第35話 剣技大会① —華の恐怖

 開会の空砲が鳴り響き、剣技大会の会場は活気に満ちた。観客席から上がる声援や激励の声に圧倒されながら、華は思わずフォルカーの服の裾をぎゅっと掴んだ。


「どうしよう。緊張してきた」


——運動部の大会でもこんなに緊張したことなんか無いのに!

 と、ガクガクと震える足が、まるで自分の足では無い様な気がして、涙目でフォルカーを見上げた。


「今日は予選試合だけだ。嬢ちゃんは対戦がねぇし、今から緊張してると疲れちまうぜ? 何か冷たいものでも飲んで落ち着いたらどうだ?」

「う……うん! そうする!」


 フォルカーの席は国賓用に設けられたテラス席で、少し離れたところにはヨハンとミゼン。そして中央席には国王と王后が鎮座していた。宰相でもあるランセル公爵家は、ヨハンとミゼンの席に近いところであったが、蒼壱が華と合わせて騎士の服装に身を包んでいる為、華は出来る限り近づかない様にしていた。

 いくら双子とはいえ、同じ服装で並んでみれば男女の差は歴然だ。二人はバレない様に、大会中はなるべく側に寄らないようにしようと決めていた。


 稀代の英雄であるアオイ・ランセルという存在は異質だった。彼だけは国賓席であろうと、王族の席であろうと、行き来が自由であるという特別待遇だからだ。それほどに、華の活躍が素晴らしく、誰もが認める程の功績なのだと言えるだろう。

 華にとっては、あの大きな魔物を討伐できたのはミゼンのおかげなのにという、申し訳ない気持ちでいっぱいだが、ミゼン自身はしれっとしたもので、どれほどに華が褒め称えられようと、一緒になって称賛する程に自分の関わりを一切口にしなかった。


