第45話 剣技大会⑪ —ヨハン—

 華は準備運動をしながら、チラリとヨハンに視線を向けた。彼は瞳を閉じ、祈る様に胸に手を当てており、その姿が嫌に神々しく見えて視線を反らした。


 どんよりと曇った鉛色の空からポツリポツリと雨粒が零れ落ちてきた。

 試合が昨日で終わっていれば、雨に当たることも無かったのにと考えて、それはそれで蒼壱に無理をさせることになっただろうと思った。


 審判に促されて、華とヨハンは闘技場の上へと昇った。観覧席からワッと喚声が上がり、二人を応援する声で騒がしい程に包まれた。


 圧倒される華に、ヨハンは「大丈夫か?」と、ニコリと笑みを向けて言った。金色の髪がサラリと揺れる。


「対戦相手を気に掛けるなんて、随分余裕じゃない。絶対に負けないんだから!」


華も負けじとニコリと笑ったが、緊張で顔が引きつって明らかに人相の悪い不適な笑みとなった。


 二人は一礼をすると、剣を構えた。

 緊張を消し去ろうと、ぎゅっと強く剣の柄を握り締めた後、剣の師であるモーリッツから注意を受けたことを思い出し、握りを変えた。


『ハンマーグリップでは剣のコントロールがままならぬぞ! 基本はハンドシェイクグリップじゃ!』


 剣道でもそうだった、と、華は考えて、すぅっと深呼吸をした。

 しかし、明らかに剣道とは違う。持っている武器は鉄製だし、頭を守る防具を装備していない。その上体術も混ぜての対戦になるのだから。体重が軽い華は摑まれたら一巻の終わりだ。

 稽古をしている最中も、ヨハンの剣の腕と体術には隙が無い。勝てる見込は五分五分だろう。


——それでも、負ける訳にはいかない。蒼壱の為にも……!


 ドキドキと強く鼓動する心臓を大人しくさせる前に、審判が号令を出した。



◇◇◇◇



「蒼壱。大丈夫?」


 華が蒼壱を覗き込み、声を掛けた。

 蒼壱はフォルカーの手により、ヒナが匿われていたヨハンの執務室の側の部屋へと運び込まれ、ベッドに安静に寝かされていた。確かにここならば試合中誰かが訪れる事は無いだろう。流石フォルカー、機転が利く男だ。


「発作は治まったみたいだね。良かった」


ホッとした様にため息を吐く華に、蒼壱は不満そうに口をへの字に曲げたまま頷いた。


「ねぇ、怒らないでよ。発作が出ちゃったんだもん、仕方ないでしょ?」

「怒ってるんじゃないよ。不甲斐ない自分に自己嫌悪してただけ」

「蒼壱に責任無いし! ねぇ、それより……」


 華は申し訳なさそうに、豪華な刺繍が施された服を蒼壱に手渡した。


「これに着替えて、授賞式に出てくれる?」


蒼壱はパッと顔を明るくし、華を見つめた。


「それ、剣技大会の大会優勝者が着る服じゃないか! ってことは、ヨハンに勝ったの?」

「うん……」


 華は浮かない顔をしながら頷いた。


◇◇


 ——ヨハンとの対戦を思い出す。


 ヨハンが振り下ろした剣をハッとした様に慌てて剣で受けた華は、力で支えきることができず、身を捻って受け流した。再び打って来る攻撃を後方へ飛んで躱し、華も負けじと避けながら剣を振ったが、その剣先をヨハンは紙一重で躱した。

 素早くステップを踏んで間合いを詰めるヨハンから、華は逃げる様に後方へと下がった。


 観覧席から野次が飛ぶ。『稀代の英雄が王子殿下との対戦は恐れ多く逃げ腰』だ、と。


「どうしたアオイ。遠慮はいらぬぞ」


——ムカッ! 遠慮してるわけじゃないしっ!! あんたは何気に剛腕なんだって、自分で分かんないの!?


 ポツリポツリと降っていた雨が、段々と強まっていく。


 華は床を蹴り、突きを繰り出した。カツン! と、ヨハンに剣先を逸らされて、ステップを踏み、次は上方から振り下ろした。

 金属音が激しく鳴り響き、華の手がびりびりと振動した。華が上方から振り下ろした剣を、ヨハンが受け止めたのだ。

 競り合いでは勝てない、と、華は素早く後方へと一歩下がったが、逃げる様に見せかけて、今度は横から剣をスイングさせた。

 ヨハンは不意を突かれ、その剣を胴に受けたが、剣先が僅かに掠る程度であった為ダメージには至らなかった。


「鎧着てなかったら、怪我してたよ? ヨハン」

「踏み込みが甘いぞアオイ。手を抜いているのか?」

「まさか。これからだよ」


 ふっと笑うと、髪から雨粒が滴り落ちて、華の目に入った。タイミング悪くヨハンが攻撃を仕掛け、華は反応が遅れた。くるりと身を捻ってなんとか攻撃を躱した時、ヨハンは華の肩を掴み、床へと押し倒した。


「きゃあ!!」


 悲鳴を上げた華にヨハンは一瞬躊躇し、剣を止めた。


——なんだ? まるで、女性の様な……。


 ヨハンが躊躇している間に、華は剣を振り、ヨハンの首元でピタリと止めた。


 審判が「それまで!!」と、声を上げ、会場内がワッと大歓声に包まれた。


 皆口々に『稀代の英雄、アオイ・ランセル卿!!』と叫んだが、華は気まずい思いでヨハンを見つめた。


——絶対今、躊躇したよね……? 私がハンナだって、バレた……?


