第37話 剣技大会③ —ミゼンの決意—

 華は蒼壱と別れて図書室に駆け込むと、本を手に取ることもせず、椅子へと掛けた。剣技大会の予選試合の歓声が図書室にまで聞こえてくる。


——蒼壱に怖がってるのバレなかったかな? 今日は出番が無いのに、今から緊張してどうするの私!! フォルカーにも迷惑かけちゃうし、最悪……。


 ため息をついて、華は机の木目を見つめた。フォルカーが自分を抱きしめた時の感覚を思い出し、カッと顔を赤らめる。


——フォルカーがヒナを落とそうとしたらイチコロかもしれない。ヨハンと二歳しか違わないはずなのに、妙に大人の色気があるし、頼りがいがあって包容力もある。今までヨハンばかり警戒していたけれど、フォルカールートにも警戒しないとまずいかも。


 華はそう考えて、フト馬鹿らしくなった。

 人の気持ちを操作しようだなんて、考えてもみれば酷い話だ。乙女ゲームはゲーム内の事だから赦されるかもしれない。けれど実際はそんなことをしたらいけない。


——ヨハンやフォルカーが誰を好きになろうと、ヒロインのヒナが誰を好きになろうと、それを邪魔したら駄目じゃない。私、酷い事しようとしてたんだ……。


「……華?」


 声を掛けられて顔を上げると、少し驚いた面持ちのミゼンが立っていた。本を数冊手に持ち、房のついたピアスがゆらりと揺れている。


「観覧席に居たのでは?」

「ううん。試合を見るのは止めたの。あんたこそどうしてこんなところに?」

「予選試合に興味がありませんから、暇つぶしです」

「そ、そっか」

「……隣に掛けても?」

「勿論!」


すっと椅子を引き、ミゼンが腰かけるとほんのりと香水の香りが感じられた。


「あれ? 香水なんか普段つけてたっけ?」

「いえ。ヒナさんと一緒に居たので、少し移ったのでしょう」


 そういえば、剣技大会の開始前にミゼンとヒナが一緒に居る姿を見かけたな、と考えて、華は「そっか」と言った。


「ミゼンはヒナが好きなの?」


華の問いに、ミゼンはクスリと笑った。


「相変わらず、飾らずにはっきりと言う方ですね、華は」

「あ、ゴメン。失礼だった?」

「いいえ。貴方らしくていいと思います」


剣技大会の会場の方からわっと歓声が上がった。華は俯いて、再びテーブルの木目を見つめた。


「嫌いではありませんよ。彼女は素敵な女性ですから」


ミゼンはそう言うと、「流石聖女様と言うべきでしょうか」と、微笑んだ。


「母からの指示に従って積極的に彼女と行動を共にする様にしてはいますが、それでも魅力的な女性であると言えます」

「女の子らしいし、美人だし優しいもんね。誰だって好きになるよね」


——なんせヒロインだし。


「華も女性らしく、美しいですし、優しいと思いますよ」


ミゼンの言葉に華はブハッ! と吹いた。


「私のどこが女性らしいの!? 蒼壱の方がよっぽど女性らしくて美人で優しいよ! 性別交換した方がいいって言われるくらいだもん!」


ミゼンは愛嬌のある笑みを浮かべたまま華をじっと見つめた。暫く無言のまま見つめるので、華は「な、なに?」と、戸惑いながら目を逸らした。


「剣技大会で身体を傷つけるのを恐れ、こうして図書室に逃げ込んだ貴方が、女性らしくなければなんだと言うのです?」


華は驚いてミゼンを見つめた。


「な、なんで知って……」


パッと長い指を伸ばし、ミゼンが華の額に触れ、華は慌てて避けた。


「だめ! 見ないで!!」


