第36話 剣技大会② —蒼壱の決意—

 観覧席から予選の試合を見下ろしながら、蒼壱は唇を噛んだ。

 打ち合う度に凄まじい金属音が会場内に響く。当然ながら怪我をする出場者も現れて、刃を潰してある剣であるとはいえ血も流れた。


——対人でもこんなに迫力があるんだから、魔物相手ともなれば相当なものだろう。華にこんなことをさせていたと思うだけで自己嫌悪になる。


 予選試合は中盤に差し掛かったところだ。明日の本戦には予選を勝ち抜いた十三名の騎士達が出場し、アオイやミゼン、フォルカー。そして決勝ではヨハンと対戦する事になるのだ。


「ハンナ」


 ふわりと純白のドレスをなびかせてヒナが蒼壱の隣へと座った。蒼壱の鼻をヒナがつけた香水の香りがくすぐる。


「ヒナ。聖女様らしく堂々たるものだね」

揶揄からかわないで、ハンナ。とっても緊張してるのよ」


 この剣技大会で、ヒナは聖女としてその姿を正式に公表する事になる。招かれた国賓やヒルキア王国の民、貴族達に、唯一無二の存在として知らしめるのだ。


「確か国王様と一緒に授与式で優勝者に賞品を授与するんだったよね? 頑張って」

「ありがとう、頑張るわ! 誰が優勝するかしら。やっぱりアオイ様かな?」

「勿論! 絶対勝つに決まってるさ!」


力強く頷いた蒼壱に、ヒナはニコリと微笑んだ後、僅かに頬を染めた。


「ハンナがアオイ様とお揃いの騎士の恰好をしてるから、なんだかアオイ様と話してるみたいでちょっと緊張しちゃう。言葉遣いもいつもより凛々しい感じがするし」

「あ……」


蒼壱も照れてカッと顔を赤くすると、ヒナから視線を外し、予選試合を見つめた。


——しまった。言葉遣いに気を付けなきゃ。大会中はいつも以上に女性らしくしないと、すぐバレてしまいそうだ。


 蒼壱の服装は、事前に華と打ち合わせした通り、騎士の装いを模した服装をしていた。結い上げた髪を解き化粧を落とせば、すぐに華と入れ替わる事ができる。今日は予選試合のみだが、それでも万が一を考えて準備をしておいたのだ。


「なんだか皆さまの勇ましいお姿を拝見していると、私まで感化されてしまいましたわ!」


慌てて言葉遣いを正すと、ヒナはクスクスと笑った。


「ハンナにもそんな一面があるなんて意外だわ。でも、とっても似合っててカッコイイね。私は背が低いから、そういう服装似合わないもの」

「そうかしら?」

「うん、子供の仮装みたいになっちゃうわ」


 蒼壱はヒナが騎士の恰好をした様子を想像して、確かにちょっとヒナの言う通り仮装の様だなと考えた。


「あ! 今想像したでしょう? 酷いわ、ハンナったら!」

「ごめんなさい。でも、その代わり女の子らしい可愛い服装は似合うと思いますわ。今日のドレスもとても素敵ですもの」


どさくさに紛れてヒナの服を誉めると、ヒナは嬉しそうに笑った。


「ありがと、ハンナ。実はちょっと今日の服は私も好きなの」


ヒナはそう言って、チラリと国賓席へと視線を向けた。そしてフォルカーと談笑している華の姿を認めて、慌てて視線を外した。


——待って。何? 今の行動……

 ヒナは今、アオイを意識した? 自分の服を、ひょっとしてアオイに見て貰いたいって思ったのか?


 つまり、華に……。


 華は現実世界の加賀見妃那かがみひなに告白されたと言っていた。ゲームの世界でも同じなのか?


 俺じゃなく、ヒナが選ぶのは、華……?


 さっと青ざめて、ヒナを見つめた。彼女は少し照れているような素振りで、ドレスのスカートを僅かに握り、この世界の服装についてあれこれと話しているが、蒼壱の耳には全く入って来なかった。


 一旦落ち着こう、と、蒼壱は深呼吸をした。


 どんなにかヒナを愛しく思ったとしても、彼女はゲームの中のキャラクターなんだ。思い入れを持ちすぎるのは危険だ。俺がしっかりしなきゃ。俺までゲームの世界のキャラクターにほだされてちゃダメじゃないか。現実世界に帰る意思が揺らいだらいけない。


「……少し休憩してきます」


 蒼壱はそう言うと、ヒナを避ける様に席を外した。

 貴賓用の休憩室へと向かおうと階段を下りると、「ハンナ嬢」と、呼び止められた。この声は……と、苦笑いを浮かべながら振り返ると、案の定ヨハンが立っていた。


 金色のさらさらとした髪に太陽の日差しが射し、流石このゲーム最高難易度の攻略対象だと言いたくなる程に、嫌に神々しい。


 蒼壱はすっと膝を折ってヨハンに頭を下げると、ヨハンは気まずそうに頷いて押し黙った。


——自分から話しかけておいて、何だよ。


 蒼壱は苛立ったまま、ヨハンが話し出すのをじっと待った。暫くシンとした時間が流れた後、「殿下?」と、耐えきれずに声を出し、ヨハンはハッとしたように頷いた。


「すまない。その……」


 再び押し黙るヨハンに、蒼壱は苛立ってため息を吐いた。


——一体何なんだよっ! やっぱりこいつ、大嫌いだ。華はヨハンのどこがいいんだ? フォルカーの方が遥かに良い奴だし、ヨハンに比べたらミゼンの方がよっぽどマシじゃないか。


「今日は、天気が良くてよかったな」


——天気の話なら他のやつにしろよ。


「そのようですね」


 蒼壱はわざとそれだけ答えた。剣技大会が無事開催されて良かったなどと言うべきなのだろうが、長々と会話をすることすら嫌だと思った。


「私が送った手紙を、そなたは目を通したのだろうか……」

「手紙?」


——何のことだ?