 華は観覧席の後方に用意されている軽食コーナーへと脚を運んだ。そこでレモネードをフォルカーの分も貰い、席へと戻ろうとすると、ヨハンに呼び止められた。


 ドキリと心臓が止まりそうな程に鼓動した。

 今朝方ヨハンからハンナ宛てに届いた手紙の内容が、華の脳裏をよぎる。


 華は平静を装う為、必死に笑顔を作った。


「あ、ヨハンも飲む? レモネード……」


華の手にある二つのグラスを認め、ヨハンは自分の為にわざわざ取って来てくれたのだろうと勘違いをした。


「ああ、折角だから頂こう」


華の手から受け取ったレモネードをコクリと飲むと、ヨハンは華を見つめて僅かに笑みを漏らした。眩い程の美しいその笑みに、華はズキリと心が痛んだ。


「どうした? 稀代の英雄アオイ・ランセルが、緊張しているのか?」

「あ……うん……なんか、ちょっとね」

「魔物相手にも物怖じしないそなたがか?」


——魔物相手の場合は、アドレナリンが出まくる気がするんだよね、きっと。

と、華は苦笑いを浮かべた。


「ヨハンは緊張しないの?」

「そうだな。よもや慣れてしまったのやもしれぬ」


 ヨハンにとっては、剣技大会よりも普段の生活の方がずっと危険が多く潜んでいた。公の場であるこういった大会の方が、むしろ安全なくらいだと彼は寂しげに笑みを浮かべた。


「しかし、アオイと剣を交えるのは久方ぶりだ。楽しみにしているぞ。必ずや決勝まで上るのだと約束してくれ」


 第一王子のヨハンは決勝戦で当たることになる。華は息が上がり、少し苦しいと思いながら必死に平静を装った。


「あはは、お手柔らかに」

「何を言う? 全力で行かせて貰うから、覚悟しておけ」


トンと、ヨハンが華の肩を軽く叩いた。ビクリとして、僅かに華は後ずさり、ヨハンは小首を傾げた。


——『乙女の祈り』を手に入れるには、絶対勝たなきゃ。ヨハンにも、フォルカーにも、ミゼンにも……。

 華はぎゅっと拳を握り締めたが、手が震えている。


「負けないよ!」


空元気にそう言ったが、ヨハンはニコリと微笑んで「うむ、その意気だ」と頷いた。緊張を押え、己を振るい立たせようとしているのだろうと思ったのだ。


「なーにいちゃついてんだぁ?」


フォルカーが呆れた顔をしながら会話に入って来ると、「遅いから心配したぜ?」と華を見つめた。


「稀代の英雄の身を心配するとは、余裕ではないか」


ヨハンの言葉に、フォルカーは「まあな」と笑い、華は「その呼び方止めてよね」と、苦笑いを浮かべた。


「フォルカー、あのね、私……」


 剣を打ち合う音が会場に響き渡る。予選が始まった様だ。フォルカーとヨハンが試合の方へと視線を向け、華は俯いた。


「わ、私。ちょっと散歩に行って来る!」


 華はそう言うと二人をその場に残してパタパタと階段を駆け下りた。貴賓用の通路を通り、王宮へと続く廊下を駆け抜けて、休憩用に用意されている客室へと入った。


「……どうしよう」


——また、剣先が折れたりしたら……。


 華は思わずバンダナの上から額に手を当てた。指先が震える。足も震え出し、その場にストンと腰を下ろした。


——これ以上身体に傷を残したくない。現実世界に戻ったら消えているかもしれないけど、でも、絶対消えているかどうかなんて判んないもの。私、それじゃなくても女の子らしくないのに……!


 膝を抱え、華はうずくまった。

 闘技場からの歓声が王宮にまで聞こえてくる。


——怖い……。


 両耳を押え、華は膝の上に顔をつけた。


——ヨハンは、また『男の勲章』だって言うのかな? そんなの嫌だ! 男の勲章なんか要らない! 傷なんか作りたくない! 


 ヨハンに、そんな姿を見られたくない……


 蒼壱にはこんなこと、相談なんかできない。そしたらきっと自分が出るって言うもの。発作が起きたら薬も無いのに。蒼壱は優しいから、だから言えない……

 蒼壱の為にも絶対に『乙女の祈り』は手に入れなきゃいけないのに。この世界で蒼壱の発作を抑えるには、アイテム頼りだから。こんなんじゃダメ。私、蒼壱の姉さんなのに! 弱気になってたらダメ。蒼壱の分も元気に生まれてきた分、私が蒼壱を支えなくちゃいけないのに……!!


 コツコツと客室の扉がノックされ、華は慌てて顔を擦り、立ち上がった。僅かな音を立ててそっと扉が開かれて、誰かが室内へと脚を踏み入れたが、できるだけ顔をそちらに向けないようにして、ただ休憩中である様に装ってコホンと咳払いをした。


 ふわりと華の両肩が優しく包み込まれた。たくましい腕が見え、その大きな手は華の瞳を覆い隠した。


「……怖いんだよな?」


 フォルカーは華を後ろから優しく抱きしめながら静かに言った。首を左右に振った華の耳元で、「強がる必要はない。大丈夫だから」とささやいた。


「約束しただろう? どんなことがあろうと嬢ちゃんの味方だってな」


 華の瞳から涙が溢れ、頬を伝った。


「フォルカー、私怖い……」

「ああ」

「堪らなく怖い!」

「うん」


フォルカーは華の頭にキスをすると、「俺が守る。約束だ」と言って、ぎゅっと抱きしめた。


「手紙が、今朝ヨハンから届いたの。ハンナ宛てに」

「……ああ、聞いてる」


 フォルカーはその手紙の内容まで把握している様だった。

 優しく宥める様に華の頭を撫で、僅かにため息を洩らした。


「悪い。説得できなかった……」


 華の嗚咽が控室内に静かに響き、フォルカーは華が泣き止むまで優しく頭を撫でていた。

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