泣きそうな声を発した華に、ミゼンはニコリと微笑んで頷いた。ミゼンを拒絶してしまったような気がして、華は「ごめん!」と、謝ったが、その声は震えていた。


「ごめんね、ミゼン。別にあんたに触られるのが嫌だとかいう訳じゃなくて……今は、その……バンダナも外してるし」

「分かっています。無礼な事をしてしまいすみません。少し試しただけのつもりが貴方を傷つけてしまいました」


カタリと椅子を引くと、ミゼンは華の前でひざまずいた。


「え!? あの……ミゼン?」

「無礼を働いたのですから詫びなければなりません」

「お詫びとか何も要らないよ! 何も無礼なことなんかしてないし、王子様がそんなことしたら駄目だよ!」

「女性にむやみに触れるのは無礼な事です。そうでしょう?」


絶句する華に、ミゼンはニコリと微笑んだ。


「それも、貴方は兄上の婚約者でしょう?」


 華はため息をつくと、肩を竦めた。


「……分かった。あんたには適わない! 私の負け。はいはい、私は女です! 認めるから座って?」


 ミゼンは満足気に頷いて立ち上がると、椅子へと掛けた。少年の様に愛嬌のある笑みを浮かべ、ふっと声を出して笑っている。


「僕の前では飾らないでください。貴方が女性であるという秘密を僕は知っているのですから」

「秘密の共有って? それなら不公平じゃない? 私、ミゼンの秘密を知らないもん」

「僕の秘密ですか?」


きょとんとした様子でミゼンは「そんなものを知りたいのですか?」と聞いた。


「そりゃあね。私だけミゼンに知られてるんだもん、ずるくない? ねえ、ホントは蒼壱が好きだとか?」

「……だから、どうして僕をそう同性愛者に仕立てようとするんですか?」

「え? なんか、似合うから」


——物静かな美形で、妙な色気があるし。


「断言しますが、僕は同性愛者ではありません」


——そりゃそうだよね。乙女ゲーの攻略対象だし。


「じゃあ、他の秘密教えてよ!」

「自分の弱味をわざわざさらけ出す間抜けですか、僕は……」


 華はむぅっと唇を尖らせてミゼンを見つめた。どうもミゼンと話していると自分が馬鹿になったように思えてならない。まるで掌の上で転がされている様な気分になり、面白くないと感じるのだ。


「なんかずるいっ。ミゼンはヨハンの弟なのに、どうしてそんなに落ち着いてるの!?」

「兄上とは一つしか違いませんが……」

「え……あんたさ、私と同い年?」

「ええ。誕生日がまだですが。それが何か?」


——このゲーム、キャラ設定見直すべきじゃないかなぁ。こんな色気むんむんな十七歳の男なんて居ないって!! あーでも、日本人の基準で考えてるからかなぁ。お母さんの友達のフランス人とか、確かに大人っぽかったもの。


「いや、でもなんかそれにしてもこんな落ち着き払った十七歳なんて居る!?」

「僕は年齢を詐称したつもりはありませんが」

「だよねぇ? そもそもヨハンが十八歳って時点でおかしいもん。あんなお堅くて融通が利かない十八歳なんか見た事ないし! 何処にもいないよ!」

「兄上は生誕祭が過ぎましたので十九になりましたが……」

「あ。そっか。忘れてた」


——自分の一応婚約者の歳を忘れるとか、ヤバイ……。

 苦笑いを浮かべた華に、ミゼンは困った様に微笑んだ。


「貴方は時折、まるで自分が別の世界から来たような価値観で物事を語りますね」


——ギクッ!!


「そ、そお!? そんなことないし!! ただ、その……あんたの印象も随分変わったなーって。最初は正直ちょっと苦手だったもの!」


——やば。ミゼンと話してるとボロが出まくっちゃう!

