第39話 剣技大会⑤ —蒼壱の策略—
「よし、余裕じゃねぇかアオイ! あの瞬発力といったら、最早神業だな!」
「貴方との稽古のおかげです」
大喜びで出迎えたフォルカーに静かにそう言って頷くと、蒼壱はドキドキと鼓動する心臓を落ち着かせようと深呼吸をした。
——呼吸に異変はない。大丈夫そうだ、やれる。
ぎゅっと拳を握り締め、蒼壱は頷いた。
——いくら華がスポーツ万能だと言っても、走ってる馬上から敵を射殺すだなんて神業が可能なことに違和感があった。そして、俺がハンナになっている時、令嬢としての気品がすんなりと身につく事もだ。
今回の事で確信した。
つまり、『キャラクター補正』が利いているということだ。
アオイでいれば、騎士としてのステータス補正がつく。つまり、どんなにか俺がへなちょこでも、強くなるってわけだ。
勿論、剣の基礎的な事は身に着けておかないと形にすらならないから、その点はフォルカーに鍛えて貰ったわけだけれど。
チラリと観覧席を見上げると、華が呆然としたままこちらを見ていた。蒼壱がニコリと笑って手を振って見せると、周囲の観客達から黄色い声が沸き上がった。
アオイ・ランセルには婚約者はおろか恋人すらいない。そのくせ公爵家の嫡男であるというステータスに、稀代の英雄とまで言われる程の剣の腕と栄誉。そして女性の様な美しい顔立ちとなれば、令嬢達の間で憧れの的となるのも当然だろう。
控室の扉を開けた途端、じとっとした妬みの目を騎士達から受け、蒼壱は苦笑いを浮かべたまま立ち尽くした。
——俺、華のような超絶コミュニケーション能力は無いから、この中に身を置くのは無理かも……。
いくらキャラクター補正があっても、持ち前の性格や体質までは変わるものではない。華ならば気さくに『おつかれー!』『次の対戦は!?』『頑張って!!』等と話しかけて、あっという間に周囲と仲良くなることだろう。残念ながら蒼壱にはそんなスキルを持ち合わせてはいない。
しかし、かといって公爵家の観覧席に戻ろうものなら、華がどんな行動を起こすか知れたものじゃない。混乱しながら怒り狂って泣き出す大惨事となりえるだろう。
——どうしよう。トイレにでも籠るか!? けれど、俺の次の対戦は四回戦だ。それまでずっとトイレに籠るのは辛いぞ!? だったら廊下にでも居たほうがまだマシだ。なるべく人と関わらないようにしないとっ!
と、蒼壱が一歩後ずさった。
「おいおい、何処行くんだ? こっちだ」
フォルカーが蒼壱の肩を叩くと、別室へと案内してくれた。
「俺はこれでも国賓だからな、別室が用意されてる。そっちの方が寛げるだろ?」
——フォルカーってめちゃくちゃ良い奴!!
