第38話 剣技大会④ —華の誤算—
僅かに開いたカーテンの隙間から、日差しがチラチラと射して眩しい。
華は顔を
——おかしいなぁ。妙に身体が重い気がする。
昨夜は剣技大会の予選試合の後、公爵家は早々に帰宅し、本戦に向けて体を休めようと早めに就寝した。
そのせいか随分とたっぷりと眠った様な気がする。華は暫くベッドの上でぼうっとした後、嫌に邸宅内が静かだなと不思議に思って、ベッドから足を下ろした。
カーテンを開き窓を開けると、その音に気づいたのか、部屋の扉がノックされた。
「お目覚めになりましたか、ハンナお嬢様」
ディードが嫌に機嫌良さげに室内へと入って来ると、洗顔用の水を洗面器へと流し入れた。そしてクローゼットから着替え用のドレスを数点出して、どれにしようかと悩んでいるので、華は「今日は剣技大会だから、ドレスは着ないよ」と言った。
「そういう訳には参りません。第一王子殿下がご優勝なされても、お嬢様は殿下に祝福しないとでも言うおつもりですか!?」
ディードの言う言葉の意味を理解するまで、華は暫くぽかんと口を開けた。ディードはそんな華にお構いなしにせっせとドレスの準備に取り掛かっている。
——ヨハンが優勝……? 全然考えて無かったけど、もしそうなったらハンナは一応まだ婚約者だから、お祝いの一つくらい言わなきゃいけないか。騎士の恰好でそれをするのは流石にまずいのは分かったけど、私は剣技大会に出場しなくちゃいけないから……。
ようやく華は寝ぼけた頭を稼働させると、準備を進めるディードを止めに入った。
「ディード、私は剣技大会に出なくちゃ。だからヨハンが優勝した時は蒼壱が……」
「アオイ坊ちゃまはとっくに準備してお出かけになりました。ハンナお嬢様、今何時だとお思いですか?」
「え……えええ!?」
華はパッと外に目を向けた。いつもより日差しが高い位置にある様な気がする。
「ちょっと待って!? ひょっとして私、寝坊しちゃった!?」
大慌てする華とは裏腹に、ディードはニコリと微笑むと、「ええ。さようですね」と言った。
「なんで起こしてくれなかったの!?」
「アオイ坊ちゃまが、今日は自分が大会に出場するから、ハンナお嬢様を起こさない様にと」
——蒼壱が!?
「と、とにかく、騎士の恰好で急いで会場に行く!!」
「そうは参りません」
ディードはきっと眉を吊り上げると、選んだドレスを持ってきた。
「アオイ坊ちゃまから、ハンナお嬢様には必ずドレスをお召しになって会場へ向かわせるようにと言付かっておりますから」
「それだとすぐ蒼壱と入れ替われないもの!」
もし、蒼壱が発作を起こしでもしたら……!!
「お早くお召し変えをなさってくださいまし」
「ディード!」
「私はお嬢様付の侍女ですが、公爵家の序列ではお嬢様よりアオイお坊ちゃまの方が高いのです。ご命令には背けません」
ディードを言いくるめるのは無理だと華は判断した。
とにかく急いで会場へ向かわなければとドレスに着替えし、大慌てで馬車に飛び乗った。
御者を急かし、乗り心地の悪い思いをしながら揺れる馬車に耐え、会場に到着と同時に、華は御者がドアを開けるのも待たずに飛び出して、ヒールの音を響かせて駆けた。
息を切らせながら観覧席へと駆けあがると、公爵が穏やかな笑顔を華に向けた。
「ハンナ、座りなさい。もうすぐアオイの出番だよ」
「え!?」
食いつく様に会場を見下ろすと、騎士の服に身を包んだ蒼壱が闘技場へ上る準備をしている姿が目に入った。
「蒼壱!!」
叫んだ華の声が聞こえたのか、蒼壱は顔を上げ華を見つめた。
ニコリと笑い、蒼壱が手を振った。その隣にはフォルカーが居て、何やら蒼壱に話をし、トンと背中を叩いた。
——ひょっとして、私が怖がったことに気づいたから。だからフォルカーが蒼壱と共謀して……。
「蒼……」
「ハンナ、座りなさい」
試合を止めようと華が再び叫ぼうとした時、公爵が諫めた。
「アオイの邪魔をしてはならないよ。座りなさい」
穏やかだが、その声には威圧感があった。華はぐっと歯を食いしばると、大人しく公爵の指示に従って椅子へと掛けた。
昨日の予選試合が終わった後、本戦の対戦表が作成され、公表された。それによれば蒼壱と最初に対戦するのは予選で勝ち上がった女性騎士だ。魔物討伐の時に同行した覚えがある。
華の記憶通り、闘技場の上に女性騎士が上った。蒼壱も続き、二人は向かい合うと一礼をした。稀代の英雄アオイの対戦とあって観覧席は盛り上がりを見せ、喚声が沸き起こった。
——どうしよう。蒼壱は剣を振る事さえ不慣れなはずなのに!