 つっと気まずそうに視線を外した華に、ミゼンはふっと声を上げて笑った。


「華と居ると、僕は飾らなくて済むので楽です。皆が第二王子という肩書で僕を見て、母は駒として僕を見ます。本当の僕はどうでも良いかのように」

「……本当の?」


 呟く様にそう言って、華は僅かに瞳を伏せた。

——本当の私。現実世界の、普通の女子高生だって知って貰えたら、どんなにいいか……。


「……そっか。ミゼンにとって私と話すのが楽なら、私、いつだって話し相手くらいになるよ」

「え……」


 ミゼンはヨハンと同じエメラルドグリーンの瞳を見開くと、「本当に?」と、華を見つめた。


「うん。私で良ければ!」


 ニコリと微笑んで華はそう言った。ミゼンの気持ちが痛い程良くわかると思ったからだ。もしかしたら、ヨハンもそう感じているのだろうか。第一王子という仮面を被った自分ではなく、本当の自分を知って欲しい、と。


「では、僕も貴方に秘密を話さなければなりませんね」

「お! 話す気になった!? やっぱり蒼壱が好き!?」

「……違います」


コホン、と咳払いをすると、ミゼンは少し恥ずかしそうに俯いた。


「僕は、剣の腕がからっきしなのです」

「……へ!?」

「ですから、剣技大会が大の苦手でして」


——え!? でも、ゲームでは剣技大会でのミゼンは流石攻略対象というくらいに強かったような!? 確かに剣の稽古をしている姿を見た事なんか無いけど。


「あんたにも苦手な事なんてあったんだ……」

「ええ。その、今まで周囲にバレない様に魔術でドーピングのような事をですね……」

「魔術のドーピングって禁止されてるの?」

「いえ。剣技大会のルール上、本人の魔術ならば別に。兄上も神聖力で強くなれますし、それ自体はなんらルール違反ではありません」

「じゃあ、問題無いじゃない」

「ですが、カッコ悪いじゃないですか……。素の僕は弱小なんですよ? 当然貴方にも勝てません」


華はぷっと笑うと、「可愛い!!」と言ってミゼンの頭を撫でた。


「か、かわ!?」

「うん、あんた、可愛いわ! こんなところで弟キャラ出す!?」


華に頭を撫でつけられて、ミゼンは照れたように顔をほんのりと赤く染めた。


「素で運動が得意な貴方には分からない悩みでしょうね……」

「わかんないけど、でもあんたに対する印象変わったかも」

「がっかりしましたか?」

「全然!」


華は首を左右に振ると、「親近感沸いた!」と言って微笑んだ。


 その笑顔に、ミゼンは吸い込まれそうな程に見惚れた。これ以上、彼女の美しい容姿に傷をつけさせたくないという思いが強くなる。

 ミゼンがまさかそんな事を思っているとは考えもせず、華は満面の笑みを向けたまま言った。


「あんたって完璧なのかと思ってたもん」

「まさか。欠点だらけですよ」

「そお!? 美形で高身長で頭良くて魔法使えて」


そこまで言った後、華は思い出した様に「あと、ダンスも上手じゃない!」と、人差し指ぴっと立てて言った。


「兄上の生誕祭でのダンスですね。お気に召しましたか?」

「うん! おかげで楽しかった。今度練習する時付き合ってよ」

「喜んで」


 わぁっと再び窓の外から歓声が聞こえた。


「予選試合、盛り上がってるみたいだね」


華の言葉にミゼンは頷くと、溜息をついた。


「明日の本戦はもっと盛り上がりますよ。全く、野蛮なものです」

「本戦はミゼンも出るんでしょ?」

「不本意ですが」


肩を竦めたミゼンに、華は手を差し伸べた。


「お互い頑張ろう。私も不本意だけど頑張るから!」


華が差し出した手を軽く握り、ミゼンは頷いた。


「回避できない様ですので一応参加はしますよ」


 華と握手を交わしながら、ミゼンは、彼女と対戦することになったのなら、絶対に怪我を負わせない様にしようと決めた。そして身を呈してでも、華に降り注ぐ火の粉を払おうと心に誓った。

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