第27話 ヨハンの生誕祭2

 王都の街も王宮も祝い一色となっている中、それを煩わしいとさえ思いながら、ヨハンは執務室で忙しく筆を走らせていた。生誕祭の主役は自身であるというのに、そんなこともお構いなしに、今ある仕事を終わらせなければならないと、実直な性格である彼は一つ一つ丁寧に仕事を仕上げていった。


 次の書類にサインをすべく、墨壺にペン先をつけた時、けたたましい音を響かせて執務室の扉が豪快に開け放たれた。


「おいおい、主役がこんなところで何やってんだ?」


 ノックもせずに部屋へと足を踏み入れたのは、フォルカーだった。いつもの無精髭は綺麗にそり落とし、髪も整えて正装している。


「そなた、国に帰ったのではなかったのか?」

「友人の祝い事に駆けつけねーほど冷たい男じゃねぇぜ、俺は。招待状だってしっかり受け取った」

「すまないが、私は今日のパーティーに参加できそうもない。皆で楽しんでいてくれぬか?」


 口早にそう言って、書類へと視線を落としたヨハンに、フォルカーはうんざりした様に大きなため息を吐いた。


「お前さぁ、そんな生き方で人生楽しいのか?」

「楽しむために生きているわけではない」

「……つまんねぇってことか」


 フォルカーの言葉を気にもせず、ヨハンはサラサラと書類を書き進めた。


「それに、どうせまた毒が盛られるに決まっている。自分の生誕祭で命を落とすなど滑稽ではないか」

「神聖力でどうにでもなるんだろ? 今までだってそうして来たじゃねぇか。ちょとやそっとの毒じゃピンピンしてる無敵のヨハン様なんじゃねぇの?」

「そうまでして出席する意義がどこにあるというのだ。私とて、身体は無事でも心に傷はつく。ハンナ嬢のお茶会での事をそなたにも話したであろう」

「ああ、お茶の中に毒が入ってたって? でも、盛ったのは彼女じゃなかったんだろ?」


 ヨハンは当初、ハンナが使用人に指示し、毒を盛ったのだろうと思った。『この程度の毒で私は脅かされない』という意味で「茶が温い」と、脅しも兼ねてわざと抜刀してみせたが、ハンナのあの様子を見る限り、毒の存在を知らなかったのではないかと推測された。