青ざめながら見つめる華の心配を他所に、蒼壱と女性騎士は剣を構えた。華がいつも使う細身の剣ではなく、蒼壱が構えているのは幅の広い刃の剣だ。対して女性騎士は華と同じ細身の剣、スモールソードを構えていた。
僅かに蒼壱がつま先をずらすと、女性騎士は戸惑うように後ずさった。完全に委縮している様だ。それほどに稀代の英雄と称されるアオイの名声が高く、その英雄を前にして女性騎士の緊張はピークに達しているのだろう。彼女の恐れが見ている華にも伝わって来る。
騒がしかった周囲の声が静まり返り、会場が一体となって二人の挙動に集中しているようだった。
蒼壱は落ち着いた様子で闘技場の床を蹴り、構えた剣を振り下ろした。
金属音が会場内に響き渡る。蒼壱が女性騎士の剣をその手から弾き落としたのだ。
「それまで!」と、審判が叫び、勝負は一瞬のうちについた。
ワッと会場内に歓声が響き渡る。ヒナも観客席で涙目になりながら蒼壱の勝利を喜んでおり、『稀代の英雄アオイ』を称賛する声がそこら中から叫ばれた。
華は暫くその様子を呆然としたまま見つめていた。
——蒼壱のあの動き。にわか仕込みで身に着けたものなんかじゃない。一体どうして……?
「ふむ。流石アオイだな」
公爵が満足気に手を叩きながら我が息子の勝利を喜んだ後、華を見つめてニコリと微笑んだ。
「どうした、ハンナ。まさかお前も参加したかったのか?」
慌てて首を左右に振った華に、公爵は声を上げて笑った。
「
——え!? なにそれ……蒼壱とフォルカーが!?
二人は最初から私を剣技大会に出さないつもりだったんだ……。
きっと蒼壱は、私にそんなことを言ったら利かないとわかってて、わざと寝坊するようにディードにも仕掛けた。
ぎゅっと膝の上で拳を握り締める華に、公爵は更に声を掛けた。
「ハンナ。本戦は控室にも選手意外は立ち入る事はできないからな。ここにいなさい」
その言葉にドキリとして華は顔を上げ、公爵を見つめた。
オルヴァ・ランセル。十七歳の子を持つ親とは思えない程に若々しい彼は、年齢も三十六歳とまだ若いわけだが、その年齢以上に若々しく見えた。
彼はヒルキアの
気づいていながら知らぬふりを通していたのは、恐らく彼なりの考えがあったに違いない。もしかしたら、入れ替わる事で周囲から受ける我が子の評価を愉しんでいたのかもしれないが、真意までははかり知る事が出来ない程、彼は狡猾な男だ。
「心配することはない。アオイは稀代の英雄なのだから」
穏やかな笑みを浮かべる公爵の隣で、華は唇を噛みしめながら闘技場を見つめた。
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