめてニコリと微笑んだ。
「笑ってる場合じゃないよ、ミゼン……」
「——華が、僕の心配をしてくれているのが嬉しくて」
「喜んでる場合じゃないってば……!」
——やだやだやだ。お願い、止まって。ミゼンから命を奪わないで……!!
華の両手が震え、必死になってミゼンの首筋を押えているものの、彼にも恐らくその振動が伝わっているだろうと思えた。
——ミゼンのバカ! 蒼壱のバカ!! 私に任せておけばよかったのに!! 死んだとしても、コンティニューがあるんだからっ!!
「ハンナ!!」
ヒナが大急ぎで駆け付けると、両手をミゼンの首筋へと翳した。パッと光が発せられ、余りの眩さに華は瞳を閉じた。
——手が熱い……。
ヒナの手は華に触れていないのに、まるで優しく包み込まれているような温もりを感じる。
周囲がざわめき、皆口々に「聖女様」と声を上げた。目の前で繰り広げられている奇跡を、固唾をのんで見守る。
まるで今この瞬間が、凱旋パレードでの聖女の奇跡が発動されなかった分を取り戻すかの様だった。
「ヒナ、お願い。ミゼンを助けて……お願い……」
華の声は震えていた。いつの間にか涙が零れ落ち、鼻がじんじんと染みた。
——例えミゼンがゲームの中のキャラクターなのだとしても、死んだりなんかしたら絶対に嫌!!
「ハンナ。きっともう大丈夫」
ヒナが優しく華の肩に触れた。
華は瞳を開け、恐る恐る傷口を押えていた手を放した。血が止まり、すっかりと傷口も塞がっていた。
「ありがとう、ヒナ……」
華は涙目になりながらお礼を言った。ヒナは首を左右に振ると、「これでいいはずだけど…」と、不安げに眉を寄せた。
「ミゼン? ねぇ、大丈夫……?」
華がミゼンの頬に触れると、ミゼンは「絶好調ですよ」といつもの愛嬌のある笑みを向け、周囲がワッと沸いた。
第二王子を救った聖女ヒナの奇跡を絶賛する声が、剣技大会の会場全体で沸き起こる。
「全く、心配させないでよね。よそ見なんかするから不意を突かれたんだよ!?」
狂戦士との試合終了後、ミゼンは観覧席の華を見上げていたのだ。ニコリと微笑み、『貴方に捧げる為に勝利を手にした』と手を振り上げた時、首筋を短剣が貫いた。
「真っ先に貴方の顔が見たかったので」
会場中がヒナを称賛する声で騒がしく、ミゼンは眉を寄せた。
——折角、華が僕を見つめているというのに、雑音が酷すぎる。
「まだ痛い?」
心配そうに見つめる華に、ミゼンは「いいえ」と答えた。
——華の両腕に抱かれて、今は最高な気分です……。
「よぉ、ミゼン。お前結構やるじゃねぇか。見直したぜ?」
フォルカーがニッと笑いながら覗き込み、ミゼンはツっと目を逸らした。
——貴方の顔なんか見たくありません。
「一人で立てるか? 無理だよな? おーい、医療班! 担架を持って来てくれ!」
フォルカーが手を振って叫び、医療班が担架を持って来ると、ミゼンは「止めてください」と手で振り払った。
「僕をそんなものに乗せないでください!」
「ミゼン、恥ずかしがってる場合じゃないよ」
華がミゼンに担架に乗る様に促し、ミゼンは全力で拒否した。
「大丈夫ですから。ヒナさんのおかげで傷は治りましたし!」
起き上がろうとしたミゼンがふらりとよろめいたので、華が慌てて支えた。どうやら傷自体は完全に塞がったが、血が足りないが故にふらついているようだ。
「ほら、ふらふらじゃない!」
「少し休めば平気ですから」
そう言って、ミゼンはさっと額に手を当てた。貧血による激しい頭痛に襲われたのだろう。
「とりあえず担架に乗ったらどう? 貧血なのに頭を高くすると気絶しちゃう……」
「自分で歩けますから!」
——そんなに担架に乗るのが嫌なの!? なんで!?