 と、顔を上げて、蒼壱はしまったと思った。恐らくハンナ宛ての手紙を、華が受け取っていたのだろうと思ったからだ。

 蒼壱の反応を見て、ヨハンは手紙を読んでいないのかと察した様だ。僅かにため息を洩らし、「そなたは本当に私を嫌っているな」と吐き捨てる様に言った。


「申し訳ございません。今朝は準備に忙しく」

「いや、いい。どちらにせよ、そなたが読もうが読むまいが決行するのだからな」


すっとエメラルドグリーンの冷たい瞳を蒼壱に向けると、ヨハンはその整った顔に冷笑を浮かべた。


「この大会には多数の貴族や国賓も参加しているので都合がいい。授与式の後、そなたとの婚約破棄を公表する」


——え……?


「これでそなたもせいせいすることだろう。時間を取らせてすまなかった」


 ヨハンは踵を返すと、蒼壱の言葉を受け付けないと言わんばかりに、王族用の観覧席へと戻って行った。


 ぎゅっと拳を握り締めると、手袋が音を発した。

 壁を殴りつけたい衝動を必死になって押さえつける。


 暫く怒りで身動き取れなかった蒼壱の側を、警備兵が通り過ぎようとしたので、蒼壱は呼び止めた。


「……アオイを呼んで来てくれませんか。貴賓用の休憩室で私が待っていますと伝えてください」

「承知致しました」


 警備兵は一礼すると、観覧席へと続く階段を上って行った。


◇◇


「華、悪いけど出番までの間、俺と交代してくれないかな」


 蒼壱に呼び出されて休憩室へと赴いた華に、蒼壱は両手を合わせて頼み込んだ。華は呆気にとられながら蒼壱の様子を見つめ、「別にいいけど」と、瞳をぱちくりとさせた。


「一体どうしたの? 普段そんな事言わないのに」

「リスクは重々承知なんだけど、騎士アオイとしてヒナと仲良くしておいた方がアオイルートになりやすいからね。今日は予選試合だけで、出番もないだろう?」


 淡々とした様子の蒼壱に、華は少しズキリと胸が痛んだ。


——ヒナと仲良くする事をまるで義務の様な話し方をするなんて。蒼壱の意思は揺るがない。絶対に現実世界に帰る気なんだ。

 そうだよね、現実世界には蒼壱が本当に想ってる『加賀見妃那』が居るんだもん……。


「分かった。交代しよう」


 華は頷きながら言うと、溜息をついた。


「正直、予選試合を見る気にもなれないし。私、王宮の図書室で時間でも潰してようかなって思って」

「あれ? 珍しい。華のことだから、おっさんくさい野次飛ばしながら試合に熱中するんだと思ったのに」


 蒼壱の発言に華はドキリとした。

——確かに、いつもの私ならそうだ。まずい、蒼壱に私が怖がってることも、落ち込んでることもバレない様にしなきゃ!


「だ、だって! 予選なんか皆へたっぴでつまんないんだもん! 見ててイライラしちゃうし!」


ふんすと鼻息を荒げて言う華を、蒼壱は呆れた様に見つめて肩を竦めた。


「あー、はいはい。稀代の英雄殿は余裕綽々よゆうしゃくしゃくだね」

「まあね! 私にかかったら皆雑魚だしっ!」


華は偉そうに胸を反らせて言うと、「じゃあ、図書室行ってきまーす!」と、そそくさと部屋から出て行った。


 蒼壱は化粧を落とす為に洗面所へと向かい、鏡を見つめた。

 化粧の濃い自分の顔に苛立ちを覚え、ジャブジャブと顔を洗った。


——華の馬鹿。怖がってるのも落ち込んでるのも、バレバレじゃないか。やせ我慢なんか俺にするなよ。

 必ずアオイルートにして、さっさと現実世界に帰ろう。その為になら出来る事は何でもする。頼りない弟で悪いけれど、俺なりに華を守るし支えるから。


 化粧を落とし終えると、蒼壱はきゅっと唇を噛みしめて鏡を見つめた。久方ぶりに見る男の自分の顔にすら苛立ちを覚える。華の額についた傷や、首についた傷痕をそっくりそのまま自分に移し替える事ができたらいいのにと思った。


——情けない……。


 華に、強がりを強いるだなんて!! 俺は男なのに。華にとって一番良き理解者の双子の弟なんじゃないのか? 一体いつになったら俺を一人前だと認めてくれるんだよ、華!!

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