 不安気に見上げる華にヨハンはニコリと微笑むと、手を差し出して起き上がらせて、「流石、アオイには適わぬな」と、何事も無かったかのように言った。


 そしてヨハンも華へと拍手を送り、会場内は盛大な拍手が沸き起こった。


◇◇


「と、とにかく! これ、宜しくね! 私じゃ着れないしっ! 私も早くドレスに着替えなきゃっ!」


 授賞式用の服を蒼壱に押し付けると、華は慌てて部屋から出て、パタパタと駆けて行った。


——一体、ヨハンとの対戦で何があったんだ?


 蒼壱は苦笑いを浮かべたが、こうしてはいられない、と授賞式用の服に着替えをした。

 真っ白な生地に豪華な刺繍で縁どられたローブは、腰ひもやボタンが無い為、前方がガバリと開いているデザインだ。それを肌の上に直接纏うのだから、女性の華には無理な話だ。


——正直俺だって恥ずかしい……。


 着替え終えたものの、赤面しながら部屋から出ると、フォルカーが廊下を歩いて来る姿が目に留まった。彼はいつもの優男風の笑顔を蒼壱に向け、「よ!」と愛想良く手を上げた。


「丁度迎えに来たところだ。……なんだ? 顔が赤いが、熱でもあるんじゃねぇか?」

「いえ! 大丈夫です!」


 慌てて両手を振った蒼壱を、片眉を吊り上げて見つめ、「ま、いいけどよ」と、フォルカーは僅かにため息を吐いた。


「なーんか、ヨハンの奴も様子がおかしいんだよなぁ」

「どんな風にです?」

「ぼうっとしてたかと思うと、なにやらぶつぶつ呟いて首を傾げるんだ」

「……いつからですか?」

「嬢ちゃんとの対戦が終わってからだなぁ」


——ひょっとして、バレたんじゃ!?


 華との対戦で、なにかしら華が女性であるとバレるような事が起きたとしか思えない。華の様子が妙だったのもそのせいだろう。


 しかし……と、蒼壱は自分の服を見下ろした。

 はだけたローブの前方から見える大胸筋と腹筋に、溜息をつく。自分がこの服装で授賞式に参加すれば、ヨハンの疑念も解消される事だろう。

 それに、授賞式で『乙女の祈り』さえ手に入れれば、発作が起こる心配も無くなる。つまり、華と入れ替わる必要もこの先無くなるのだ。


「で? 授賞式の後に公表するって言ってた婚約破棄は、どうやって阻止するつもりなんだ?」


心配そうに訊いたフォルカーに蒼壱は余裕ぶってニッと笑った。

 フォルカーが蒼壱に協力しているのは、婚約破棄を取りやめさせる為だったのだ。勿論、華をハリュンゼンに連れ帰りたいフォルカーとしては、ヨハンとハンナの婚約破棄は願っても無い事だ。

 しかし、そのせいで華が傷つくのなら、なんとしてでも阻止しなくてはと考えた。

 お人好しこの上ない男だ。華がフォルカーに気を許すのも解るなと蒼壱は思った。


「勿論、破棄なんかさせませんよ」


蒼壱はきっぱりと言うと、闘技場へと続く廊下を歩き出した。


「させねぇったって、どうやって? ヨハンの奴は俺が説得しても利く耳持たなかったんだが」

「俺に考えがあると言ったでしょう? ヨハンの意思なんか関係ありませんよ」


 ヨハンがハンナと婚約破棄をすれば、聖女であるヒナをめとる事になるだろう。そうなれば、ヨハンルートまっしぐらだ。それだけは避けなければならない。

 だからといって、本気でヨハンと華がくっつくのも避けなければならない。華は現実世界に帰るのだから。

 ヨハンは乙女ゲームのキャラクターでしかないのだ。この世界でこれ以上の感情移入はしてはいけない。


「まあ、お前がそう言うなら任せるが。嬢ちゃんが傷つくのだけは、なんとしても阻止してくれよ?」

「ええ。分かっています」


二人は並んで廊下を歩き、フォルカーがため息を洩らし、蒼壱は小さく笑った。


「それにしても、フォルカーさんのお人好しには頭が下がります」

「……だよなぁ? 俺もそう思う」


 肩を竦めて見せるフォルカーに、蒼壱は頷いた。

 本当に、もしもフォルカーの様な人物が現実世界に居たのなら、蒼壱は一切の躊躇もなく華との交際を勧めたことだろう。


「感謝はしていますが、姉を貴方に譲る気はありません」

「シスコンか!?」

「それは今更ですけど」


フォルカーはチッ! と舌打ちをしたが、すぐにフッと笑って、蒼壱の背をトンと叩いた。


「ま、そんくらいで丁度いいだろうな。あのお転婆嬢ちゃんにはよ」


不思議そうに蒼壱が小首を傾げると、フォルカーはため息交じりに「嬢ちゃんはモテすぎだ」と言った。


「ミゼンまで、あれは完全に惚れてるだろ?」

「……困りました」

「シスコンの弟としちゃあ、苦労が絶えねぇな」


——そういうのじゃないんだけれどなぁ……。

 と、蒼壱は苦笑いを浮かべた。

 この世界が現実世界なのだとしたら、ここまで過保護な行動を取る様な真似はしない。華が現実世界で恋愛をするのは大歓迎だ。しかし、生憎そうではない。


 あくまでもここは、ゲームの中の世界なのだ。


 現実世界に戻ったのなら、彼らとは二度と会う事が無い。そんな悲し過ぎる失恋を、華に味わわせたくはない。

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