「わからぬ。あれほど私に……いや、私の第一王子という冠に執着していた娘が、あの日以来手のひらを返し、今度はミゼンに鞍替えしたのだから」

「鞍替えって……」

「何度も逢引しているそうではないか。ミゼンと共に私を陥れようとしているのだろうが、そうはいかぬぞ」

「なんでそう悪く取るんだよ。お前、その根暗を何とかしたほうがいいぜ?」

「……私には信用できる者が限られている」


 そう言って、ヨハンはチラリと机の隅を見つめた。そこにはヒナから受け取ったハンカチが綺麗に畳まれた状態で置かれていた。

 初めてヒナに会った時、ヨハンの傷を心配して手渡してくれたものを、返しそびれていたのだ。


「ヒナ嬢は信用できるってのか?」


フォルカーの言葉にヨハンは頷いた。


「私がこの目で見たのだ。あの娘が異世界から来た事は明らかだからな」


——ヒナは……優しく可憐で女性らしい女性だ。揉め事にも厄介事にも巻き込まれて欲しくは無い。

 ヨハンはそう思って彼女の存在を隠そうとしたが、アオイの怪我を治療する為にはヒナの存在を明らかにせざるを得なかった。


「彼女にはすまない事をしたと思っている。アオイの怪我を治させたばかりに、世間にその存在を知らしめる結果となってしまった」


 フォルカーはヨハンの言葉に苛立ちを覚えた様で、珍しくジロリとヨハンを睨みつけた。


「お前、ヒナ嬢にアオイの怪我を治療させた事、後悔してんのか?」


——嬢ちゃんの怪我を治させて後悔してるだなんて言ってみろ。いくらヨハンでもただじゃ済まさねぇ。

 と、フォルカーは殺気の籠った目をヨハンに向けた。

 だがヨハンは嫌にあっさり首を左右に振った。ため息を吐き、書類に視線を落としたまま眉を寄せている。


「……いや、そうではない。だから困っているのだ。私の我儘をヒナに押し付けてしまった気がしてな」


ヨハンの答えにフォルカーはホッとすると、ガシガシと頭を掻いた。


「ヒナ嬢は、王妃教育をハンナ嬢と一緒に受けてるんだろ? 聖女だし、可愛いし、お前の敵じゃないことが明確なら、彼女こそ正に理想の結婚相手といったところか?」

「何を言っている。確かに私にとってハンナ嬢よりもヒナの方が信用できるが、ヒナに対してどうこうする気はない。跡目争いに彼女を巻き込む訳にはいかぬしな」

「お前なぁ……」


 フォルカーは呆れた様にため息を吐いた。


「周囲はそうは見てくれねぇぜ? お前の正妃になるのはヒナ嬢で、ハンナ嬢は側妃だとか、ミゼンがハンナ嬢を正妃にするだとかそんな噂で持ち切りじゃねぇか」

「私は皆の望みに従うだけだ」


 ヨハンのその言葉にフォルカーが押し黙り、シンと室内が静まり返った。

 サラサラとヨハンが書類を書き進める音が執務室内に響く。紙を捲り、次の書類を書く前に、フォルカーが言葉を放った。


「……お前が顔を出さなきゃ婚約者殿は寂しがるんじゃねぇの?」


——何を言いだすかと思えば。

 と、ヨハンはふっと笑った。


「まさか、ハンナ嬢にはすっかり嫌われているからな。私の顔などみたくもないだろう」


 ハンナには今日着てもらう為のドレスを贈った。珍しく返送されてこなかったので、それを着てパーティーに出席している事だろう。宝石をふんだんにあしらった高価なものだ。手切れ金としても十分だろう。


「ハンナ嬢に手切れ金なら送った」

「手切れ金? 二人にドレスを贈ったそうじゃねぇか。二人と手を切るつもりか?」


 フォルカーの言葉にヨハンは「二人?」と、片眉を吊り上げて小首を傾げた。


「いや、私が贈ったのはハンナ嬢にだけだ。彼女は私の婚約者なのだからな」

「今のところって……」


フォルカーは舌打ちをすると、深いため息を吐いた。


「……なるほど、じゃあ誰かが気を利かせてお前の名でヒナ嬢にもドレスを贈ったのか」

「どういうことだ?」

「ヒナ嬢とお前をくっつけたいと願う連中が多いってことだろうな。彼女はお前名義で贈られたドレスを着て、今回の生誕祭に参加してるぜ?」


 ヨハンは書類を書く手を止めて唸る様に考え込んだ。

 ヒナの身支度用にと、彼女が身を寄せているランセル家にはそれなりの金を渡してある。公爵には最初断られたが、「私の顔を潰してくれるな」と無理やりに持ち帰らせた。今回のパーティー用の装いもその中から工面したのだろうと思っていたが……。


「つまらぬことになりそうだな。私は増々顔を出さない方が良いだろう。厄介事になりかねない」


 その言葉にフォルカーはガックリと項垂れたので、ヨハンはクスリと小さく笑った。


「どうした、そなたは出席すれば良いではないか」

「良く言うぜ。俺はこれでも国賓なんじゃねぇの? 主賓無くして客だけ出席なんかできるか!?」


「では諦めよ」と、言いながら再び書類を書き進めるヨハンに、フォルカーは舌打ちした。


「冷てぇ奴!」

「なんとでも言え。どうせ私をダシに女王候補を探そうという魂胆なのだろう?」

「そりゃあそうだが……けどよ、お前が出席しなきゃ、アオイは寂しがるんじゃねぇのか? いいのかよ、それで」


 フォルカーのその言葉に、ヨハンはピタリと手を止めた。


「……そうだろうか?」


 その反応に、フォルカーはニッと笑った。


「めちゃくちゃ寂しがるだろうな~」

「私の不在にか?」

「そりゃそうさ! お前はアオイのだろ?」


——私が出席したら、アオイは笑顔で迎え入れてくれるだろうか。恐らく、いつものあの調子で屈託のない笑みを向け、私の手を無理やり引きながら輪の中へと連れて行くだろう。そうすれば私も、ハンナともヒナとも妙な垣根を作る事なく、会話ができるかもしれない。


 ヨハンはそう考えて、インクで汚れた手袋を外し、綺麗な物へと交換した。その行動を見て、フォルカーは『よし!』と心の中でガッツポーズを決めた。


「さっき見て来た感じだと、まだダンスも始まって無かったぜ? 皆主役の登場を待っているんだろうさ」

「……うむ」


 広間へと続く廊下を足早に歩きながら、ヨハンは期待していた。

 ハンナが自分の贈ったドレスを身に纏い、アオイと共に待っていてくれる事を。二人がヨハンの姿に嬉しそうに微笑み、アオイは「遅かったじゃないか」と悪態の一つもついてくれるのではないか。


 その時、広間から奏でられる音楽がヨハンの耳に響いた。


「待ちきれずに始まったようだぜ? ほら、急ぐぞ」

「うむ……」


ヨハンは広間の中へと脚を踏み入れて、壇上から皆の踊る様子を見つめた。

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