結局ミゼンは意地でも担架に乗らず、ふらつきながらも自力で歩こうとする彼を見かねたフォルカーと蒼壱が支え、控室へと連れて行った。
「……ねぇ、なんでミゼンはあんなに担架を拒んだの?」
華の質問に蒼壱は苦笑いを浮かべた。
「さあ? 単純に恥ずかしかっただけじゃないかな」
「なんで!? 恥ずかしいとかいう問題じゃなくない!?」
食い下がる華に、蒼壱はため息をつくと、「王后のところに運ばれたくなかったんだよ」と、肩を竦めながら言った。
「自分の自由が利かない状態で王后のところに連れていかれた上、ガミガミキーキーヒステリックに怒られたんじゃ堪らないもん。俺だって嫌だ」
「……それは、確かに私も嫌だ」
苦笑いを浮かべてそう言った華に「だろ?」と、蒼壱は言うと、溜息を吐いた。
「ミゼンはあの後、フォルカーに送られてこっそり自室に戻ったけど、明日は棄権せざるを得ないだろうね」
王后がただじゃおかないはずだから。と、蒼壱は苦笑いを浮かべながら付け加えた。
第二王子の負傷騒ぎで、今日の本戦は見送りとなり、明日続きを開催される事となったのだ。他国の国賓も招いての開催であるからか、それともゲームのストーリー上の問題だからなのか、『中止』という選択は無いようだ。
「とにかく、明日も俺が出るよ」
「駄目!! ……と、言いたいところだけど、公爵は多分、私達が入れ替わってた事、気づいてるみたい」
「……やっぱり?」
華は頷くと、がっくりと項垂れた。
「本戦は選手意外が控室に立ち入る事は禁止だって、釘を刺されちゃった。蒼壱がハンナの恰好でフォルカーと剣の稽古をしてるのも、知ってたよ」
蒼壱は華の言葉を聞いてゾッとした。
——ヨハンにも華にも、バレないように隠れて稽古してたのに……公爵、怖っ!!
「公爵から、明日は一緒に会場へ向かおうって笑顔で言われたし」
「それ、絶対入れ替わったら赦さないっていう牽制じゃないか……」
華は心配そうに身を乗り出すと、蒼壱を見つめた。
「ねぇ、ホントに大丈夫なの? 発作が起きたら入れ替われる様にしておいた方がいいんじゃない?」
「いや、大丈夫さ」
「でも……」
「絶対大丈夫。偶には俺を信じてよ」
蒼壱は頑なに華と入れ替わる事を拒否した。これ以上華に頼るわけにはいかないという理由もあったが、蒼壱には別の作戦があったからだ。
それは、蒼壱にしかできないことであり、今はまだ華にも話せない為、口を噤むしかない。
華は煮え切らない様子で唇を尖らせて、ソファの背もたれにポスンと寄りかかった。
どうにか納得させないことには、華は無茶な行動をとるに違いないと蒼壱は察すると、コホンと咳払いをした。
「ヒナに良いところ見せたいんだよ。頼むよ、華。俺だって男なんだ。好きな子を騙す様な真似はしたくない。華に代わって貰った俺じゃなく、自分で掴んだ勝利で、堂々と彼女から優勝賞品を授与したいんだよ。わかるだろう?」
——不本意だ。
と、蒼壱は考えていた。
俺が好きになったのは、あくまでも現実世界の『
それでも華は納得したのか、「わかった」と頷いて微笑んだので、蒼壱はホッとした。
「でも、辛くなったら言ってね? 約束!」
華が差し出した小指に、蒼壱も自分の小指を絡めると、きゅっと結んだ。
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