「何から何までご厄介になってしまって、本当にフォルカーさんには感謝しています」
「大した事じゃねぇさ」
フォルカーはニッと笑って国賓用の控室の扉を開くと、ソファへと腰かけた。一般用とは違い家具も豪華で、軽食やワインまで置かれている。
「しかし、あの女性騎士も不運だったなぁ。いい線行ってたんだが、アオイと当たったのが運の尽きってヤツだ。嬢ちゃんも強いが、アオイのセンスも大したもんだよなぁ。お前ら姉弟ってバケモンか?」
「フォルカーさんの指導の賜物です。このご恩は必ず」
蒼壱が素直にそう言って頭を下げると、「そういうのはよせ」と、フォルカーは手で制した。
「それよりだ、アオイ。俺ぁ……」
「姉とのデートでしたら許可しません」
サクリと言い放った蒼壱に、フォルカーはチッと舌打ちをした。
「何度も言っていますが、姉を落とす為に俺を仲介役にしようとするのは止めてください」
「そういうつもりはねぇが。デートくらい……」
「ご自分で誘えばいいでしょう」
「誘えるなら頼まねぇよ! 考えてもみろって、俺が誘って嬢ちゃんが来ると思うか!?」
蒼壱はチラリと視線を上に向け、ほぼ即答に近い間で「いいえ」と答えた。
「姉はあれで真面目な性質ですから。フォルカーさんの様な軽いノリで誘ってはまず無理でしょうね」
「だからって真剣に誘ったらそれはそれで退くんだろ?」
「ええ」
「どんだけ恋愛下手なんだよ!?」
フォルカーの言葉に蒼壱はブハっと吹くと、「確かにその通りです」と笑った。フォルカーはため息を吐くと、足を組み、腕を片方ソファの背もたれの外へと放り出した。
「お前さぁ、いい加減その堅苦しい言葉遣い止めろよ。なんか話しづれぇんだよな」
「そ、そんな事言われても……」
ゲームの中のキャラとはいえ、フォルカーは蒼壱より三歳程年上で、隣国の第一王子だ。歳も身分も上の相手に崩した言葉を遣うような無作法を働くのは、蒼壱にはどうしても抵抗があった。
「双子だってのに、嬢ちゃんと随分性格に差があるんだなぁ」
「よく言われます」
苦笑いを浮かべる蒼壱に、フォルカーはフッと笑った。
「良い姉弟じゃねぇか、羨ましいぜ」
フォルカーの言葉に蒼壱が驚いた表情を浮かべ、「初めて言われました」と言った。
「え? そうなのか?」
「はい。性別を交換したほうがいいとはしょっちゅう言われてきましたが」
「面白味がねぇな。俺はお前の事も嬢ちゃんの事も気に入ってるぜ」
フォルカーは誰の事も尊重して認める懐の広さがある男だと蒼壱は思った。やはり華にはヨハンよりもフォルカーの方が似合うだろう。
——だが、彼はゲームのキャラクターだ。この世界に依存するわけにはいかない。
ワッと喚声が上がった。本戦の二回戦目が開始された様だ。蒼壱は窓の側にある椅子に腰かけて、試合の様子を見つめた。
本戦への出場は蒼壱達攻略対象を入れて全部で十七名。蒼壱の出場は一回戦に勝利した為、次は四回戦目だ。対戦表では三回戦で予選を勝ち抜いてきた騎士とミゼンの対戦が入り、そこでミゼンが勝利すれば、四回戦目は蒼壱とミゼンが対戦することになっている。
「おお。ヒルキアの騎士達も結構やるなぁ!」
フォルカーも窓の外に視線を向けながら歓声を上げた。打ち合う金属音が鳴り響く度、観客達も息を呑み声を上げる。
ふと、明らかに異質などよめきの声が上がった。
四つの闘技場のうち、第三闘技場で何か異変があった様だ。蒼壱が席を立って見ようとすると、フォルカーが「見ない方がいいぜ」と声を掛けた。
だが、蒼壱はフォルカーの忠告を聞かずに第三闘技場を見つめた。
灰色の石造りの会場が、真っ赤に染まっている。
医師らしき者達が大慌てで駆け付け、動かなくなった騎士の治療に当たっている中、対戦相手であった騎士は何食わぬ顔で剣についた血を拭っていた。
蒼壱はゾクリとした。正気とは思えないその騎士の表情にだ。感情のない様子で剣を鞘に納め、すっとこちらに視線を向けた。
まるで、次はお前だとでも言わんばかりのその視線に、ぎゅっと拳を握り締めて睨み返した。
「偶に居るんだよなぁ。殺しを愉しむ様な輩が」
フォルカーはため息交じりにそう言うと、対戦表を見つめた。
「第三闘技場だから、三回戦で奴はミゼンと当たるな」
「いえ、恐らく対戦表が変更になると思います。ミゼンはヒルキアの第二王子ですから、ああいった輩と対戦させるような事はしないでしょうね」
つまり、アオイが急遽三回戦への出場となり、あの狂戦士と戦う事になるということだ。
「準備してきます」
すっと立ち上がり、扉に向かおうとする蒼壱を「待て待て、俺も行くって!」と言ってフォルカーが呼び止め、二人で控室から出た。
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